2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の二 5月24日〜5月26日  漁師町エッサウィラ


2007年5月24日(木)晴後快晴後晴  日帰りでエッサウィラへ。

夜中の0時00分頃に目が覚めてしまい、もう眠れなくなり、3時30分頃になってようやく又眠れた。
次に目が覚めたのは5時33分だったので、起床して出かける用意をする。下へ降りると管理人を起し
玄関の鍵を開けてもらい、5時59分にホテルを出る。昨日と同じ道を歩くことにして、フナ広場から
メインストリートへ出たが、「コブ門」の手前にある大きなY字路を右へ行き、公園の中を通って
道成に歩いて行くと、左手に在る「ラリサ門」のすぐ横を通り、しばらく行くと「ドゥカラ門」へ出た。

門を潜り、広場を通って6時26分に長距離バスステーションへ着いた。やはり今日歩いた道の方が 近道だった。6時32分にエッサウィラ行バスの7番窓口へ行って切符を買う。エッサウィラまでは 35DH(約525円)だったが、あまりの安さに一瞬聞き返したほどだ。切符を買うとホームへ行ったが、 窓口と同じ7番ホームだという。ホームへ行くとバスが止まっており、確認して6時34分にバスへ 乗り込んだが(ひどいボロバスだ (ーー)、自由席なので早目に良い座席を確保しておく必要がある。 バスはほぼ定刻の7時01分に発車する。バスは途中街中で客を拾い、やがて満員になる。市内を出て 少し行くと、7時20分に郊外に在る大きなスーパーの前を通る。このスーパーは駐車場がとても広く 建物なども日本やアメリカの郊外型スーパーにとても似ている。7時23分にガソリンスタンドへ入り 給油をして7時29分に発車したが、ここからようやくやる気に成って本格的に走り出す (^^; 少し走ると7時40分に中くらいの大きさの町を通り越した所に在る大きな涸川を渡る。8時01分に 何も無い所でバスが止まったと思ったら警察の検問だった。運転手や書類が主だが、一応車内に入り 乗客を見回していた。検問が終わり8時05分に発車すると、8時24分に大きな町へ着いたが、町の 後ろにはアンテナの立つ丘が在った。ここで多くの客が降りたから、かなり重要な町なのだろう。 ここを出て8時44分に中くらいの大きさの町へ着き、少し休憩となるが、バスからは降りなかった。 9時13分に発車すると、10時00分にカサブランカへの分岐点の町へ着く(カサブランカへは327km、 エッサウィラへは25kmとあった)。ここを出ると10時15分にラクダの群れを見かけた。この近くの 丘の上に展望台があり、数人の観光客がいたが、どうもあのラクダは、観光用のラクダのようだ。 丘の上からはエッサウィラの町や大西洋が見えており、ここはなかなか良い所である。丘を降りて 街中へ入るが、そこは新市街で、なかなか整然とした所だった。ここには大きな学校があるらしく、 学生達が大勢いたが、今は登校時間のようだ。エッサウィラの町は予想していたよりも大きな町だ。 新市街を通り過ぎた町の端の方にある、エッサウィラのバスターミナル着いたのは10時25分だった。

帰りのバスの時間を調べてからターミナルビルを出ると、目の前の店先にいた人に旧市街への道を 聞いた。バスターミナルの前は商店街になっており、この付近は結構賑やかな所である。10時30分に バスターミナルを出て道成に歩いて行くと広場があり、正面に「ドゥカラ門」と街壁が見えて来た。 10時37分に「ドゥカラ門」へ着くと、写真を撮り、門を通ってメディナへ入る。メイン・ストリートの 「ムハンマド・ザルクトゥーニ通り」を歩くことにする。この道の両側には多くの商店が並び、とても 賑わっており、観光客の姿も多く見掛ける(町の大きさに比べて観光客の数は多いのだが、殆どが 欧米人で、アジア系旅行者は見掛けなかった)。この町のメディナはとても小さくランド・マークに 成っている時計台を通り過ぎ、11時00分にはあっけなく反対側にある街壁の門へ着いてしまった。

門を通り抜けるとそこは広場に成っており、右手には海が見えていた。防波堤には数人の観光客が 座って海を眺めていたので、自分も防波堤に沿って歩くことにする。防波堤の外は磯になっており、 多くのカモメが集まっている。漁師達が水揚げされた魚を選別しており、その周りには猫とカモメが おこぼれをもらおうと大人しく待っていた。磯の先にはスカラと呼ばれる城塞があった。そして海の 中に在る小さな磯の上にも小さな城塞が作られている。これらの城塞や砲台はポルトガル時代に整備 されたもので、メディナ自体もフランス人が設計しており、とてもヨーロッパ的色調の強い町だ。

魚市場の横を通り「海の門」を通り抜けると埠頭が先へ延びており、埠頭の左側がドックの様になって いたが、ここはこの港の造船所だった。横を通ると新しい船は作っていなかったが、漁船の修理を していた。この造船所で作られたり、修理できる船はせいぜい数百トンクラスの漁船だけだろう。 造船所の少し先では漁師達が網の修理をしていたが、この港は漁港なので多くの漁船が出入しており 多くの漁師がいるし、魚市場もある。こんな網の修理をしている姿は日本の漁港と同じである。 この少し先の埠頭では、ちょうど漁船が着いた処で、船の周りは魚を買いに来た人が集まっていた。 日本の様に仲買人とか競りなどというシステムは無く、漁師と直接交渉で魚を買うのだ。驚いた事に 魚はまだ刺し網に付いたままで、港で網から魚を外していたのだ(オイオイもう少し何とかしろよ)。 漁港の写真を撮ると暑いので街中へ戻ることにする。広場から今度はメインストリートの北側に在る 「ムーレイ・エル・ハッサン広場」へ入ると、広場の周りは観光客相手の商店やカフェが並んでいた。 少し行った左手にトンネルの様な路地が在ったが、ここがなかなか面白そうなのでこの路地へ入る。 薄暗いトンネル状の路地を抜けると、海岸側の街壁に出たので、街壁に沿って在る細い道を歩く。

細い路地を少し行くと急に広い道へでるが、左側に砲台があったので上って見ることにする。そこは とても広いテラスで、多くの大砲が並べられていた。大砲は当時の物だが、大砲を乗せている砲台は 最近作られた物だ。11時35分突き当たりにある展望台へ着く(ここは「北のスカラ」と呼ばれている 要塞(隅櫓)で、展望台などというと、当時の人に怒られるかな)。先程のスカラもそうだが、どうも 街壁といい要塞といいチャチに見えてしょうがない。もっと難攻不落な物を作れと言いたくなる。 この砦からは下へ斜面の通路があったが、これは馬に乗って行き来したり、砲弾や火薬などの物資の 運搬をしやすくしているのだろう。砲台の下は幾つかの部屋が並んでいるが、兵舎や武器倉庫として 使用されていたのだろう。要塞から下へ降りると、街壁に沿った裏路地を歩いて行く。建物に突き 当たり、右に在る路地を行くと「ドゥカラ門」へ出た。メインストリートを突っ切って東側の街壁に 沿った路地を適当に歩いて行くと大通りに出たので左へ行くと、12時22分に「マラケシュ門」へ着く。 「マラケシュ門」の外へ出るとそこは広場に成っており、近くには円形の城塞が在った。街壁の外は なにも無いので、門を潜り戻ることにする。門の近くに屋台のアイスクリーム屋がいたので、小さな コーンに入れてもらったが、値段は5DH(約75円)で、トルコのドンドルマみたいに延びる物だった。 自分が食べていると、学校帰りの少年が寄って来て、自分にもひとつ買ってくれという。彼としては 駄目元で、上手くすればアイスクリームをおごってもらえるかも、と思い声を掛けて来たのだろう。 外国人が町を歩いていると、時々子供達が寄って来て「アン・デイラハ」と言って、金をくれと言う。 この駄目元主義はインドに多いが、モロッコでも結構多く、子供だけでなく大人も声を掛けてくる。

 細い裏路地を歩いていると、先程見掛けた小さな  食堂があったのでこの店で昼食を取る事にする。  ここは中年夫婦2人で切り盛りしている食堂だ。  この店は小魚(たぶん鰯)の天麩羅を揚げていたが  自分としてはハリラが食べたかったので、聞くと  豆のスープが有ると言うのでそのスープを貰うと  トマトのサラダと、例の丸いパンが1枚付いて  15DH(約225円)だからマズマズの値段である。  豆のスープは定番のヒヨコ豆だったが、味の方は  マアマアという処だった。トマトを小さく刻んだ  サラダはモロッコのサラダの定番で、普通は他の  野菜も刻んで混ぜることが多いのだが。 食事をしていると近所の女性が小魚の天麩羅を買いに来たが、10DH(約150円)コインを出していた。 旦那が紙の袋に目分量で天麩羅を入れたが、女将さんが側にやって来て、旦那に小声で何かブツブツ 言って、袋の中へ入れた天麩羅を袋から戻していた(う〜ん、やっぱりオバサンは …… )。 食事が終るともう見る所も無いので戻ることにして、13時02分に「ドゥカラ門」まで戻る。この頃は 1日で1番暑い時間でしかも昼食時間の為、先程の様な団体さんの姿は、街中では見られなかった。 エッサウィラのメディナを一通り見て回ったが「何処が世界遺産?」と言いたくなるありふれた町だ。 この町は景色も良いし、とても静でのんびりと出来る良い町だが、未来に残すべき人類の文化財とは 余り思えない。この様な町ならヨーロッパだけでなく他の国に幾らでもあるだろう。

 「ドゥカラ門」を出ると広場を通って来る時と別の  近道を通り、バスターミナルへ行く。13時11分に  バスターミナルへ戻り、マラケシュ行きのバスを  運行するバス会社の窓口へ行って切符を買う。  マラケシュ行きのバスは1時間に1本でており、  次のバスは14時になるから時間がタップリある。  ターミナルビルのベンチで休んでいると、隣に  モロッコ人の若者が来て英語で話かけてくる。  当たり障りのないことを喋ってから駐車場へ  出ると次のマラケシュ行きのバスが待っていた。 車掌が乗れというので、かなり早いが良い座席を取りたいので、13時34分にバスへ乗り込む。これも かなり酷いボロバスである。しばらくすると若い中国人ペアーが乗り込んで来たが、エッサウィラで 見かけた初めての東洋人である。女性の方が英語が上手でイニシャーテイブをとっている様だ。 14時19分にエッサウィラのバスターミナルを発車したが、定刻は14時なのでひどい遅れだ。これは 思ったほど客が集まらなかったので粘っていたのだ。走り出しても客拾いをしてノロノロと走り、 14時33分にようやくエッサウィラの新市街をでて本格的に走り出す。14時56分にカサブランカへの 分岐点の町へ着いた。ここからカサブランカまでは327km、マラケシュまでは157kmとあった。

 バスは快調に走り、15時54分に来る時に休憩  した町へ着き、ここでやはり休憩をとる。  今回はバスから降りてみる。バスの止まった  前に在る食堂で数人の乗客が、食べていた。  この店はカバブーを焼いており、カバブーを  例のパンに挟んだサンドイッチを作っていた。  メインストリートには馬車が行き来しており、  モロッコはシルクロード以上に馬車の数が  多く見受けられる。馬車は田舎だけでなく、  マラケシュ等の大きな町でも大きな顔をして  走っている(こんなに多いとは予想外である)。 16時12分にここを発車すると快調に走っており、少しウトウトと寝てしまう。気が付くともう町へ 近付いており、18時07分にマラケシュ駅前を通ったが、ここで中国人のペアーが降りた。市内を走り 18時14分には長距離バスステーションへ到着したが、明るいうちにマラケシュへ戻れて良かった。 18時17分に長距離バスステーションを出ると「ドゥカラ門」を通って、そのままスークへ入る。適当に 歩き18時40分にジャマ・エル・フナ広場へ出る。ついでなので昨日の屋台に寄ってハリラを食べた。 ここのハリラはヒヨコ豆やマカロニが入っているので、結構ボリュームがあるし、それに美味しい。 19時00分にホテルへ戻ると、19時10分にシャワーを浴びる。それから1階のパティオへ降りて、 管理人の部屋のコンセントを使い、19時25分からパソコンと充電池の充電を始める。受付の机を使い 写真の取り込みや、データの打ち込みをする。21時00分に成ると何時ものアザーンが聞こえてきた。 21時45分にパソコンや充電を終わらせて部屋へ戻り、22時00分から洗濯をして22時53分に消灯する。 2007年5月25日(金)快晴後晴  今日もメディナをブラブラと。 3時20分に目を覚ましたが、物音がしていた。暗いがもう出かける用意をしている人がいるのだ。 3時43分に夜明け前のアザーンが聞こえる。4時06分に起床してパソコンを始めたが、出かける人は もう出たようである。この宿は8時近くまで玄関が閉まっている(モロッコは本当に朝が遅い)ので、 朝早く出る時や、夜遅く帰って来る時は、管理人を起こして鍵を開けてもらわないといけないのだ。 データの打ち込みが一区切り付いたので、5時18分にパソコンを終わらせて片付ける。 5時22分からベッドで横になり休憩に入るがもう眠れないので、6時58分にベッドから起きだして、 今度はガイドブックを読んだり出掛ける用意をする。7時56分にホテルを出たが玄関は開いていた。

何時もの様にまずはフナ広場へ出た。広場から北側の「スマリン門」を通り「スマリン通り」のスークへ 入る。今日は金曜日なので閉まっている店もあり、全体的に活気が無い。しばらくスークを行くと 右手に「ラパ・クディマ広場」が見えた。二又を右へ行くと、右手に大きな建物があったが、ここが 「マラケシュ博物館」で、その先に「ベン・ユーセフ・マドラサ」と「ベン・ユーセフ・モスク」がある (このモスクはとても大きく立派なもので、モロッコのモスクの中ではトップクラスだった)。 モスクの近くには王宮にある様な造りの白い小さな建物があるが、これが「クッバ・バアディン」で、 12世紀のムーラビト朝時代の水利施設だという。建物が今の地面よりもかなり低めに成っているが、 当時と今とでは地面の高さが違っているのだろう。この様な例はウズベキスタンで幾つも見ている。 この付近がメディナの北側の見所が集まっている所で、ここから東へ適当に歩いて行くと(詳しい 道順の表現のしょうがないので「適当」としか言いようが無いのだ)8時48分に「デパーキ門」へ出た。 ここで少し休み、9時05分に「デパーキ門」を後にすると、先程の道を戻り「アハマッド通り」へ出る。

「アハマッド通り」を歩いてみると広い幹線道路だが、閑散としており、周囲にはこれというものは 何も無かった。しばらく歩くと9時24分に「ルマート門」へ着いた。門を見てから、歩きだしたが、 街壁の外は面白くないので、内側の街壁に沿って歩くことにする。しばらく歩くと街壁を崩して 外へ出る道を造っている所があったが、ここで街壁の断面が見られた。やはり薄くて低い物である。 幅が1m程度の薄い壁など、攻城機で一突きすれば簡単に崩れてしまうだろう。 道成に歩いて行くと9時45分に「バイア宮殿」の入口へ出る。ここからフナ広場へ向かって歩いて いたら銀行の両替所が在ったので、手持ちのイギリスポンドを両替する事にした。これはイギリスへ 行った時に使い残していた物だ。ポンドは強く25£Eが392.2DHに成った。これで砂漠での生活に少し 余裕が出る。次はインターネット・カフェを探す事にし、とりあえず10時02分にフナ広場へでる。

 フナ広場から何時も歩く「リヤド・ジトゥン・  ラクディム通り」へ入ってみた。ゲストハウスへ  曲る路地のもう少し先に「インターネット」という  看板が見えたので、右手の路地の奥を見ると、  インターネット・カフェがあったので10時15分に  この店へ入る。小さな店でマシーンが5台ほど  置いてあったが、どれも新しいマシーンだった。  若い女性が店番をしていたので日本語が使えるか  どうか聞くと、その女性は、ソフトで日本語が  使えるようにしてくれたが、なかなか知識のある  人だった。スピードも速く、日本語の読み書きが  出来てとても快適だった。料金も約45分程使って  5DH(約75円)だったから安いと言える。この店は  当りのインターネット・カフェと言えるだろう。 10時56分にインターネット・カフェを出て、少し商店街を見て歩き、11時25分にホテルへ戻った。 荷物整理や休憩をして、12時45分からベッドで横になったが、眠れずにウトウトしただけだった。 14時45分にベッドから起き、出掛ける用意をすると14時55分散歩をしに出掛ける。フナ広場の北側の スークを歩いて、16時06分にホテルへ戻ると、16時09分にアザーンが聞こえる。今日は金曜日なので 6回真面目にやるようだ。16時15分にシャワーを浴びて、16時35分から洗濯を始める。洗濯を終えて 16時40分から1階のパティオへ降りるとパソコンと充電池の充電を始め、データの打込などをする。 19時25分にパソコンを終わらせると、部屋に戻り夕方の散歩へ出掛ける用意をする。

19時28分にホテルを出ると何時もの様にフナ広場へ向かったが、この前の食料品店でサンドイッチを 作ってもらうことにした。やはりジャガイモと玉葱を入れてもらったが、今日は、パンは半サイズで なく丸いまま1個にし、ミント・ティも1杯飲んで5DH(約75円)だった(これが正式な値段である)。 半サイズが3DH(約45円)で、丸のままが4DH(約60円)、ミント・ティが1DH(約15円)と安い店だ。 店先にたむろしていた人の中に日本語の上手な人が1人いて、話しかけて来たので少し話をしたが、 彼は日本で数年働いていた様だ。それで日本語が上手なのだ。自分の仕事を聞くので「仕事は無い」と 答えると、彼も「自分も仕事が無い、同じだ」と言っていた(少し違うと思うんだが (^_^;)。 夕暮れのフナ広場行くともう屋台村は活況を呈しており、多くの観光客が集まっていた。屋台村を ひと回りしてから、客引きをしているある屋台へ入って食事をとることにした(ものは試である)。

 それ程お腹も空いていないので野菜のクスクスと  ハリラを頼んだ。クスクスは日本の生麺と同じ  様に既製品が売られているもので、それを買って  きて、自分の店で湯掻くだけである。クスクスは  北アフリカの定番主食のひとつだった(過去形で  書いたのは、今では何処の国もパンが主食だ)。  上から掛ける具は店によって違うのだ。羊とか  牛、鶏、野菜などを煮込んだシチューのような物  なのだが、とかく汁気が少なくてパサパサして  おり、余り美味しい物ではなく好きに成れない。 この店は特に汁気も具の量も少なくて外れである。ハリラも、何時も食べる専門店の方が美味しい。 値段はクスクスが20DH(約300円)でハリラが5DH(約75円)だったからいい料金を取っているものだ。 屋台の店は観光客向けの手抜き料理で余りお勧めではない。やはり店を構えて、地元の人間が集まる 店の方が安くて美味しい。自分は何時も出来るだけ地元民を相手にしている店を選んで食べている。 暗くなった20時00分にホテルへ戻り、パソコンへ写真の取り込みをして、データの打ち込みをする。 20時57分に本日最後のアザーンが聞こえてくる。今日は昼寝をしておらず、眠いのでベッドで横に 成っていたら、21時10分頃に何時の間にか寝てしまっていた。 2007年5月26日(土)快晴一時晴  歴史地区を見て歩く。 0時20分頃に目を覚ましたので、電灯を消て正式に寝ることにしたが、2時25分には目が覚めて しまう。隣の部屋の住人は夜遊びをしていて、この頃に帰って来た。もう5時間近く寝たので目が 覚めてしまう。3時40分に夜明け前のアザーンが聞こえた。6時14分に起床してパソコンを始める。

パソコン終えると出かける用意をし、8時17分にホテルを出る。本日はメディナの南側の歴史地区へ 行くことにした。方向を定めて適当に歩いて行くと広場の様な道へ出る。8時35分正面に「ロブ門」が 見えて来て、左側にはとても立派な「アグノウ門」が在った。この門は方角の関係から夕方に成ると 夕陽が当たって綺麗なのだが朝は逆光になって精彩が無い。それでも立派な物はやはり立派である。 街壁や門の上にはコウノトリがたくさん巣を作っており、カタカタという独特な声で鳴いていた。 「アグノウ門」を通って少し行くと正面には大きな「アル・マンスール・モスク」があり、左手には 大きくて綺麗なミナレットが立っていた。モスクの前は広場に成っている。お土産屋やカフェなどが 並んでおり、門前町のような観光地に成っている。朝なので、客引きがいないから静で歩きやすい。

写真を撮っていると欧米人の団体さんがやって来たので、彼らの後を付いて行くと、広場から少し 離れた所にある「アサード朝の墳墓群」へ8時45分に着いた。ここは見学するので入場料を払ったが 10DH(約150円)だった。中へ入り、路地の様な所を通って行くと、高い塀に囲まれたパティオの様な 所へでる。中には大きな建物があるが、それは廟になっていて、中には幾つかの墓が並んでいた。 この墓はアサード朝(1549〜1659年)の王族達の墓である(どれが誰の墓なのか詳しい事は解らない)。 この廟はアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王(モロッコではこれに似た様な名前が良くある)が 壁で廟を囲んでしまったので、この廟の存在は忘れ去られて、1917年に上空から発見されたという まるで嘘の様な経緯がある廟である。確かに外からはこの廟の存在は解らないし、宮殿等という物は 迷路みたいな物で解りにくいのだ。中庭を歩いていたら日本人の6〜7人の小さな団体客に会った。 9時00分に「アサード朝の墳墓群」を出る。近くには、スケールは小さいが野菜市場が在り、そこを 通って行くと直ぐに「エル・バディ宮殿」の横へ出た。街壁と宮殿の高い壁の間を行くと入口へ着く。 ガイドブックでは廃墟だとあるが入ってみる事にする。ここの入場料はやはり10DH(約150円)だった。 この宮殿はアサード朝のアフメド・アル・マンスール王が当時の技術の粋を集めて造った宮殿だが、 アラウィー朝のムーレイ・イスマイル王が破壊して、それ以後廃墟と成っている(どうもこの王様は 再利用などというエコ精神が無いようだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という精神の持ち主の様だ)。

この宮殿は中央に大きなパティオ(中庭)があり、大きく四つに区切られて、四つの庭があった様だ。 中央の幅の広い部分がメインストリートだ。長方形のパティオ(中庭)を囲んで四方には建物が建て られていたが、建物は全て廃墟に成っている。しかし中庭には今でも当時の井戸やベンチが僅かに 残っており、当時の面影を忍ばせている。ベンチは四つの庭を結ぶ遊歩道に配置されていたようだ。

入口のある「GREEN PAVILION」の対面には、どうも風呂みたいな構造の跡があった。床がタイル張りに 成っているし、床には土管が張り巡らされているのでこれを使ってお湯や水を流していたのだろう。 この土管の作り方を見ると、現代の土管と少しも変わらない。この遺跡の横には夏用の宮殿(部屋)が 在るが、ここは入場料が別に成っているから、博物館のように成っているのかも知れない(入口で ここの入場券も買ってくれば良かった)。風呂(?)の周囲にはトンネルのような地下通路があった。

中庭を塀沿いに歩き1番目立つ大きな建物である「THE AUDIENCE PAVILION」を見たが、中は何も無く 壁だけが残っていた。入口から入った所(GREEN PAVILION)の右側の、壁の中は一段低く成っており、 ここには噴水を持つ同じ造りの三つの部屋があったが、ここはゲストハウスとの事だ。賓客が来たら この噴水のある部屋に泊めたのだろう。往時はこの部屋もタイル張りの綺麗な部屋だったのだろう。

ゲストハウスを出ると入口の「GREEN PAVILION」の前を通ってコーナー付近まで行くと、左手の建物へ 上がって行く階段が在ったので、上まで登ると、そこはとても良い展望台に成っていた。かつては 部屋だったようで、この部屋にも中央に噴水の跡が在る。こんな高い所に噴水を作るには、かなりの 技術力が必要だ。眼下には何も無いが広くて大きな「GREEN PAVILION」が在り、パティオ(中庭)の先に 四角い大きな建物の「THE AUDIENCE PAVILION」が見えている。中央の池を挟んだ対面には基礎だけが 残っている「CRISTAL PAVILION」と呼ばれている建物の跡が見えていた(その奥が「夏の宮殿」である)。 宮殿の壁の上にはコウノトリがたくさん巣を作っており、ここはコウノトリの棲家に成っている。 ここに住むコウノトリは軽く40羽を越えているようだ(「地球の歩き方」には「ツルやハトのすみかに なっている」と書いてあるが、これはコウノトリで、嘴を見れば解るし、鳴き声がまるで違う)。 9時10分に「エル・バディ宮殿」へ着いて一通り見学をし、10時00分にこの「エル・バディ宮殿」を 出たが、ここは殆ど見学者がいなくて、とても静で、メディナとは別世界だった(ここへ来るのは マニアックな個人客だけだが、自分はマラケシュの中では、ここが1番気に行った所だった)。 「エル・バディ宮殿」の壁に沿って歩いていたら、現代の王宮の入口に出て、道成りに歩いていたら 「アハマル門」まで行ってしまったので引き返すことにする。10時27分に「バイア宮殿」へ着いたので、 今度はここの見学をすることにした。ここは先程の「エル・バディ宮殿」とは違ってマラケシュで一番 見物客の多い所である。おそらくマラケシュへ来て、ここへ来ない観光客は1人もいないと言える。

やはり10DH(約150円)の入場料を払って門を入ると、建物まで少し庭の中にある道路を歩いて行くが 途中でバナナが成っていた。日本語ガイドを連れた老夫婦を見掛けたが、個人旅行をしている人が 居るのだ。当然ここは団体観光客のメッカとも言うべき所なので、日本人の団体さんもいた。宮殿の 入口の建物を入った所に在る小さなパティオは人で埋まっており、この宮殿の中は何処へ行っても、 見物客だらけだったが、ここはそれだけ見るべき価値の有る所といえるのだろう。 全ての建物の窓にしても天井、壁、柱にしてもとても素晴らしい細工や彫刻がなされていた。ここは 時代的には少し新しいが、これらの装飾はスペインのアルハンブラ宮殿やトルコのトプカプ宮殿より 素晴らしいもので、ここを見た後でアルハンブラ宮殿やトプカプ宮殿をみたらガッカリするだろう。 この「バイア宮殿」をみたらイスラムの宮殿がどんな物か満喫できるだろう(ここはお勧めの所だ)。

この宮殿は幾つかの建物から成り立っているが、ある建物の部屋は天井や梁が木で出来ている処が あった。これは、イスラム建築としては珍しい物で、木造でこれだけの素晴らしい物は初めて見た。 これだけのイスラム木造建築物は、ウズベキスタンのヒヴァのイチャンカラで見たモスク以来だ。 この宮殿の中には休める処が無いので、入った所の小さなパティオ(中庭)の縁に座って少し休み、 11時05分に「バイア宮殿」を出たが、暑くなって来たこの時間でもまだ多くの観光客がやってくる。 近道である何時もの「リヤド・ジトゥン・ラクディム通り」を通って11時16分にホテルへ戻った。 部屋に戻ると荷物整理をして、12時05分頃よりベッドで横になったが、何時の間にか寝てしまった。 タップリ眠れて15時00分にベッドから起きると、出掛ける用意をして、15時06分にホテルを出る。 まだ陽射しが強いが、ジャマ・エル・フナ広場からスークの中を歩き、途中で非常食のビスケットを 2袋買った。1袋に20枚程入っていて、僅か2DH(約30円)だった(これは水分がまるで無いくらいに パサパサしており、賞味期限などまったく関係無く、化石に成るまで長持ちしそうである (^^;)。

「アハマッド通り」へ出たがこの通りには多くの荷馬車が集まっていた。この通りを歩き「ルマート門」 まで出て、ここから前回歩いた街壁に沿った道を歩いたが、ここにも馬車がたくさん走っている。 マラケシュもやはり馬車が強力な運送手段に成っているようだが、シルクロードと違うのはロバ車を 殆ど見掛けないことである。「バイア宮殿」の入口を通り、宿の近くでクレープの様な薄焼きのナンを 買ったが、1枚が2DH(約30円)だった(これは具の入っていないチヂミみたいなものだ)。 16時05分にホテルへ戻ると16時10分から1階のパティオへ降りてパソコンと充電池の充電を始める。 何時もの様に充電をしながらデータの打ち込みをしていたが、19時05分に切の良い処でパソコンを 一旦終わらせて出掛ける用意をすると、19時10分にホテルを出る。 19時25分に「アグノウ門」まで行って夕景色を眺めてからフナ広場へ戻り、例のサンドイッチを買い、 オレンジを1kg(5個)買って、19時57分にホテルへ戻る。20時05分からパソコンと充電池の充電の 続きを始め、21時08分にパソコンを終わらせると部屋へ戻った。21時20分にシャワーを浴びてから、 荷物整理を始める。明日はいよいよマラケシュを出てアトラス山脈を越え、サハラ砂漠へ入るのだ。 荷物整理が終わり、22時15分に消灯する(タップリ昼寝をしたのにシッカリ眠れるものだ (^^;)。

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