2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の三 5月27日〜5月29日  砂漠の玄関ワルザザード


2007年5月27日(日)晴後快晴  世界遺産アイト・ベン・ハッドゥ。

3時40分にアザーンが聞こえたが、アザーンの前にもう目は覚めていた。眠れずしばらく横に成って
いたが、5時05分に起床して出かける用意をする。少し早いが管理人を起こして5時40分にホテルを
出ると、この前歩いた同じ道を歩いて長距離バスステーションへ行く。早朝はやはり涼しくて荷物を
背負っていても汗を殆どかかないので良い。6時03分にマラケシュ長距離バスステーションへ着く。

切符売場へ行く前に客引きに捕まり「何処へ行くのか」と言うので「ワルザザード」と答えると駐車場に
止まっているバスの所まで連れて行き、リュックを強制的にトランクへ入れられ、荷物代だと言って
10DH(約150円)とった(後から解ったのだが、これは荷物代としては高すぎ、荷物代は5DH(約75円)で
5DH(約75円)はこの男の稼ぎに成ったようだ。彼は車掌ではなかった)。6時08分にバスへ乗り込む。
バス代はワルザザードまで70DH(約1,050円)だというから、距離の割りには若干高い様な気がする。

バスに乗ると、1人の日本人青年のバックパッカーがいたので言葉を交わす。彼もワルザザードへ
行くというので行動を共にする事にした。彼は1年間のワーキング・ホリデーでドイツのベルリンに
住んでおり、今回は暇を作ってモロッコ旅行に来ているという、建築家を目指している青年だった。

6時32分、ほぼ定刻にマラケシュのバスターミナルを出る。やはり途中で客を数人拾っていたが、
市街地を抜けると本格的に走り出す。7時12分頃から丘陵が現れだして、山岳地帯へ入って行く。

次第に高度を上げて行き、道路は稜線や山腹を縫うように走っている。山肌は殆ど樹木の生えて いない荒地だが、水の流れている谷間だけは、樹木や畑などで綺麗なグリーンベルトになっている。 川沿いのグリーンベルト地帯には小さな集落が断続的に続いており、動物達の足で踏ませて脱穀する 円形の脱穀場が所々にあった。中央に柱を立てて、動物達をグルグルと回らせて、足で踏ませるこの システムは、中央アジア、南アジア、中近東では今でも行われている脱穀方法である。 7時40分に小さな峠へ達したが、高度計は1295mを示していたから、実際は1500m近い高さだろう。 峠から少し降りた何も無い樹林帯で、7時44分にバスが止まったら、後部座席にいた女性の集団が 全員降りてしまった。一体ここには何があるのだろう。8時02分道路脇にあった茶店の前で停車して 休憩になった。どうやら朝食タイムのようなので、みんなバスから降りる。 乗客の中には茶店でサンドイッチを作ってもらい、ミント・ティやカフェ・オレを飲んでいる人が いたので、自分も左手の売店で、ゆで卵とチーズを入れた半サイズのサンドイッチを作ってもらう。 4DH(約60円)だから、こんな場所としては良心的な値段だ。茶店の方でミント・ティを頼んだが、 小さなポットに入って相場の5DH(約75円)だった。“ベルリン君”と2人で飲んだが小さなコップで 3杯分くらいしかなかった。渋いので、日本の感覚ではもう1回お湯を足して飲みたいくらいだが、 モロッコ人は1回だけで、決して二番煎じはしない(絶対に2番目の方が飲みやすいと思うのだが)。 8時29分に発車し、しばらく走ると9時09分に高原状の峠へ出たが、高度計は1925mを示していた。 更に少し登り、9時15分には最高点を通過する。高度計は2055mを示していたので、ここはおそらく 2300m近い高さだとおもう。9時41分高原に在る村へ着いたが、ここでは降りる人がいた。高度計は 1555mを示していた。平坦地へ降りると10時04分に何故かバスが停車した。バスの調子が悪いようで 運転手が降りて行き点検をしていたが、すぐに走り出す。この付近からいよいよサハラ砂漠が始る。 10時08分に大きな二又で停車したが、ここで降りる人がいた。この人は右手前方の高台に在る集落へ 行くようだ。左へ行くとワルザザードで、ワルザザードまで45kmと書かれた道路標識が立っていた。

ここまで来るともう砂漠地帯だが、サハラ砂漠はゴビ砂漠やタクラマカン砂漠等と同じ様に「土漠」と いうもので、日本人のイメージする砂丘の連なる砂漠ではない。砂漠などというものはそうあるもの では無いのだ。涸れ川が在ったが、涸れていても伏流水があるので、川沿いには樹木が繁っている。 そして川沿いには集落があるが、中には古い形式のはクサルがあった(クサルとは集落を土壁などで 囲い込んで要塞化した村。従ってそこの土の色と村の色は一体化している)。これら有名ではない、 ありふれたクサルほど見てみたいものである。注意して見ていると、今でも結構残っているものだ。 自分はクサルを見つけ次第写真を撮っていたが、“ベルリン君”もクサルや民家、モスクなどを 見ると建築の資料とするので盛に写真を撮っていた。 バスは快調に走り、近代的な建物が出てくると10時56分ワルザザードのバスターミナルへ到着する。 我々がバスから降りるとホテルの客引きが寄って来たが、ホテルの名前を聞くと「ホテル・ババ」と 言うので、これは自分が予定していたホテルなので、渡りに船と彼にホテルまで案内させる。

このホテルはバスターミナルの駐車場を出た筋向いに在るビルの中に在った。1階が食堂で、2階に フロントがあり、フロントの奥には広いサロンがあって、多くのソファーやテレビが置いてある。 客室は2階と3階にあり、建物の中には吹き抜けの広場があった。我々は別々にシングルの部屋が 欲しいと言い、自分の部屋はフロントの近くの1号室で、“ベルリン君”は3階の部屋をもらう。 10時59分にチェックインの手続きをすると部屋へ入ったが、この部屋はツインだった。やはり普通の シングルの部屋は無いようだ。部屋には定番の洗面台があり、小さいがテーブルと椅子があったし、 この部屋は広いのでクロークが付いている。1番気にしていたコンセントが有ったので良かった。 マラケシュのあの狭くて暗い部屋に比べたら、これで1泊50DH(約750円)は、モロッコとしては安い。 早速荷物を解体し、パソコンや充電池の充電を始める。一息ついたので、ロビーで“ベルリン君”と 落ち合って昼食をとる事にして、11時25分に1階の食堂へ行った。店内は余り雰囲気が良くないので オープンテラスのテーブルに座り、メニューをもらったが、やはりフランス語で書かれていた (^^;

 自分はそれ程お腹が空いて  いないので、当たり障りの  無い軽い物にする事にして、  「ベルベル風オムレツ」と  ミント・ティをもらった。  ベルベル風オムレツとは  トマトを刻んで炒めた物に  卵を落として、オリーブを  添えた物で、結構美味しく  好みの物だ。ミント・ティは  定番の小型ポットに入り、  大きな角砂糖が付いていた。 我々が食べ始めた頃、この宿に泊まっている1人の、細くて背の高い日本人青年がやって来たが、 これが“ノッポさん”との最初の出会いだった(彼は顔の感じから、漫画家の馬場のぼるに似ていた ので“のぼる君”にしようと思ったが、帽子のイメージがノッポさんに似ているのたので、こちらを 採用することにした)。この時、彼と一緒だった、日本語がとても上手なモロッコ人のハッサン青年 とも会った(この時、この3人がこれから先も、しばらく一緒に旅をするとは思わなかった)。 食事が終ると“ノッポさん”やハッサン青年と別れ“ベルリン君”と2人で、ワルザザードの近くに 在る世界遺産の「アイト・ベン・ハッドゥ」へ行くことにする(“ノッポさん”は既に行っていた)。 「アイト・ベン・ハッドゥ」への行き方は「地球の歩き方」にはタクシーをチャーターして行く方法しか 書いていないが、300DH(約4,500円)も掛かるという。“ベルリン君”が事前に調べた処、国道から 「アイト・ベン・ハッドゥ」への分岐点であるワドマレ村までローカルバスで行き、そこから乗合いの グランタクシーで行くと安く行けると解っていたので、その方法で行くことにする。 バスターミナルへ行くと1人の男が近付いてきて「何処へ行くのか」と聞くので「ワドマレ」だと言うと マラケシュ行きのバスまで案内した。我々が乗る前にこの男はバスの車掌とコソコソ話をしていたが 我々に1人20DH(約300円)という。ワドマレまでは5DH(約75円)と解っているので、払わなかったら 今度は切符を持って来て10DH(約150円)だという。しょうがないので10DH(約150円)払ったが、 この男は車掌とグルになっており、車掌が直接我々に切符を売らないように先程言っていたのだ。 この男は乗るバスを教えたからと金を請求しているのだが、これはマラケシュのあの男と同じだ (この様に外国人を捕まえてはバスターミナルで乗るバスを教えたりして金を稼いでいる男がいる。 これはCTMのバスターミナルにはいないが、民営バスターミナルには必ずいた)。モロッコでは 道を教えたから、カメラのシャッターを押したから、写真を撮ったからと、少しでも他人に何かを したら金を取るという風潮が強い。さすがのインドでもこれ程の事は今までに経験した事がない。 13時07分に“ベルリン君”と2人でマラケシュ行きのバスに乗ると、13時18分にバスターミナルを 発車する。来た時と同じ道を走り、13時49分にワドマレ村のバス停へ着く。ここから乗り合いの グランタクシーを捕まえるのは至難の業なので、タクシーをチャーターすることにして、近くにいた 手配師と話をする(グランタクシー乗場には日本の配車係りみたいな男が居て仕切っているのだ)。 「アイト・ベン・ハッドゥ」まで往復して、向うで1時間程待ってもらい120DH(約1,800円)という事に 話が決まった(因みに“ノッポさん”はワルザザードから250DH(約3,750円)で行って来たという)。 ワドマレから「アイト・ベン・ハッドゥ」までは約9qだから、高いといえば高い。片道のチャーター 料金は30DH(約450円)だから、片道だけ乗って、帰りは別のグランタクシーを捕まえるという方法も ある。そうすると60DH(約900円)で往復できる事に成る。因みに、帰りにワルザザードまで行けば、 150DH(約2,250円)だというが、ワルザザードまで30DH(約450円)の加算は妥当な値段と言える。 14時02分にワドマレ村からタクシーに乗って出る。荒地の中にまともな舗装道路が出来ていたが、 世界遺産なので観光対策として道路を整備したのだろう。14時12分に「アイト・ベン・ハッドゥ」の 駐車場へ着いた。この付近は観光客相手のお土産屋や食堂、カフェなどが並んでいた。

駐車場の左手の坂道を降りて行くと、目の前が開けて、下に涸れた川があり、対岸の低い丘陵には 「アイト・ベン・ハッドゥ」のクサルが見えていたが、確かに今まで見たクサルの中ではとても良い。 ただ修復した所が余りにも綺麗過ぎて、修復しない所とのバランスが取れなくて違和感を感じる。 自分はどんな遺跡でも修復するのは反対で、発見された状態が長く保つ様に保存すべきだと思う。 ヨーロッパなどではこの様な発想法で、出来るだけ現代の手を加えないで保存している所が多い。 川には一滴も水が無かったが、水が流れていると渡るのが大変だろう。クサルの入口へ行き入場券を 買ったが、ここにはちゃんとした入場券売場は無く、近くに住んでいる男が入場料を徴収していたが 言わないと入場券をくれなかった(入場券を発券しないと、その金は自分の懐に入るという訳だ)。 ここも入場料は10DH(約150円)だったが、モロッコは何処でも入場料は同じ料金に成っているようだ。 入口で入場券を売っていた男に“ベルリン君”がトイレを借りたいと言って、その人の家のトイレを 借りたら、使用料が5DH(約75円)だという(公衆トイレの使用料は1DH(約75円)に成っている)。 別段見学コースが決まっている訳でもなく、説明板や指道標なども無いので、適当に建物の中や、 村の細い道を歩いて見て回ったが、個々の建物を見るよりも、村の建物の全体的な景観が良い。 途中で行き止まりみたいに成ったので、近くに居た村の小母さんに道を聞いたら道を教えてくれて、 10mほど離れた村の道への上り口まで案内してくれたが、この女は手に5DHコインを持っていて、 我々に道を教えてあげたから5DHくれというので、2DH渡すと、1人の婆さんが慌てて出てきて、 自分の庭を通ったからやはり5DHをくれという。どうもここに住む村人(現在数家族住んでいる)は、 常に5DHコインを持っていて、外国人に何かをすると、そのコインを見せて金を請求している様だ。 5DH(約75円)とは朝食やスナック、お茶代などの基本単価で、日本で言えば500円前後に相当する。 バスターミナルの男もそうだが、大人は5DH請求するが、子供達は「アン・デイラハム(1DH)」だ。 日本でも「100円ちょうだい」と大人から金をもらって、コンビニで食べ物を買ったりしている少女が 渋谷や新宿にいるというから、余り他所の国の事を言えた義理ではないが (^_^; ここに住む村人達は完全に外国人から何か理由を作っては金をせびっている様だ。ここの村人達は、 他人に対して親切にしてあげるというホスピタリティな考え方はまったく無いようで、他人に何かを してあげたら、その報酬として金を取るという、モロッコ人的な発想法しか持っていない様だ。 これは同じく貧しい国だが、東南アジアなど東洋には余り無いことで、うかつに口がきけなくなる。

だんだんと上の方へ行くと村の全貌が見えて来て、頂上にある穀物倉跡が近付いてきた。14時38分に アイト・ベン・ハッドゥ村の頂上へ着く。頂上のこの穀物倉は、村の最後の砦ともなっていた所で、 今は崩れて1枚の壁しか残ってなく、三方の壁は崩れて何も残っていない。頂上から川を眺めると、 部分的に水の流れている所があるので、ちょうど村の入口付近が伏流に成っているのだ。 上の方から村の写真を撮ろうとすると、家の壁などにポスターみたいな派手な色使いの、大きな絵を お土産として並べいてるので、土壁の景観を壊してしまい、写真を撮るのに邪魔に成った。これは 日本の白川村などの観光地にも言えることだが、看板とか、商品が外から解るような陳列方法は、 そこが持つとても良い景観を壊しており、存在価値を低めてしまうので止めてもらいたいものだ。 帰り掛け、大分下へ降りた所に、或る建物が在ったので、その中を通って外へ出ようと思って、中へ 入ると農具や民具などが部屋に並べられていた。おかしいと思いながら下へ降りて、外へ出ようと したら、そこに2人の青年が座っていて入場料を出せという。我々は入場券を見せたが、どうやら これは彼らが個人的にやっている民族資料館の積りらしい。下の入口にも看板など無くて、ここから 入ろうという人から金を取っているらしい。ここで彼らに金を払うと、そのまま村へ入れるという 事になり、公的な入場料が入らなくなってしまう。監督官庁は、この様なことは取り締まるべきだ。 自分も“ベルリン君”も英語がわからないという振りをして金を払わずに出てしまったが、彼らは 我々の方に向かって唾を吐きかけていた。ここの村人達は本当に世界遺産を喰い物にしている。 世界遺産とは人類全ての遺産で、村人の為やモロッコの為の世界遺産ではない事が解っていない。 15時12分にアイト・ベン・ハッドゥの駐車場へ戻ってタクシーに乗り、15時22分にワドマレへ戻る。 しばらく待っているとワルザザード行きのバスが来たので、15時46分にバスへ乗ってワドマレ村を 後にする(バス代はちゃんと5DH(約75円)だった)。16時12分ワルザザードのバスターミナルへ着く。 ホテルへ戻り一休みすると2階のロビーで“ノッポさん”やハッサン青年など皆と話をして過ごす。 音楽の話になり、20時40分にハッサンの案内で、ホテルの近くのCD屋へ出かけることになった。 店の親父が気の良い人で、何枚も試聴させてくれ、自分はベルベル族の民族音楽のCD4枚を買う。 1枚が13DH(約195円)ととても安かった。もっと欲しいのだが、まだ旅が始まったばかりなのだ。 21時35分にホテルへ戻り、皆と夕食をとる事にしたが、今度はチーズ・オムレツ(20DH=約300円)と コーヒー(5DH=約75円)を頼んだが、このオムレツよりも、昼間のベルベル風オムレツの方が 美味しい。コーヒーはエスプレッソの濃い物(モロッコのコーヒーは、フランスの影響で、全てこれ だった)で、量も、とても少なく、本来は小さなカップで舐めるように飲む物だ。どうも自分は アメリカンやカフェ・オレの様に大きなカップでガブガブと大量に飲む方が好みである。 しばらく話して、22時07分に部屋へ戻り洗濯をして身体を拭く。充電はもう終っており、パソコンへ 写真の取り込みだけをすると、22時53分に消灯する。“ベルリン君”と“ノッポさん”の2人は、 明日はティネリールへ行き、トドラ渓谷へ行くというのでお別れだが、“ベルリン君”とは明後日 メルズーガで同じ宿に泊まることに成っており、又会えそうである。自分はここにもう1泊して、 町外れにあるという「タウリルトのカスバ」と、ワルザザードの町を見て歩くことにしている。 2007年5月28日(月)快晴  行って良かった「タウリルトのカスバ」。 2時25分に目が覚めてしまい、その後はウトウトしていた。4時52分に起床してパソコンを始める。 5時10分頃から明るくなりだした。パソコンを片付け出かける用意をして、ロビーのソファーで寝て いるスタッフを起こして玄関を開けてもらい、6時20分に1人で散歩をしにホテルを出る。散歩の 目的地は町の東の外れに在るという「タウリルトのカスバ」であるが、この町での見所はここだけだ。

 ホテルをでると先ずはバスターミナルへ行って  見る事にする。昨日は駐車場から直接出たので  ターミナルビルは見ていないから、建物の前を  通る。ターミナルビルの外観は綺麗で、町の  割りに大きくて、最近出来た建物と思われる。  バスターミナルをひと回りしてからメイン・  ストリートの「ムハンマド5世通り」へでる。  バスターミナルの近くには他のホテルがあるし  近くにインターネット・カフェもあり、新しい  銀行もある。この付近はスークさえあれば、  なかなか居心地の良い所で、この付近は土地が  広いので将来発展して行く所だろうと思う。 メインストリートを歩いて行くと少し登坂に成っており、右側にモスクが在った。モスクを通り過ぎ 高台へ上がると、そこがこの町の繁華街に成っており、ホテルや商店、銀行などが並んでいた。

ちょうど中央付近に「ホテル・ロワイヤル」があったが、ここは我々が泊まっている「ホテル・ババ」と 並んでバックパッカー御用達の安宿である。自分がこのホテルの下を通った時、2階の窓から外を 見ていた1人の若い女性が、自分に挨拶をしてきたが、彼女は東洋人で日本人女性のようだった。 ここを通り過ぎると下り坂になり、6時55分にCTM(公営バス)のバスターミナルへ着いたので、 ついでにここから出るバスの時間を調べることにする。建物はとても小さな物で、やはりここから 出ているバスの本数はとても少なく行先(路線)もとても少ない。やはり民営バスの方が便利である。

バスターミナルを出て少し行くと、大きな二又に出たので、何となく右側の道へ入って更に降りて 行くと7時07分に町外れのT字路へ出る。右側(メディナ、ザゴラ方面)へ行くと、とても開けた所へ 出たが、そこは草原の様になっているが、ここはワルザザード川の河川敷で、橋が掛かっている。 そろそろ朝の通勤通学時間なので、ワルザザードへ向かって出てくる人を見掛ける。 このT字路から反対方向へ行ったが、この時この道が解らなかった。何時もの様に地図を見ないで 感で歩いているからだ。閑散とした所を歩いていたが、大きな道路へ出た。右手の角には大きな 「ホテル・リヤド・サラム」があり、ここでどうにか自分の居場所が解っのだが、それでも間違えて 最初は左へ行ってしまう。途中で引き返して、左へカーブすると、正面に「タウリルトのカスバ」が 見えて来たが、これは想像以上に大きなもので、普通のクサル並の大きさだった。カスバとは個人の 「住宅」だが、「住宅」といっても城みたいな物で、土地の首領(日本の戦国大名みたいなもの)の家だ。 カスバの裾を通り、二又を右へ曲って、坂を上ると左側に階段状になった広場があり、7時38分に その階段の日陰に座って休むことにし、ここからカスバの写真を撮ることにした。まだ中へは入れ ないので、7時55分にここを出ることにする。帰りはメインストリートを素直に歩くことにした。

「ムハンマド5世通り」を行き、郵便局の先で右に曲り「スーク通り」へ入ったが、この通りにも商店や インターネット・カフェがあった。少し行くと広場へ出たが、この広場の周囲にも安宿が数軒ある。 スークを覗いて見たが、まだ早いので店は閉まっていた。「スーク通り」を行くとやがて下り坂になり メインストリートと合流する。この頃に成るとかなり暑くなって来て、日の当たる所は嫌に成る。 ホテルを通り越して9時00分に民営バスターミナルへ行き、ターミナルビルの中へ入って見たが、 中にはカフェや売店などもあった。下調べをして9時17分にホテルへ戻ると、1階のレストランでは ホテルのスタッフが2人朝食をとっており、自分を見付けると「座れ」というので、テーブルに座って 彼らからミント・ティをご馳走に成る。2人の青年はもうティネリールへ出かけたという。 彼らは大きな皿にオリーブオイルを入れ、それにカマンベール・チーズを2個入れて、例の丸い パンを千切って、オリーブ・オイルやチーズをなすり付けて食べていた。これを見ていて納得した。 パンにバターを付ける代わりにオリーブ・オイルを付けて食べているのだ。この方がバターよりも 健康的だろうし、見ていて何となく粋な感じである(日本人には少し抵抗があるかも知れないが)。 9時35分に部屋へ戻り、荷物整理をしてから洗濯をする。10時20分にシャワーを浴びたが、この時間 でもお湯が出ていた。部屋に戻ると少し休み、10時55分からパソコンを始め、データを打ち込む。 12時20分にパソコンを止めてベッドで横になったが、少しだけウトウトする。13時35分にベッドから 起きだしてパソコンの続きをしていたが、15時25分に終わらせ出かける用意をする。砂漠地帯では、 日中は気温がとても高いので、朝の9時か10時頃から、夕方の17時頃までは部屋に篭って昼寝をして いるのが、正しい砂漠の生活の仕方なのだ(これは暑季のインドや東南アジアでも同じである)。

まだ暑くて少し早いが、15時46分にホテルを出る。今度は寄り道をせずにメインストリートを歩き 16時28分に「タウリルトのカスバ」へ着く。朝と違って光の角度が違うので、今は西側からが綺麗に 見えている。北側の門まで行って中へ入る事にする。入場料はやはり10DH(約75円)だ。門を入った 広場の右側に大砲が置かれていたが、これは20世紀の初期の頃の物だろう。このカスバの主人と いうか城主は、この様な大砲も持っていたようだ。大砲の所で座り、少し休んでから見学を始める。 見学は正面の建物から始るので中へ入る。ヨーロッパ人の団体さんが2組いるので、彼らを避けて いかなければならない。このカスバはマラケシュからこの付近に掛けて勢力を持っていたグラウイと いう首長の居城で、彼はこの他に数ヶ所にカスバを持っている。現在公開されている部分は、歩いて 見ると1/3か1/4くらいと思われる。細い階段で多くの部屋が連なっており複雑な構造に成っている。

上に行くほど部屋の装飾などが綺麗に成って行き、銃眼の窓にも小さな戸が付いていた。天井や壁 などの装飾もなかなか凝ったものがある。最上階の部屋へ行くと展望が良く、カスバや周囲の景色 などが眺められる。一通り見学したので、先ほどの大砲の所まで戻り、少し休んで、17時09分に カスバを出る。建物の中は涼かったが、外へ出ると西日がまだ強くて暑いので、歩くと汗をかく。

 来た時と同じメインストリートを歩いて帰る。  途中でスークへ入りスークの中を見て回った。  全ての店が開いていたが、生鮮野菜や果物等の  店は少ないようだ。スークを出て17時40分に、  表通りにある「スーパー・マルシェ」へ入り  買い物をする。この店では酒やビールを売って  おり、酒屋並の品揃えで、種類も量も豊富だ。  ここは小さい店だが、スーパーらしく一通りの  商品が揃っている。ここでビニール袋入りの  牛乳(500cc入りで、3.0DH=約45円)と、  飲むヨーグルト(500cc入り、3.1DH=約47円)、  瓶入りイチゴジャム(8DH=約120円)を買う。  牛乳が買えたという事は上出来である。 買物が終わり外へ出ると温度計があり、この時の気温は38℃と表示されていた(もう18時近いという のにいい加減にしてもらいたい)。アトラス山脈の北と南では気候が違い、温度差もとても大きい。 「スーパー・マルシェ」の筋向いのビルにインターネット・カフェがあったので入ってみる事にする。 店の男に「日本語が使えるか?」と聞くと、係りの青年が日本語IMEをインストールしてくれた。 インストールが終わり、18時05分よりインターネットを始めたが、マズマズのスピードだった。 18時35分にインターネット・カフェを出て、ホテルの近くまで戻り、近くの食料品店でオレンジを 1kg買い、サンドイッチを作ってもらう。買い物を終えて18時59分にホテルへ戻る。19時10分から シャワーを浴びるとサッパリする。25分からパソコンへ写真の取り込みとデータの打ち込みを始め、 21時35分にパソコンを終わらせると、明日は移動なので荷造りの用意をし、22時03分に消灯する。 ここには3泊の予定だったが、2泊にしたので更に1日スケジュールに余裕が出来た (^^)v 2007年5月29日(火)快晴  メルズーガを目指して。 4時42分に目が覚めたので、起床して最終荷造りを始める。ロビーで寝ていたスタッフを起して、 2日分の宿代100DH(約1,500円)を払い、5時01分にチェック・アウトをする。玄関を開けてもらい 5時03分にバスターミナルへ行くと、もうバスがいたので、行先を確認してからバスに乗り込む。 エルフード行きのバスは定刻より5分早く、5時25分にワルザザードのバスターミナルを発車する。 早朝だというのに通りを歩いている女性がたくさんいたが、歩き方から見てどうやらウォーキングを しているようだ。それにしてもスカーフを被り、民族衣装を着て早足で歩いている姿は陳腐である。 5時36分に町外れに在るワルザザード空港の横を通り、5時42分に町を出ると本格的に走りだす。 5時51分に橋を渡り、5時53分に大きな分岐点へ着いたが、ここでお客が1人乗り込んで来た。

バスは山脈と砂漠のと境目を走っていくが、左手にはヤシの木が連なっていた。きっとその付近には 川が流れているのだろう。バスの走っている道が通称「カスバ街道」と呼ばれている道で、この道だと 水が手に入るので昔から利用されていたのだろう。バスから見ていると多くのクサルやカスバなどが 見受けられて目の離せない所である。6時16分に少し大きな町へ入ったが、ここで客の乗り降りが 多かった。6時20分にこの町を発車する。この付近は高度1200〜1400mの高原になっている様だ。 6時53分に或る小さな町へ入ったが、高度計は1230mを示していた。6時58分町を抜けて川を渡る。 7時05分に或る大きな町で止まったが、ここで殆どの客が入れ替わってしまう。7時16分にこの町を 発車する。7時43分に川を渡った所に在る大きな町を通ったが、結構町が続いているものだ。 8時34分に小さな町で止まり、ここでもお客が降りる。ここからほんの少し行き、8時38分に大きな ティネリールの町へ着く。ここには銀行やホテルがあり、ここで殆どの乗客が入れ替わってしまう。 長時間の停車は無く、8時41分にはもうティネリールのバス停を発車する。 バスが発車すると自分と通路を隔てて反対側に座っていた青年が英語で話しかけてきたが、この時は 当たり障りのないことを話していた。外国で「土地の人間が日本人に対して日本語で話しかけてくる 奴の100%、英語で話しかけてくる奴の90%以上は必ず下心が有る奴だ」というのは旅の法則なので、 それなりの体制に入る。「何処へ行くのか?」聞くので「メルズーガだ」と答えておく。 8時48分に町外れに在るガソリンスタンドで給油の為に止まったが、ここで朝食休憩となったので、 自分もバスから降りる。話しかけてきた青年とお茶を飲むことになったが、自分はまだ朝食をとって いないので、カフェでサンドイッチを作ってもらっていたら、1人の男が近付いてきて「あの青年は とても良い奴だ」と英語で青年をヨイショしている。これはおかしいと直ぐに解る。外のテーブルで 食べていたら、その男も我々のテーブルにやって来たので、2人はグルに成っている事が解った。 2人はさっそく砂漠ツアー(1泊2日が350DH=約5,250円というからこれは相場)とゲストハウスの 勧誘にかかった。「やっぱり」と思ったが、ひとつ驚いた事は、こんなに離れた所から網を張っている という事だ。普通は町へ入る少し手前から乗り込んでくるものなのだが。この時この男が気に成る ことを言った。それは「我々4人でエルフードからタクシーでゲストハウスへ行こう」と言った事だ。 という事は、自分以外にもう1人カモに成り掛かっている人間がいると言う事だ。 休憩時間がおわりになったので、急いでバスへ戻って車内を見回したら、後部座席に1人の大きな 日本人青年がいるのを見つけたので「客引きがいるから気をつけろ」と警告を発して自分の席に座る。 バスは9時22分発車する。走り出すと青年はゲストハウスのチラシをくれて勧誘したが、泊まる所は 既に決めており、砂漠ツアーには行かないというと、彼はチラシを返せと言うので返す。彼は後ろに 座っている日本人青年“千枚君”にアタックしていたが、彼からも断られて、途中で降りて行った。 この2人は次のバスに外国人が乗っているのを見つけると乗り込んで勧誘をするのだろう。こうして 客を捕まえるまで、バスを乗り継ぎながらエルフードまで行くのだろう。10時08分に或る小さな町の バスターミナルへ着き、しばらく停車して、10時22分に発車する。10時25分に大きな二又へ出ると、 右に入って行ったが、この道がエルフードへ行き、左に行く道はエル・ラシディアへ行く道である。

砂漠の中を走って行くと、11時30分頃からカレーズが見えてくる。掘り出した砂が小さな塚になり、 その塚が連なっている。作り方は中央アジアのカレーズ(地下水路)と同じだが、塚の間隔がとても 狭い。所々に管理人のテントが張ってあったが、そのテントはベドウィン族の典型的なものだった。 11時33分に小さなオアシスの村へ着き、ここで数人降りる。11時43分にはかなり大きな町を通ったが ここはエルフードと間違えた程の町だ。バスの中で“千枚君”に自分は、メルズーガの宿は日本人 女性が経営する「ウィルダネス・ロッジ」へ泊まると話すと、彼もそこに泊まりたいと言い出した。 彼は日本から、この旅行中の全てのホテルをインターネットで予約しており、日本で事前に作った 計画通りに動いているので、メルズーガの予約しているホテルがキャンセル出来るかどうか、心配 して聞いてきたので、問題ないと言うと、彼も「ウィルダネス・ロッジ」へ泊まることに決めた。 彼はとても大きな荷物を持っており、それはカメラや大きな三脚などである。彼は写真マニアで、 1日に千枚も写真を撮るというから驚きだが、「多い時は1日に2千枚も撮ります」と言っていた。 「終電が無くなり始発が走るまで新宿と渋谷を2往復して写真を4百枚撮った」という武勇伝を持って いるとの事だから、彼は根っからの写真好きの様である(そして凄いスタミナの持ち主でもある)。

 町を抜けてしばらく走ると、12時12分に  エルフードの民営バスターミナルへ着く。  ここはターミナルビルなど無く、小さな  事務所と待合室があるだけで、事務所の  前の広場が駐車場代わりに成っている。  ここはグランタクシー乗場にも成っており  言い寄ってくる奴がいるので、とりあえず  日陰へ行ってこの先を考えることにした。  メルズーガへ行くバスを調べたら無い事が  解り、タクシーで行くか、リッサニへ行き  そこからタクシーで行くしか方法が無い。 我々が考えていると1人の男が近付いてきて日本語で話しかけてきた。風体からしていささか怪しい 奴と思ったが、彼はとても良い奴で、我々の事が心配に成って話しかけてきたのだ。近くの電話屋へ 連れて行き、「ウィルダネス・ロッジ」の“ノリコさん”へ電話を掛けた(相手が携帯電話なので日本 以上に早いスピードでコインが落ちていく)。彼は彼女とは知り合いで、彼女と少し話して、やはり 一旦リッサニへ行き、そこから乗り合いのグランタクシーで来ると良い、ということに成った。 ここからリッサニに在る「パノラマ・カフェ」という店へ行き、そこにいる“バレック”という男へ 「“ノリコ”の所へ行きたい」と言えばグランタクシーを手配をしてくれるとの事だ。これで方針が 決まったので、さっそく行動へ移ることにした。 彼と別れてグランタクシーに乗りリッサニへ行こうと車に乗ると、手配師みたいな男が、窓から手を 出して50DH(約750円)だという。先に金を取るのはおかしいと思ったが、そういうシステムになって いるのかと思って払ったが、料金が高いのでおかしいと思ったら、これはやはり騙されていたのだ。 これは運転手もグルに成っているので、ここはセオリー通りに一旦タクシーを降りて、別の所から 乗るべきだった。1人だとそうするのだが“千枚君”が一緒なので良しとする。グランタクシーは 13時13分にエルフードの広場を出ると、直ぐに街中を出て砂漠の中の道をスピードを出して走る。

 しばらく走ると町が現れ、街中へ入って行き  13時34分に或る大きな交差点で止まったが、  ここはリッサニのグランタクシーの溜まり場  だった。タクシーから降りて歩きだしてから  又失敗をしてしまった事に気が付いた。先程  教えられた「パノラマ・カフェ」まで行く様に  すれば良かった(良くない行動パターンだ)。  タクシーを降りたすぐ近くには、大きな門を  持つ街壁(マラケシュの街壁よりも立派だ)  があり、この町は古い歴史を持っている  大きな町であることが解る。新しく出来た  エルフードよりもこの町の方が良さそうだ。 この先に公的な大きな建物があり、入口に警備の警官がいたので、「パノラマ・カフェ」への道を 聞いたら「今歩いている道を真っ直ぐ行き大きな道に出たら右へ行けば良い」と親切に教えてくれる。 少し歩くとその道へ出て、右を見るとそちら側は賑やかに成っている。ホテルやカフェが並んでおり その端の方に「パノラマ・カフェ」があった。我々がその店の前へ着くと直ぐに店の男が出てきたが、 彼が“バレック”という男だった。我々を見ると、彼は何も言わなくても、我々が“ノリコ”の所へ 行きたがっている事を解っていた。“ノリコさん”はメルズーガに住む日本人として、エルフードや リッサニ付近では、とても名前を知られている人のようだ。 カフェに荷物を置いてほんの少しするとメンバーが集まったのかタクシーに乗れという。我々2人と カフェで待っていた白人の若いペアーと現地人の男が乗り込む。乗合タクシーは1人15DH(約225円) という話だが“バレック”は我々2人から45DH(約675円)を取った。おかしいと思ったら、どうやら 現地人の男の料金まで払わされた様だ。どうも乗り合いタクシーというものは油断が出来ない (ーー; 13時58分に乗合タクシーにてリッサニを出る。町を出るとすぐに砂漠へ入るが、道路は舗装されて 快適に走れる。この道はメルズーガ村の中心地の集落まで続いている。おそらく観光用に整備した 様である(この道路が出来ると、普通車でメルズーガまで行ける様になるので、ランドローバーを 持つ運転手達はこの道路建設には反対していた、という事を後から“ノリコさん”から聞いた)。 しばらく走ると左手に赤い砂丘が見えて来た。グレーの土漠と色がまるで違う。14時21分にホテルの 看板がたくさん立つ分岐点へ着き、ここから左に入る。ほんの少し行くと、ボックス型の土壁で 出来た集落が現れるが、第一印象は工事現場のプレハブの飯場とか、南極の基地という雰囲気だ。 この集落が「ハッシ・ラビアッド」というメルズーガの集落で、ここは「シェビ砂丘」の入口に当たり、 砂漠ツアーのベースとなる為、多くのゲストハウスが集まっている所だ。ゲストハウスやホテルの 数はここより約5q離れた、メルズーガの中心集落よりも多いが、皆小さなゲストハウスばかりだ。

集落に入ると白人のペアーと現地人の男が途中で降りてしまい、運転手は指道標や看板を目当てに 走り、14時31分に日本人宿の「オーベルジュ・ウィルダネス・ロッジ」へ到着する。この宿の建物は 周囲に在る民家と同じような造りで、敷地面積も同じ様な広さを持っている。もし看板が無ければ、 ここは普通の民家と間違えてしまう程である。この宿は何となく民宿みたいな雰囲気である。 玄関を入って中へ入るとパティオ(中庭)を中心にして三方に2部屋ずつ六つの部屋が在った。自分は 右側の右の部屋に入り、左の部屋には後からやって来た“ベルリン君”と“ノッポさん”が入った。 左側の2部屋の一つは“ノリコさん”のプライベートルームで、もうひとつに“千枚君”が入った。

左右の四部屋はシャワーとトイレが付いており、正面の二部屋は付いていなかった。どの部屋も ダブルベッドかツインに成っているようだ。正面の部屋には先客の日本人の若者が2人入っており、 世界一周を目指している青年と、派遣社員で革製品の専門店に勤めていたという娘である。 自分の部屋には大きなダブルベッドが入っており、むき出しの土壁には裸電球が1個付いていた。 シャワー室には陶器の手水鉢や籐籠のくず入れなどオーナーの趣味というかこだわりが出ている。

荷物を解体してから中庭にある階段を上がって屋上へ行ってみる。屋上からは「シェビ大砂丘」が良く 見えているが、正面に在る砂丘が1番高い様だった(後日この頂上まで登ってみたが、やはりこれが シェビ砂丘で1番高い砂丘である事を確認した)。土漠の色はそのまま家屋の色に成り家屋と土地が 一体化しているが、やはり砂丘の色は赤くて異質な物だった。又砂丘と集落の間にグリーンベルトが あることが解った。という事は、グリーンベルトには川や運河か、伏流水が在るようだ。そしてこの 水脈に沿って集落が出来ているのだ。ここの屋上は日の出や日没のビューポイントに成っている。 屋上でGPSの測定をしたが、日の出と日没時間を調べるだけでなく“ノリコさん”からこの家の 位置を知りたいとリクエストがあった。経緯度が解れば、車の人はGPS頼りでここへ着けるのだ。 測定の結果、ここは北緯31度08分20秒、東経004度01分28秒、高度724mという数値が出てきた。 この時間は外へ出るとまだ暑いので、入口にある広いサロンへ行って“ノリコさん”や“世界一周” “皮屋”“千枚君”など5人でしばらくお喋りをしていたが、その間も“千枚君”は暑いのに写真を 撮っていた。自分と同じ頃には、昨夜ティネリールに泊まっているはずの“ベルリン君”が着いても おかしくないのだが、16時を過ぎてもやって来なかったので“ノリコさん”と心配をしていた。

 先客の2人は本日砂漠ツアーへ出るので  仕度を始める。夜明けはかなり冷え込むので  防寒用衣料とミネラルウォーター、ライトを  忘れずにしっかり持って行くように言う。  17時頃にベルベル人のラクダ使いの男が来る  (黄色いターバンは無いだろう普通は青だ)。  用意が出来たので建物の外へ出た。ラクダに  鞍を付け、荷物を固定すると乗り込んだが、  ラクダは立つ時と座る時に大きく前後に  揺れるので要注意だ。うまく立ち上がった  処で2人の記念写真を撮ったりする。 17時21分に“世界一周”と“皮屋”が1泊砂漠ツアーへ出発したが“千枚君”が砂丘まで歩いて 付いて行くと言い、カメラなどを一式持って出て行った。夕方のこの時間でもかなり暑く、ツアーは 夕方に出て、朝に帰るというのは、砂漠での行動としては正解である。3人が出かけ1人になると、 又ロビーへ戻って“ノリコさん”と話をしたりしてゴロゴロしていた。ビールは手に入らないので、 ウイスキーを飲む為の氷を作ろうと、ミネラルウォーターのボトルを冷凍室に入れておく。 しばらくロビーで休んでいると18時15分に車の音がしたので、“ノリコさん”と外へ出てみると ワルザザードで同宿の2青年“ベルリン君”と“ノッポさん”が到着した。てっきり“ベルリン君” 1人と思っていたが“ノッポさん”も付いて来たと言う。彼はワルザザードからマアミドへ行き、 そこから「シェガガ砂丘」のツアーに参加しているので、ここへは来ないはずだったので以外だった。 しかし、こうして又ワルザザードと同じ様に3人揃って過ごすことに成った。色々と経緯があり、 ここへの到着が遅れたというが、トドラ渓谷への旅は面白そうだったので、良かったとすべきだ。 “ノリコさん”がベッドの組み替えをしている間、ロビーで別れた後の2人の話を聞いて過ごした。

 そろそろ日没の時間が近付いてきたので  屋上へ上がってみる事にした。GPSで  測定をしてここの日没時間は19時12分で  日の出は5時13分と解っている。  太陽は東側に在るシェビ砂丘の反対側に  沈むのだが、地平線の付近がスッキリと  していなくて、完全に地平線に沈む姿を  見られずに残念だった。  砂漠は海と同様に日の出と日没が見て  いて綺麗なのだ。砂漠の事を「砂の海」、  ラクダを「砂漠の船」などと例えるが、  ここに居るとその様に思えてくる。 太陽が沈む頃には、外はかなり涼しくなり、風も出てきて気持ちが良い。19時25分宿の近くに在る 小さな村のモスクからアザーンが聞こえてくる。完全に暗くなったのでロビーへ戻る。暗くなっても “千枚君”が戻ってこないので“ノリコさん”が心配していたが、村の灯が見えるので何とかなる。 待っていても何時戻るか解らないので、21時00分から夕食にした。メニューは牛肉入りのタジンと、 モロッコ式の野菜サラダ、そして例のパンで、デザートがオレンジだった。ここのコックの青年が 作ったタジンはとても美味しかったし、サラダの飾り付けや味付けもなかなか良くて感動ものだ。 食べ終わった21時25分頃に“千枚君”が帰って来た。先ずはシャワーを浴びることを勧める。靴の 中は砂が入って重く成っているという。どうしても靴の中に砂が入るので、砂丘から抜け出した時に 一旦靴を脱いで砂を捨てないと駄目だろう。どうも砂丘への出入り口が、ここからかなり北の方へ 行った所らしい。それで彼は砂丘から降りても、集落の中のこの家を探すのにてこずった様である。 この村のランドマークに成りそうなものは、モスクの低い塔しかないので解りにくいだろう。 若者達はまだ話をしていたが、今日は昼寝をしていないから眠く成って来たので、21時50分に部屋へ 戻った。21時55分にシャワーを浴びると、22時12分に消灯する。室内温度は31.5℃だった。

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