2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の十 6月16日〜6月20日  最後の町カサブランカ


2007年6月16日(土)快晴  予想外のユースホステル。

5時20分に目を覚ましたが、まだ早すぎるのでしばらく寝ていて6時20分に起床する。天気は快晴で
室内の気温は24.2℃と相変わらず一定している、6時47分からパソコンを始めたが、7時10分には
パソコンを終わらせて、荷造りを始める。荷作りが終ると手持ちのドーナツを食べて朝食とする。
8時50分に「ホテル・マグレブ・エル・ジャディド」をチェック・アウトしてラバト駅へ向かう。

メディナを出るとそのまま真っ直ぐ「ムハンマド5世通り」を歩いたが、この時間でも日の当たる所は
暑いので日陰側を歩く。途中で中央郵便局や議事堂などの写真を撮ったが、隠れてコソコソと撮る。
どうも開発途上国では公的機関の施設を写真に撮ると怪しまれる事が応々にしてあるので要注意だ。

9時03分には白亜のラバト・ビル駅へ着き、構内に入ると、9時05分にカサ・ポール駅までの切符を 買ってホームへ入る。カサブランカまでは2等が32DH(約480円)と、とても安かったので嬉しくなる。 やはりカサブランカとラバトの間の移動は、バスよりも列車の方が便利だし、値段も手頃で正解だ。 時間があるのでホームのベンチでしばらく座って待つ。9時30分にカサブランカ行き列車が入った。 この列車は新型の2階建ての急行列車だったが、この列車でも普通の料金で乗れるとは驚きである。

車内に入ると冷房が効いていて、とても快適な車両だった(古いタイプの車両は冷房力が弱いのだ)。 座席などは日本の新幹線に引けをとらないような良い物で、モロッコがこの様な良い列車を走らせて いるとは驚きである(なんだか乗るたびに良い車両になってくる)。車内は結構空いており座れた。 9時32分にラバト・ビル駅を発車する(定刻は9時30分だからモロッコの列車はとても正確である)。 9時36分に隣のラバト・アグダル駅へ着いたが、ここからは大勢乗ってきて満員になる。10時01分に ボウズニカ駅へ着いた。ラバトを出て以来海岸線を走っており、終始右側には大西洋が見えていた。 10時24分にはカサブランカの手前に在るアイン・セバー駅へ着いたが、この駅はマラケシュ方面への 分岐点に成っており、乗換駅と成っている。ここでも乗換の為に降りる乗客が多かった。この駅を 出ると10時35分に終点であるカサ・ポール駅へ到着したが、これは定刻の到着だったので感心する。

この駅はいかにも終着駅という雰囲気の構造をしていた。駅構内を一通り観察して、10時45分に カサ・ポール駅を出る。駅前の大きな通り(ムハンマド・エル・ハンサリ通り)を南へ数十メートル 行くと、大きな交差点が在るので、やはり大きな幹線道路の「アルモハド通り」を右に入る。 街壁に沿ってほんの少し行くと、ユースホステルへの指道標があったのに驚いた。左側の斜面を上り メディナの中へ入ると、そこには小さな広場があり、ベンチなどが置かれて公園の様に成っていた。 その広場に面して白くて古い建物が在るが、それが第一候補にしてる「オーベルジュ・ド・ジュネス」 すなわちユースホステルだった(この建物は「アルモハド通り」から見えており、とても解りやすい)。

玄関の上にはユースホステルの看板が出ていたが、建物の外見が酷そうなので、まったく期待せずに 建物の中へ入ったら、定番のパティオ(中庭)を改装した広いロビー兼食堂があり、ここがとても 明るくて綺麗なのには驚いた。ロビーを囲んで1階と2階に部屋があり、奥の方にも幾つかの個室が あった。トイレとシャワー(24時間お湯が出る)はロビーを挟んで両側に2ヶ所あり、数も多かった。 これだけの大きさと設備を持つユースホステルは、日本の公営ユースホステルでも少ないだろう。 はっきり言って、このユースホステルは今まで泊まってきた安宿などよりも遥かに素晴らしい物だ。 こんな良いユースホステルが、駅から10分も歩かない街中に在るなんていうのも珍しい。日本だけで なく、モロッコもユースホステルという物は、応々にして駅や街中から離れた所に在るものだ。 受付の女の子に3泊したいというと、空いているのは今日だけで、明日は団体さんがやって来るので 駄目だと断られた。しかたがないので本日のみ1泊だけすることにして部屋を選んだ。部屋は1番 安い8人部屋のドミトリーからツイン(120DH=約1,800円)まで各種あり、自分はどうせ1泊なので 1番安い8人ドミにする。ここはワンベッドが45DH(約675円)に成っている。宿帳を書いて金を払い 10時56分に「オーベルジュ・ド・ジュネス」の1階にある、8人部屋の3号室へチェックインする。

この部屋には幅の狭い2段ベッドが4つ入っており、先客が2名入っていた。自分は正面の下段が 空いていたので、そこに寝ることにして、リュックを置いた。部屋は広くて中央に結構な空間があり ドアーの近くにはコンセントも有った。ドアーも小窓もロッカーもニス塗りの木製でなかなか良い。 部屋にいても荷物は広げられないし、ロビーに居てもしょうがないので、11時16分ユースホステルを 出てユースホステルの付近や、メディナの南側を歩いて見ることにする。カサブランカのメディナは 小さくて南北約1q、幅は600mくらいしかない。しかも賑やかなスークの部分が南側に偏っている。

スークを通り抜けるとランドマークに成っている時計塔の下へ出たので、メディナの外へ出てみる。 この付近には赤い服を着た水売りがいた(彼らは何時もこの辺で商売をしている)。西側に少し行った 門からメディナへ戻り、細い路地のスークを適当に歩いて行くと、宿の近くのスークの外れへ出た。 そこには屋台のサンドイッチ屋が出ていたが、人気が有るらしく数人の人が出来るのを待っていた。 ここのサンドイッチはレバーのようなモツを5cm×3cmくらいの楕円形にして、串に刺して炭火で 焼いた物を3個と玉葱のみじん切りを、半分に切った例の丸いパンに挟んでくれるのだ。 1人で何個も買って行く人がいたが、それだけ美味しくて人気の有る事が解る。しばらく見ていて、 自分もひとつ作ってもらったが3DH(約45円)だった(これは香辛料が効いており、温かいと、とても 美味しい物だった。残念なことに、この屋台が出るのは昼間だけで、しかも日曜日は休みだった)。 サンドイッチも買ったし、暑いのでユースホステルへ帰ることにする。ユースホステルの隣の公園に 面した食料品店へ入って、何か飲物を買おうと思ったら、ジョッキに入った牛乳のような物を、 立ち飲みしている人が居たので、自分も試しにそれをもらって飲んでみた。これはヨーグルトを水で 薄めた物で、まったく甘い味の付いていないプレーンな物だった。冷たくて酸っぱくて暑い時には 水の換わりにもってこいのものである。大きな金属のタンクに入っており、下の蛇口からジョッキに タップリと入れてくれて1.5DH(約23円)だからとても安い。これだったら1日に何回も飲める物だ。 12時30分にユースホステルへ戻ると、12時40分にシャワーを浴びる。24時間タップリとお湯が出て 気持ちが良い。12時50分にベッドで横になり、少し昼寝をする。昼寝をしている時に相部屋の男が 1人買物をして帰って来た。眠気が覚めたので、16時08分にベッドから起き上がり、ロビーへ出る。 16時15分にはアザーンが聞こえてきたが、これは宿の近くに在る「グラン・モスク」からだろう。 ロビーでは女の子が集まり、ロビーの隅に置かれた2台のパソコンでインターネットをしていた。

まだ暑くて少し早いが、17時00分にユースホステルを出る。メディナの中央部をブラブラと歩いて いると、或る所にドーナツ屋があり、夕方なので例の塩味のドーナツを揚げていた。立ち止まって 作り方を見ていたら、店の親父が揚げ立てのドーナツをひとつくれた。自分が外国人なので試しに 食べてみろとくれたのだろう。柔らかさとか味加減は何処で食べても一定しているから不思議だ。 歩いている途中にあったリンゴ屋であの小型のリンゴを1kg買ったが11個来て5DH(約75円)だった。 スークを適当に歩いているとやがて「フェズ門」へ出たが、この門の付近はとても賑わっている所だ。 カサブランカのメディナには街壁を壊して作った名前の無い門(というよりも単なる出入り口)が、 十数ヶ所もあり色々な所からメディナへ出入が出来るので、便利といえば便利である。 街壁から少し離れた所に屋台のサンドイッチ屋がいた。ガラスケースに具材が並べられ、近所の人が 大勢買いに来ていたから、この店は昼間のあのサンドイッチ屋と同じように人気店なのだと解った。 屋台の横に座って話をしていた2人の老人は、自分がサンドイッチを作るのを見ていたら、ここのは 美味しいぞというジェスチャーをして教えてくれる。自分もひとつ作ってもらったが、この店の具は ソーセージ、マカロニ、シーチキンの缶詰、玉葱のみじん切り、黄色く着色した御飯が入っており、 料金は3DH(約45円)と、とても安くて美味しかった(この店はやはり当りの店だった)。 街壁まで戻ると、メディナの街壁の外側を半周してみることにする。しばらく歩くと大きな三叉路へ 出たが、左手には「ハッサン2世モスク」の高さ約200mのミナレットや、大きなモスクが見えていた。 このモスクは世界ではトップクラスの大きさで、国民の寄付金や税金を集めて作られたものだが、 色々と批判もある。120DH(約1,800円)という、とんでもない値段の入場料をとって外国人を入れて いるが、現役のモスクが金を取って異教徒の外国人を入れるというのも問題といえば問題である。 自分としては最初から見る気が無いので、ここから写真だけ撮っておく。大モスクなら外観も内容も イスタンブールのブルー・モスクの方が見応えが有るというものだ(しかも無料である)。ここから 右に曲り、街壁に沿って大通りを歩いて行ったが、途中に大砲を構えた小さな城塞が残っていた。 18時48分にユースホステルへ戻ると、18時55分にシャワーを浴びて汗を流す。壁のコンセントから コードを這わせて19時45分からパソコンへ写真の取り込みとデータの打ち込みを始める。19時47分に 近くのモスクからアザーンが聞こえてくる。そして21時20分には遠くからアザーンが聞こえて来た。 そのうち同室の男達が戻ってきたが、白人の男は何処かで酒を飲んできたらしく、赤い顔をしており ベッドに横に成ると直ぐに寝てしまった。もう1人の男はアラブ系の男で、愛想の良い奴だった。 彼ら2人も明日は追い出されてチェック・アウトだと言う。2人とも寝てしまったので、22時55分に 切の良い処でパソコンを終わらせ、22時58分に消灯して寝る。室内気温は26.2℃で少し暑い。 2007年6月17日(日)晴一時快晴  ユースホステルからの宿替え。 7時10分に起床する。室内温度は27.2℃と上がっていた。2人はまだ寝ているので静に起き上がり、 7時29分にユースホステルを出ると、カサ・ポール駅へ行った。外へ出ると爽やかで気持ちが良い。 空港まで行く列車の時間を調べると1時間に1本走っているのが解った。駅舎を出ると、7時40分に ユースホステルへ戻る。数人の客はシャワーを浴びたりしてそろそろ動きだしていた。

7時50分からロビーのコンセントを使ってパソコンを始める。このロビーの隅にはインターネットに 繋がっている2台のパソコンが置いてあり、誰でも無料で使えるのだが、アラビア語とフランス語と 英語しか読む事が出来ないので使えない。しかし、こんなサービスは日本のユースホステルなどでは やっていない(メキシコのユースホステルでも、宿泊者は無料でインターネットが使えたものだ)。 7時55分からユースホステル提供の朝食が始った。この朝食は無料でサービスに成っているというか B&Bみたいに成っている。内容はバケット半分とバターとジャムで、飲物はカフェ・オレをもらう (パンはその日によって色々と種類が替わり、飲物はカフェ・オレと紅茶のどちらかが選べた)。 これはコンチネンタル式の簡単な朝食(どうせならイングリッシュ・ブレックファーストがいいな〜) だが、無いよりましである。食後もしばらくやっていたが、管理人が早目にチェック・アウトをして くれと言うので(今日は団体の予約が入っており、満室なのだ)、9時17分にパソコンを終わらせて、 荷造りに取り掛かった。9時22分にユースホステルをチェック・アウトして今夜の宿探しを始める。 ユースホステルの人から教えてもらった「ラ・ビクトリア」を探し当てたので、部屋を見せてもらい 値段を聞いたが、部屋にコンセントはないし、ダブルで120DH(約1,800円)だというので即止める。

或る小さな広場が在り、その広場を囲むように4軒の安宿が固まっていたが、その周囲を合わせると 7軒の安宿が在った。最初、広場の右手に3軒並ぶ宿のひとつに声を掛けると、その宿の人は広場の 正面に在る、3階建ての白くて大きな「ホテル・カンディテ」へ行けと言った。これはこのホテルが 満室の為かどうかは解らないが、多分自分が外国人なので、この界隈としては1番良い部類に入る ホテルへ行けと勧めてくれたと解釈した(確かにそのホテルが、この付近では1番見た目が良い)。 この広場を巡る安宿の位置関係は「地球の歩き方」の地図とはまるで違っており、よくもこんな地図を 載せられたものだと呆れてしまう(まさに「地球の迷い方」の面目躍如たるものがある (ーー;)。 このゲストハウスは1階が食料品店などで、右側の細い階段を上がって行くと2階と3階が客室に 成っており、階段の途中の踊場が受付に成っていた。2階へ上がると、中央が吹き抜けのロビーに 成っており、そこを囲むように客室がある。部屋を見せてもらい、2階5号室の、シングルの部屋に 決めて9時42分に「ホテル・カンディテ」へチェックインする。宿代は1泊が50DH(約750円)だった。

2階の5号室は広場に面した角部屋で、1番見晴らしが良く、バルコニーも付いていた。部屋には タンスとテーブル、椅子があり、コンセントもあった。トイレは共同で、シャワーは壊れており、 水を被るように成っていた。物価高の大都市カサブランカで50DHだから余り贅沢は言えないだろう。 荷物を解体してからパソコンをセットし、朝の続きを始める。データが出来上がると USBメモリーに 入れる。11時35分にインターネット・カフェを探しにゲストハウスを出た。広場を左に曲った所で 人だかりがしていたので行ってみると、或る家の前には白いワゴン車が止まっており、周囲に大勢の 人がいて、表通りの方へ移動していた。これを見た時に、これは野辺の送りだと直ぐに解った。 病院から自宅へ遺体を搬送し、自宅に別れを告げてから墓場へ運ぶのだろう。自分が見ていると、 近くにいた男が自分達について来いというので、見ず知らずの死者だが、これも一期一会なので、 その野辺の送りに参加した。メディナを出た表通りには霊柩車らしき白いワゴン車と、多くの車が 止まっており、人々が乗ると、その車列が墓地に向かって走り出した。車列を見送ってから戻る事に したが、泣きながら歩いている女の人が数人いた。町内会や近所の人達が全員で見送っていたのだ。 「袖擦り合うも多少の縁」で、割礼の儀式を見たり、墓参りを見たり、野辺の送りに参加したりと、 今回は色々と体験させてもらった。そろそろ真面目にインターネット・カフェを探すことにする。 メディナの中には大小数軒のインターネット・カフェがあり、近くに在った或る店へ行って日本語が 使えるかどうかを聞くと、出来ないというので他のインターネット・カフェを探すことにした。

 何軒か見て回ったが、賑やかなスークの、或る  角店の2階にインターネット・カフェが在った  ので、ものは試と2階へ行くと、三角形の狭い  部屋に十数台のマシーンが置かれていた。結構  客がおり流行っている店だがとても蒸し暑い。  店番の青年に日本語が読めるかどうか聞いたが、  聞くよりも、その青年が使っていたマシーンで  試したら、日本語が有ったので「これと同じ事が  出来る機械」と言い探してもらったら、2台目で  見付かったので、そのマシーンを使う。  12時00分からインターネットを始める。この旅  最後のメールや掲示板への書き込みを終らせ、  12時52分にインターネット・カフェをでる。 料金は1時間で5DH(約75円)だから安いし、スピードもそこそこだし、店番の青年も感じが良いし、 なかなか良いインターネット・カフェだった。帰りにスークの中の小さなサンドイッチ屋でイワシや トマト、玉葱などの野菜の入ったサンドイッチ(3DH=約45円)を作ってもらったが、この店も割りと 良心的な店だった。ホテルの下の食料品店で1.5リットル入りの水を買ったが、値段は5.5DH(約83円) だった。この値段がカサブランカのミネラルウォーターの相場の様である。13時32分に部屋へ戻ると 一休みしてサンドイッチを食べる。外はかなり暑いので、13時50分頃から部屋でパソコンを始める。

 しばらく真面目にデータを打ち込んでいたが、  14時37分に外から華やかな音楽が聞こえてきた。  バルコニーへ出て見ると、或る店先に数人の男が  いて、簡単な楽器で演奏をしていた。彼らは  次々と店先を渡り歩いては演奏をしていた。  これと同じ物はサレの町のスークで見掛けた。  彼らは2人だったが、大体が2人から5人位で  チームを組んでいるようだ。良く解らないが、  これは日本の獅子舞や万歳、瞽女などと同じ様な  性質を持つ門付けではないかと思われる。  バルコニーから見ていたら今朝ユースホステルで  見掛けた“宿探し男”がまだ宿探しをしていた。  一体今まで何処で何をしていたのだ。解らん。 15時45分にパソコンを終わらせると、少々草臥れたので、ベッドで横になって休憩する。16時45分に ベッドから起きる。バルコニーへ出て下の広場を見ていると、宿探しをしている4人連れの欧米人の バックパッカーがいた。「ホテル・メディナ」に入って下見をしていたが、止めて何処かへ行って しまった。彼ら欧米人はシャワーにこだわるから、この一帯の安宿では少々無理だろう。この界隈に 在る安宿は、モロッコ人旅行者を相手にしたゲストハウスなので、それなりの設備しかないのだ。

少し涼しく成って来たので恒例の夕方の散歩に出かける事にして、16時50分にゲストハウスを出る。 スークを通り抜けて時計台まで行き「国連広場」へ出た。ここから見るとメディナの街壁は、表通りの この部分は綺麗に補修されているが、表通りから回り込んだ所はこんなに綺麗に補修はされてなく、 全体的に街壁や門の保存状態が良くない。特に門でまともに残っているのはここが唯一である。 新市街へ出ると、CTM(公営バス)のバスターミナルを探す事にする。「アルメ・ロワイヤル通り」を 歩き、途中で右に曲がり、17時15分にCTMへ着く(ここは裏通りに面しているので解り難い)。早速 建物の中へ入り、バスの運行経路や発車本数などを調べる。このターミナルビルは建物が古いので、 最近出来たバスターミナルよりも手狭で暗くて、余りパッとしないという印象だった。 CTMを出ると、次は中央市場へ行ってみたが、日曜日なので店は休んでいおり、閑散としていた。 表通りに在る店を見て歩いても面白くないので、「ムハンマド5世通り」を歩いて「国連広場」へ戻り、 ここからメディナの外側を時計とは逆周りに一周してみることにする。 途中で蜂蜜入りの甘い揚げパン(1.5DH=約23円)を買い、昨日の夕方に買ったサンドイッチ屋の所へ 行ったら、今日は日曜日で休みの為、近くのドーナツ屋で塩味のドーナツを4個買った。この店は とても流行っており、お客が大勢待っている(夕方のドーナツを揚げる時間に成ると、何処の店でも 近所の常連客が揚げたてのドーナツを買いにやって来る。ドーナツは朝夕の主食と成っている)。 宿の近くの食料品店で、チーズとゆで卵の入ったサンドイッチ(3.4DH=約52円)を作ってもらった。

買い物が終わり、19時07分にゲストハウスへ戻ると、19時15分にタオルをぬらして身体を拭いた。 中央のロビーを通るとお祈りをしている人がいたが、モロッコ人は意外と真面目に6回のお祈りを している人が多い。ロビーにはお祈り用の小型の絨毯や敷物を用意している宿も見かけたほどだ。 バルコニーから下を見ていると、この地区の共同水道の所で、水屋が袋に水を詰めこんでいたが、 袋の水が無くなると、ここまで水汲みに来るのだ。水の仕入れ値はタダだから実に良い商売である。 珍しいからといって、水を飲む人は、あの水は普通の水道の水であることを認識しておくべきだ。 一休みして19時40分からパソコンへ写真の取り込みやデータの打ち込みをする。パソコンの電源を 取っているコンセントと電燈が変な風にリンクしており、電燈がフワフワ煽ったり、消えたりする。 パソコンの電源を切ると電燈はまともに点いて問題はないのだ。実に不思議な現象で理解に苦しむ。 19時49分にアザーンが聞こえてくる。音楽が聞こえてきたのでバルコニーへ出て見ると、2人連れの 男が門付けをしていた。夜の広場は結構人通りが多く子供達も出歩いていた。22時20分にパソコンを 終わらせると、22時46分に消灯する。室内温度は25.2℃でユースホステルよりも涼しくて快適だ。 2007年6月18日(月)曇後晴  出国前の休養日。

 5時40分に目を覚ましたが、珍しく夜は余り  眠れなかった。6時10分にベッドから起き、  6時30分よりパソコンを始める。  バルコニーから下を見ると老人がミントの  葉の、選別や掃除をしている。駄目な葉を  取り除いたり、水で泥を洗い落としたりし、  商品と成るように綺麗にしているのだ。  ミントはモロッコ人にはなくては成らない  食生活の必需品で、八百屋で売っているが、  専門の屋台が回っていることが多い。この  老人はミント屋なのだろう。毎朝仕入れて  こうして手入れをして売りに行くようだ。 バルコニーから空を見たら全面的に曇っていたが、こんな事はモロッコへ入って初めての事である。 やはり海岸地帯は内陸部と違い雲が出やすいのだろう。気圧は若干下がっていたが、この時期に雨が 降る事はまず無いだろう。室内気温は昨夜とほぼ同じの25.0℃だったが、外は涼しく気持ちが良い。

バルコニーから広場を見ていると、広場の真ん中に野良猫が数匹集まっていたが、何故猫達がここに 居るのかそのうち解った。この町にはゴミの集積場が無く、この広場の中央がゴミ置場に成っており 近所の人達が、ここへゴミを捨てに来るのだ。猫達はここに捨てられたゴミの中から餌を拾おうと 待っていたのだ。猫達はこの時間帯が解っており、毎朝この時間に成るとここに集まって来るのだ。

パソコンをしていると停電になった。停電は時々有るが今回は長時間の様なのでパソコンを止める。 9時10分にパソコンを終わらせると朝の散歩へ出かける用意をし、9時15分にゲストハウスを出る。 この頃に成ると雲は消えて何時もの青空が出てきた(今日も暑く成りそうだ)。メディナから新市街へ 出て、9時56分に中央市場へ行く。店は開いていたが、とても閑散としていた。何処の町をみても、 どうもメディナなどのスークと違い、この様な公設の市場というものは、余り流行っていない様だ。 中央市場の中を一通り見ると新市街からメディナへ入る。或る乾物屋でディーツを買うことにする。 ディーツとはナツメヤシの実で、これを乾燥させた物は砂漠の遊牧民の携行食で旅の必需品だった。 試食して1番甘くない、自然に近い物を選んで2kg買ったが、40DH(約600円)だった。同じ物でも 店によって2倍程値段の差があるが、この店は比較的安い店といえる(ラバトではもっと安かった)。 スークを適当に歩いていると、一昨日のモツ焼きサンドイッチを作っている屋台の居る所へ出た。 店の親父は自分の顔を覚えていた。早速ひとつ作ってもらったが、作る前に焼き立てのモツをひとつ サービスでくれたのが嬉しい。何処の国でも旅行者と関係のない生活をしている庶民はみんな親切で フレンドリーなのだ。宿の下の食料品店で普通のカップ入りのヨーグルト(2DH=約30円)を買った。 10時46分に部屋へ戻り休憩に入る。11時25分にベッドで横になると少し眠ってしまう。12時35分に ベッドから起きたが、朝方に停電していた電気が来たので、13時45分からパソコンを始める。 15時10分にパソコンを終わらせると、まだ暑いが15時18分に宿を出て、メディナの外を少し歩く。 途中であの甘いサクランボを500グラム買ったが、物が少し良いので12.5DH(約186円)だった。これは 1kgが25DH(約375円)だったが、安い物は20DH(約300円)で、最高に良い物は40DH(約600円)もする。 16時10分に宿へ戻ると、16時25分からサクランボを食べながらパソコンを始める。17時55分に切りの 良い処で終わらせ出掛ける用意をし、18時00分この旅の最後に成る、恒例の夕方の散歩へ出かける。

スークを適当に歩いて「フェズ門」まで行ったが、相変わらずこの付近は混んでいる。明日の朝食用に 昨日のドーナツ屋へ行って、塩味のドーナツを4個買ったが、やはり店先は大勢人が集まっていた。 しかし、店の親父は順番を飛ばして、自分に優先的にくれた。「こいつは外国人だから先にあげるよ」 とかなんとか、待っている客に言っていたが、客も了承していた(みんな旅人には親切なのだ)。 この店の近くにいる、一昨日のサンドイッチ屋へ行って同じ物を作ってもらう。やはり同じ所にあの 2人の老人が座ってお喋りをしていた。毎日毎日同じ様な日々が繰り返されているが、この単調さが 平和で幸せなのかも知れない。開発途上国を旅して庶民の生活を見ているとこれは常に感じる事だ。 近くの食料品で、あの飲むイチゴ・ヨーグルトを買って、19時14分にゲストハウスへ戻る。一息入れ 19時28分よりパソコンを始める。カサブランカではパソコンばかりしているが、旅のデータを少し まとめていないと、帰国してから大変な事に成るので、ここで少し頑張っておかないと駄目なのだ。

 19時47分にアザーンが聞こえてきたが、ここでは  21時の最後のアザーンはやっていないようだ。  その国や町によって色々とパターンがある様だ。  でも、朝夕のアザーンを聞いているとなんとなく  心安らぐものがあり旅に出ている事を実感する。  しばらくすると今日も外から音楽が聞こえて  来たのでバルコニーへ出て見ると、民族衣装を  着た2人連れの男が門付けをしていた。これは  砂漠地帯では余り見かけないが、カサブランカ、  ラバト、サレなどの海岸線の町に多いようだ。  これがどのような性質のものかは解らないが、  民俗学的な興味が有り確かめてみたいものだ。  それにしても水売りと違って、それぞれ違った  色々な衣装が有るもので、見ていて楽しい。 21時55分にひと段落付いたので、パソコンを終わらせて、荷物整理を始める。明日はいよいよ帰国に 成るので、ある程度の梱包をしておく事にした。22時35分に消灯する。室内温度は26.0℃と高目だ。 カサブランカの町は予想通りに観光的には何も見る所が無い町で、旅行者にとってはモロッコで1番 面白くない町である。これでメディナが無かったらまったく救われない町だ。旅行者は、この町は 出入国の時に1泊すれば良い町だろう。時間の無い人は素通りしても少しも惜しくない町である。 2007年6月19日(火)曇一時晴  帰国は何時もひと悶着。 5時00分に目を覚ましたが、5時32分に起床する。時間があるので5時55分にパソコンを始めたが、 2時間ほどやっていた。7時55分に切の良い処でパソコンを終わらせ、最終的な荷造りを始める。 荷作りが終わり、予定よりも少し早いが8時06分に「ホテル・カンディテ」をチェック・アウトする。 最短コースのメディナを通り抜け、ユースホステルの前を通って8時13分にカサ・ポール駅へ着く。 空港までの切符を買ったら35DH(約525円)したが、この路線は距離の割りに少し高いようだ。切符を 買った時に窓口の担当者は「お前が解るのはフランス語か英語か?」と聞く(さすがにアラビア語とは 言わなかった)ので「英語だ」と答えると、彼は英語で「隣のアイン・セバー駅で乗り換えろ」と言う。 なかなか親切だが、これは切符を見たら、乗り換え駅名と、乗り換える列車番号が印刷されており、 誰にでも解る。8時19分にホームへ行くと、止まっている列車の番号を確認してから乗り込んだ。 何処行きかは解らないが、この列車は8時30分にカサ・ポール駅を発車した。これは定刻だった。

8時39分に隣のアイン・セバー駅へ到着したので、乗換の為にここで降りたが結構降りる人がいた。 降りたホームの反対側が空港行きの列車が出るホームなので、降りた所で待っていたら、8時44分に ムハンマド5世空港行きのA9列車が入ってきたので乗り込む(ここが始発に成っているようだ)。 列車には全て列車番号が付けられているが、空港行きだけはエアポートのAが頭に付けられている。 8時57分にアイン・セバー駅を発車したが、これも定刻だった(モロッコの列車は本当に正確だ)。 列車は直ぐに隣駅のカサ・ヴォワジャー駅へ到着し、9時07分にカサ・ヴォワジャー駅を発車する。 車内はここでほぼ満員状態になる。この駅から東洋人の娘が1人乗り込んで来たが、日本人かどうか 解らなかった。9時24分には検札がやって来て、9時47分に終点ムハンマド5世空港駅へ到着した。 列車を降りて空港ターミナルビルの入口へ行くと、ここで荷物検査とボディ・チェックをしていた。 これがとても遅くて、9時55分にようやく荷物検査とボディ・チェックを受けて建物の中へ入れた。 自分は1番前の方に居たので、この程度の待ち時間で済んだが、後の人はかなり待たされるだろう。

一息入れると10時11分に2階の出発カウンターへ行きチェック・インをしたが、これが複雑だった。 最初にドバイ・名古屋間の搭乗券だけをもらい、これを持って10時16分にエミレーツ航空会社の オフィスまで行き、ここで名古屋行きの搭乗チェックを受ける。それが終ると、10時25分に先程の 出発カウンターへ戻り、手続き済みのハンコを押した搭乗券を見せると、カサブランカからドバイ までの搭乗券がもらえ、これで搭乗手続きが完了するのだ(やはりドバイ・名古屋間は特殊なのだ)。 最初のチェック・インの時には一人旅をしている日本人の小母さんを見掛け、戻った時には日本人の 団体さんを見た。このドバイ行きの便には他にも数名の東洋人がいたので、結構利用者が多い様だ。 搭乗券を手に入れると次は再両替である(モロッコ・ディラハムの持ち出しは禁止されており、必ず 外貨に再両替をする必要がある)。1階に在る、着いた時に両替をした処で再両替を仕様としたら、 再両替は2階出発ロビーに在る銀行でしか出来ないというので、もう一度2階へ行き再両替をする。 再両替の時にユーロにするかドルにするかが問題(他の通貨はやめた方が良い)だが、手元に出来る だけディラハムを残さないようにするには、ドルにした方が絶対に有利なのだ。それに今年後半の 旅先を考えると、インドや南米を予定しているので、やはりドルの方が必要だからだ。 小銭も含めて手持ちの金を全部出したら、1,530DHが178ドルになり、手元に2DHだけ戻ってきたから 大成功だった。最小額面紙幣は、ドルの場合は1ドル札なので、手元に残るディラハムは最悪でも 6〜7DH程度で済むが、ユーロは5ユーロ札なので48〜51ディラハム程度になる可能性があるのだ。 10時45分に両替が終ると、細長い出国フロアーの椅子に座って少し休む。そろそろゲートへ行こうと 思い、イミグレーションへ入ろうとしたら、その入口には男がいて、現地通貨からの再両替の確認を 行なっていた(まさかここまで真面目にやっているとは思わなかった (^^;)。11時07分には問題なく 出国手続きを終らせて出発ロビーへ向かった。ゲートの近くの、出発ロビーの椅子に座って靴を脱ぎ 休む事にする。ここは冷房が効いており涼しくて快適である。ここで残っていた最後の水を飲んで、 ペットボトルを捨てる。ロビーの免税店を日本人の団体さんがお土産買いでウロウロしていた。 12時18分にまだ少し早いと思ったが、念の為と思い2番の出国ゲート行くと大勢の人が並んでいた。 ここでもう一度手荷物検査とボディ・チェックがあるのだ。しかもオープン検査なのでとても時間が 掛かるのだ。係員を増やすとか、開始時間を早めれば良いのにと思うのだが、そこがやはり役人だ。 客もイライラしているが、航空会社側も出発時間が迫っているのでイライラしていた。 自分の前には先程の日本人団体さんがおり、最後尾に添乗員の30代の青年がいたので彼と話をした。 年寄りの団体さんは各自好き勝手な事を言っているので、彼に同情して話しかけたのだ。彼としても 話の解る相手が出来たので色々と話しをしていた。2週間に渡るモロッコ一周の旅だというから、 これはパック旅行としてはかなりのものである。自分は1人で1ヶ月ほど旅をしていたというと、 感心していた。この旅行会社は特殊な旅を多くしているようで、アルジェリアやシリア・ヨルダン、 フンザなどもやっており、彼とは辺境の旅の話をした(アルジェリアは今が狙い目だと言っていた)。 この団体さんは大阪へ行くそうで、ドバイでのトランジットを心配していたが、同じエミレーツ航空 なので、遅れても待っていてくれるだろう。彼が係員に聞くと30分の遅れだったら問題ないという。 旅をしていて1番心配なのはトランジットと、陸路における国境越えだと2人の意見が一致した。

13時00分にようやく2番の出発ゲートへ入ったから40分も待たされたことに成る。自分の後ろには まだまだ並んでいるが、本当に大丈夫なのか心配になる(本心を言うと、自分としては急ぐ旅でも ないから、接続出来なくてドバイで1泊、なんていうのもイイカモ〜と期待していた (^^ゞ)。 ゲートの窓から自分が乗る飛行機などの写真を撮っていると、もう搭乗が始まったので、13時06分に 飛行機に乗り込んだ。自分の座席は24-Aで左の窓側だった(外が見れてラッキー!)。この機体は エアバス社のA340-300である。何とか全員が乗り込めた様だ。予約をした時に、自分が最後の1席 だったというが、本当にこのEK752便は満員だった。カサブランカ・ドバイ間は利用者が多い様だ。 13時30分におしぼりのサービスがあったが、その後の13時36分に飛行機が動き出して滑走路へ行く。

13時50分に離陸する。ここより+4時間してドバイ時間を使用することにした。18時14分、左手に 大きな湖が見えていたが、ここを過ぎて少し行くと荒地となる。18時26分ドリンク・サービスがあり 待望のビールをもらったが、ギンギンに冷えており、とても美味しい。ビールを飲むのはシャウエン 以来である。18時32分に地中海の海岸線まで出ると、そこからは海岸線に沿って飛ぶようになる。 自分の隣の席には黒人の娘が座ったが、茶色系の黒ではなく、本当に黒いのだが、とても背が高くて 細身の美人だった。彼女はセネガル人でコロンボへ行くと言っていた。アラビア語や英語は喋れず、 フランス語だけが出来るそうだ。それにしてもアフリカ人娘の行先がコロンボというのは面白い。 黒人でも美人は美人で、すごい美人がいるのだ。昔、大阪万博で仕事をしていた時、当時象牙海岸と 言われていた国のブースがあり、そこには細くて背の高い黒人の青年と娘がいた。背広を着た青年は 格好良く、娘はもの凄い美人だった。自分が今までに見た美人のベストテンに入る程の美人だった。

18時55分に機内食のサービスがあったが、自分はビーフをもらい、飲物は白ワインをもらう。野菜や 果物が美味しいし、デザートのケーキも美味しかった(それだけ食生活が貧しかったのかな (^^ゞ)。 外を見るともう日暮れで、夜が近付いてきた。食後は室内灯が消えたので映画を見てすごす。映画は 数十本あり選択に困るほどである。22時55分に室内灯が点き、23時00分に機内食のサービスがある。 これは軽食でサンドイッチと果物だったが、手頃なボリュームである。飲物はコーヒーをもらった。 この飛行機は来た時とはコースが違い、マルタ島を過ぎると地中海コースを飛び、シリアへ上陸して サウジアラビアに入ったが、このコースの方が飛行距離が少し短いし、偏西風に乗りやすいだろう。 2007年6月20日(水)晴  ドバイ空港は相変わらず不夜城だった。 快調な夜間飛行を続け、0時56分にドバイ空港へ着陸する。1時10分に飛行機より降りたが、外は ものすごい蒸し暑さである。この暑さはモロッコなどとはまるで性質が違っている。夏のドバイなど 絶対に近付くものではないと確信した。夜でこれだったら昼間はどれだけ暑いやら。バスに乗り ゲートまで行くと、1時22分に手荷物検査とボディ・チェックを受けて出発ロビーへ入る。この前は 2階から入って下のロビーへ降りたが、今回は1階のゲートから入ったので、直接ロビーに入れた。

ロビーへ入るとカーペットを敷いた床の上にゴロゴロと多くの人が寝転んでいたが、これぞ24時間 稼動の空港の実体である。こういう姿を見ると嬉しくなる(自分も待ち時間が長かったらこうする)。 ロビーには何ヶ所か仮眠用の寝椅子が置かれている場所があり、寝椅子には多くの人が寝そべって いた。自分は運動の為に、この前と同じくロビーの端から端まで往復してみた。下の免税店を見ると 相変らず賑わっており、ドバイ空港は不夜城である。今日は日本人や韓国人など東洋系の人が多い。 時間に成ったので、ゲートの近くへ行き、1時50分には41番ゲートへ入る。この空港はゲート・イン すると直ぐに搭乗に成るが、今日も2時06分にゲートの待合室から下へ降り、連絡バスに乗り込む。

バスは夜の構内を走り、2時23分にEK314便の名古屋行きの飛行機へ乗りこむ。今度の座席は28-Aで 左の窓側だった。機体はやはりエアバス社のA340-500である。この飛行機は、来る時とは違って 結構空いており空席が多い。2時54分に機体が動き出したがこの時におしぼりのサービスがあった。 飛行機は構内をかなりノロノロと走っていたので、夜の空港が眺められた。ようやく滑走路へ着き、 3時24分にドバイ国際空港を離陸する。ここより時計を+5時間して日本時間を使用する事にした。

 水平飛行になり、落ち着いた8時58分に機内食の  サービスがあった。夜中なので軽食だが、蕎麦が  付いている。ドバイで蕎麦とはミスマッチだが、  美味しいことは美味しい。自分は1ヶ月くらい  外国にいても、少しも日本食を食べたいなどとは  思わないし「御飯が食べたい」と思った事もない。  飲物は寝酒として缶ビールを2本もらって飲む  (最初から2本もらったのではない。飲んでいたら  客室乗務員が勝手にもう1本持って来たのだ)。  食事が終った9時15分ころから外が次第に明るく  なってきた。他の人達は寝る体制に入ったが、  まだ眠く成らないので、映画を見ることにする。 この飛行機のシステムは今までの様な、5本や6本の映画から選択するのではなく、数百チャンネル 有り、まるでデータベースのように成っている。ディズニーアニメだけでも20数本もあった。最初は 「2001年宇宙の旅」を見ていたが、その次は「サウンド・オブ・ミュージック」、「カサブランカ」などを 観た。みんな懐かしい昔の映画ばかりだが、これらの映画は今見ても少しも遜色のない映画だった。 映画を見ていても眠くならないのは少々困りものだ。少しは寝ていないと帰国してからまずい。 室内灯が消えて寝ている人が多いが、それでも或る一定間隔で客室乗務員が水とかジュースなどを 持って回っている(航空会社によっては小さなペットボトルを配る)ので時々もらって飲んだ。

航空路を見ているとパキスタンのカラチからラホールの方へ、北上しだしたので、これはと思って 窓から外を見るとちょうどヒマラヤ山脈を通っている処だったので、急いで写真を撮りだした。 眼下には雪山が見えていたが、大体6000mクラスの山々だった。実に良く見えており、こんなに山が スッキリと見える事は滅多にないことで、この様な快晴の良い天気は、年に数回しかないだろう。

しばらく飛んで行くと左手遠方に2つの大きくて高い山が見えて来たが、飛んでいる位置を調べると カシュガルの東側なのでムスターグ・アタ(7546m)とコングール(7719m)だろう。この様な反対側の 角度から見るのは初めてなので、まるで違う山に見える。11時35分に山を越えてタクラマカン砂漠へ 入ったが、土色の何もない世界だ。12時30分に映画を見終わって少し寝に入る。かなりグッスリ眠れ 15時40分に目が覚めたので3時間近く眠れたことになる。もう眠れそうもないので起きる事にする。

 電灯が点き、15時43分におしぼりのサービスが  あった。この頃飛行機は中国の天津を通って  海に出た。飛行機はタクラマカン砂漠の北側の  トルファンから東へ河西回廊の上を飛んだのだ。  16時11分に機内食のサービスがあったが、これは  朝食で魚をもらう。飲物はアップル・ジュースを  もらった。魚も御飯も美味しかったが、やはり  果物が1番美味しい。それにしてもパンが2種類、  そしてマフィンが付いていたが、パン類ばかりで  これは一体どういう組み合わせなのだ (?_?)  朝食が終った16時33分頃には、飛行機はもう  朝鮮半島へ入っており、ソウルの南側を通過する。 天気が悪く下界は殆ど見られなかった。日本海も天気が悪く、17時28分には日本海から能登半島へ 上陸したが、この時だけチラリと海岸線が見えた。内陸部はやはり雲に覆われており見えなかった。

日本列島に入ると高度を下げだした。名古屋が近付いてくると天気が良くなり、下界が見えて来る。 飛行機はマスマス高度を下げ、伊勢湾に入ると17時45分に中部国際空港へ着陸する。外は夕方なのに 気温はまだ28℃もあるとアナウスが有った。17時55分に飛行機より降りると17時58分に入国手続きを する。18時10分には荷物を受け取って税関をでたが、ここでは何も調べられなかった。 そのまま名鉄の駅へ行き、ホームの待合室に入って電車を待ったが、夕方だというのに酷い蒸し暑さ だった(このような不快な暑さはモロッコには無かった)。急行列車が入って来て、18時36分には名鉄 中部国際空港を出る。夕陽を眺めながら乗っていたが、次第に暗くなり、名古屋へ着いた時は完全に 暗く成っていた。19時30分に名鉄名古屋駅へ到着したが、名古屋駅は夕方のラッシュで混んでいた。 座席指定は受けずに乗ることにして、19時47分に新幹線名古屋駅を出る(のぞみ47号の自由席だ)。 やはり新幹線はとても快適で、冷房が気持ち良い。21時22分に品川駅へ到着したので、ここで降りて 山手線へ乗り換える事にする。21時27分に品川駅を出ると22時41分には最寄駅より歩いて帰宅した。 これで1ヶ月に渡るモロッコ世界遺産巡りの旅が終り、又明日からは日本での日常生活が始る。

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