2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の四 5月30日〜6月1日  砂漠の村メルズーガ


2007年5月30日(水)快晴  メルズーガの休日。

熟睡していた様で5時02分に目を覚ますまでは完全に寝ていた。寝る時は31℃を越えていたが、朝は
28.3℃と3℃ほど気温が下がっており、とても涼しい感じだった。そろそろ日の出の時間なので、
屋上へ出る。しばらくすると自分の足音を聞いて“千枚君”もカメラや三脚を持ってやって来た。

屋上ではコックの青年と、もう1人の青年が寝ていたが、暑い時期には室内で寝るよりも、風通しの 良い屋上の方が涼しくて良く眠れるのだ。インドでも早朝に、屋上から他の建物を見回すと、どこの 屋上でも男達が(何故か女性はいない)ゴロゴロ寝ている姿が見られる。屋上から村道を見ていると ラクダを朝の散歩(?)へ連れていっている人がいた。2人ともカメラを用意して日の出を待つ。 太陽は「シェビ砂丘」から昇るのだが、地平線から砂丘の高さ分だけ、GPSで測定をした時間よりも 十数分のタイムラグがある。太陽は大砂丘の右側から昇りだしたが、雲が無いのですっきり見えた。 太陽が完全に姿を現すともう写真は撮れないので撮影を止める。この頃に成ると寝ていた2人が 起き出して毛布を片付けだした。夏は、部屋が満室の時は屋上にも泊めると“ノリコさん”が言って いたが、モロッコの殆どの安宿やゲストハウスでも、夏場には安い料金で屋上へ泊まらせている。

一旦部屋に戻り“ベルリン君”や“ノッポさん”はまだ寝ているので、5時48分に“千枚君”と朝の 散歩へ出かける事にする。とりあえずグリーンベルトを越えて砂丘の入口まで行って見る事にする。 ゲストハウスを出ると直ぐに集落を抜け出してしまい、広場(土漠の荒地)に出る。広場を突っ切り、 グリーンベルトへ入ると、そこは畑に成っていたが、やはりグリーンベルトは伏流水になっている ようである。畑はかなり小さなブロックに別れており、所々に幅の狭い用水路の溝が出来ていた。 作物を見ているとひょろ長いキャベツの従弟みたいな物と、長葱が多く見られたが、他にも余り見た ことの無い野菜らしき草(?)が植えられていたが、これらは雑草ではなくて栽培植物なのだろう。 雑草らしき物の中でミントだけは直ぐに解る。こんな早い時間でももう畑仕事をしている人がいる。

畑の畦道を砂丘の方へ向かって歩いて行くと土塀にぶつかった。この塀はグリーンベルトに沿って 長々と繋がっているので、塀を越えられる所を探しながら塀に沿って歩いたが、ようやく越えられる 所を見付けて塀の外の砂漠へ出られた。この土塀は砂漠から飛んでくる砂をせき止める役割をして いるのだ。もしこの土壁が無かったら、これらの畑はあっと言う間に砂に埋もれてしまうだろう。 この土塀は村人にとっての生命線で、砂漠地帯で畑を守るという作業はとても大変な事だと解る。 砂漠へ入ると小さく穏やかな砂丘には綺麗な風紋が出来ており、風紋の上には昆虫やトカゲなどの、 小動物の足跡がたくさん付いていた。明らかにフェネックス(「星の王子様」に出てくる可愛いあいつ) と思われる大きな足跡も有った。“ノリコさん”の話だと、時々子供達が捕まえて、観光客に一匹 100DH(約1,500円)位で売っているという話だ(持って帰れる物なら是非一匹欲しい処だが (^_^;)。

砂丘の方を見ると砂丘のうねりがとても綺麗で、これが日本人のイメージする「砂漠」なのだろう。 砂漠は太陽の角度が低い朝と夕方の方が陰影が付き、立体的に見えて綺麗だ。今はとりあえず眺める だけにして、そろそろ戻ることにする。砂丘からクリーンベルトへ入れる場所は限られており、先程 入った所まで戻り、畑の中を歩いて行くと、用水路の湿った所にカエルがたくさんいたのには驚く。 最短の直線コースを通ってグリーンベルトを出ると、マークになる木をチェックする。土漠の広場を 通って集落の方へ歩いて行くと、宿の近くに在る商店(この集落には数軒の商店や食料品店がある)が 目に入ったので、大水飲みの“千枚君”がミネラルウォーターを買うというので一緒に入ってみる。

 店内は外見に比べ  なかなか綺麗で、  商品が解りやすく  並べられられて  いた。飲料水は  冷蔵庫や保冷用の  ガラスケースに  入っていた。  並べられた商品は  品数は少ないが、  一通りの物が有り  コンビニなみだ。 ミネラルウォーターの大型ボトルの値段が5DH(約75円)とは砂漠の中なのに予想外に安くて驚いた。 ワルザザードやエルフードでは6DH(約90円)が相場だったので、7DH(約105円)は覚悟していたのだ。 自分も1本買っておく。ゲストハウスへ戻ったのは7時03分だったが、2人はまだ寝ていた。それに 比べて“千枚君”はとてもスタミナがあり、昨日あれだけ動いていて早起き出来るとは恐れ入った。

パティオ(中庭)の日陰のテーブルに座って“千枚君”と話していたら“ノリコさん”がお茶を入れて くれた。目の前の花壇に植わっている物を見たらまるで家庭菜園みたいだった。ミントは見て直ぐに 解ったが、小さな実を付けた小さな潅木はヘンナ(女性が手などに模様を描く染料)だった。さきほど 畑で見掛けたキャベツの従弟みたいな奴もあったが、この葉っぱはサラダにして食べるそうだ。 まだ小さいが、ハイビスカスも植わっており、一人前に花を咲かせていた。パティオ(中庭)の定番の オレンジの木も植えてあったが、日陰を作ったり、実が成るにはもう少し時間が掛かるだろう。 庭に植わっているミントの葉をつんで、お茶に入れてみたら、飲みなれたミント・ティそのものだ。 8時00分に砂漠ツアーへ出かけていた“世界一周”と“皮屋”が戻って来た。先ずはシャワーで、 その後サロンで朝食をとっていた。砂漠ツアーの朝食は、ツアーを斡旋した宿に戻ってとるのが 慣わしに成っている様だ。2人の話によれば、日の出や日没はマアマアという口ぶりだった。 2人が起きたので8時53分から朝食をとる。例のパンとベルベル風オムレツ、ミント・ティだったが やはりオムレツは美味しかった。食後一休みして9時40分よりズボンなど普段出来ない大物の洗濯を する。9時58分よりパソコンを始め、かなり真面目にやって、13時00分にパソコンを終わらせる。 13時10分にシャワーを浴びると、13時20分にベッドで横になって休憩に入る。少しは昼寝が出来て、 15時00分にベッドより起きだし、15時15分より又パソコンの続きを始める。16時42分にパソコンを 終わらせるとサロンへ行く。今日は“千枚君”が1人で砂漠ツアーへ出かけるというので見送る事に して、やはりラクダに乗った彼の姿を写真に撮ってあげる。みんなの予想では、彼は殆ど寝ないで、 写真を撮りまくっているだろうという事に成った。仕度に手間取り17時15分に彼は出かけて行く。 今日は1日中何もしていない(五人がやっていたのは昼寝だけで“千枚君”だけが、カンカン照りの 昼間に近くのホテルのプールへ泳ぎに行った (^^; )ので、日没を砂丘から見ようという事になり、 日没時間から逆算し、涼しくなってきた18時04分に同宿のみんなと夕日を見にゲストハウスを出る。

土漠の広場へ出ると、朝の散歩でマークしておいた樹木を目指して歩き、グリーンベルトへ入る。 目標はこの付近で1番高い砂丘に決めていたが、頂上まで行けるとは思っていなかったので、適当な 所で日没を見ようと思っていた。畑を突っ切って砂漠へ入ると、頂上を目指して適当に歩いて行く。 若者達は砂丘の下り坂の所で、砂滑りをしようとダンボールや大きなビニールを持って来たが、 上手く滑れなかった。これは多分数分の一ミリという砂の小さな粒子が丸くないからだろうと思う。 上るにつれて砂丘のウエーブは大きくなり、傾斜がきつくなって歩きにくくなる。最後の方はまるで よじ登るような感じに成る。先ほどより頂上に3人の姿が見えていたが、その姿を見ると何となく 皆も頂上へ行こうという気に成ってきたのだ。これは想定外の展開で、もし日没まで頂上に居れば、 帰りは、暗くなるのは確実だ(だが砂漠は夜に成っても夜光があるので歩けるから問題ないだろう)。

稜線の上を歩き、最後の急斜面を登ると、18時53分に大砂丘の頂上へ着いた。頂上はナイフリッジに 成っていた。息が切れたので、まずは座り込んで靴を脱ぎ砂を捨てる。早速GPSの測定をしたが、 高度は834mを示していたので、集落との標高差は113m有ることが解った。そして周囲を見回しても ここよりも高い砂丘は見当たらないので、ここが「シェビ砂丘」の最高点かも知れない。 この砂丘の反対側はもうボーダーで、あちら側はアルジェリアである。メルズーガの集落の先には 大きな湖が見えていた。我々が頂上に着くと、麓から村の子供達が登って来た。彼らはみやげ物を 売りに来たのだが、歩くのがとても早い。途中までマウンテンバイクでやって来た少年もいた。 日没を見ていたが、やはり地平線付近がもやっていた。スッキリとはしなかったが、昨日より少しは 良く見えていた方である。日没を確認すると、暗くなる前に出来るだけ集落へ近付いておきたいので まだ遊びたがっている若者をせかして、19時16分に大砂丘の頂上を降り始める。下りはとても楽だ。 砂丘を降りきった頃にはとうとう暗くなったが、もうグリーンベルトは近いので問題は無い。自分の ベストに付いている多くのポケットの中には、色々なサバイバル用具が入っており、若者達が呆れる ほどの「テツエモン・ポケット」なのだ(自分としては「何処でもドアー」が欲しいのだが (^^ゞ )。 GPS、方位磁石、ライト、レーザーポインター、ナイフ、救急医療品などサバイバル関係が多い。 クリーンベルトの中が1番暗く広場へ出るとやはり夜光で明るい。19時53分にゲストハウスへ戻る。 部屋へ戻ると、19時55分にはもうシャワーを浴びていた。それから荷物整理をし、靴の中や靴下の 砂を取った(不思議なもので砂は何処からか出てきて、完全に無くなるのに数日掛かった (^^;)。

 一息入れて20時15分から  夕食になったが、今夜は  サラダと“世界一周”が  リクエストのクスクスで、  デザートにメロンが出た。  サラダはトマトを小さく  切った物がベースになる  モロッコ式のサラダだ。  クスクスには牛肉と茄子、  ヒヨコ豆が入っていたが、  自分が食べたクスクスの  中では最高の物だった。 今までコシャリ(エジプトの米と小型のパスタを煮た元祖そば飯)とクスクス(小麦粉で作った米粒の イミテーション)を食べて美味しいと、思ったことは一度もなかったが、この宿の青年シェフが作る クスクスはなかなか美味しかった(難点はボリュームがありすぎるということだ。普通の店の2倍は あり、若者でも食べきれない程だった)。彼の料理は今まで3回食べているが、この青年はとても 腕の有るシェフで、モロッコ料理の天才だ(“ノリコさん”には彼を手放さない様に伝えておいた)。 この付近のゲストハウスは「オーベルジュ」と名乗っている所が多いが、この集落には食堂やカフェが 無いので、ゲストハウスで食事を作ってもらう事になる。それで食事付きの宿という意味で、みんな 「オーベルジュ」と名乗っているのだ。部屋の設備や食事の内容で料金が変わってくるが、どこも大体 1泊2食付きで150DH〜300DH(約2,250円〜4,500円)と成っている(この宿は150DHに成っている)。 念願の砂丘からの夕陽も見たし、全員揃った夕食はこれが最初で最後なので、宴会をする事にした。 ビールは手に入らなかったが、手持ちのウイスキーが有るので、みんなと飲むことにする。その為に 昨日から冷凍庫で氷を作っていたのだ。台所で何とか氷を割って器に入れる。青年が買って来た コーラでウイスキーを割って飲んだが、暑い砂漠の村で、氷の入ったウイスキーコークが飲めるとは こんな贅沢はないだろう。ウイスキーは1リットル有るので、5人で飲んでも十分な量だった。 アルコールを飲むのはモロッコへ入って初めてである。今までは眠くて直ぐに寝てしまっているので 酒を飲む暇が無かったのだ(旅に出てこんなに飲まなかったのは珍しい)。久しぶりに酒を飲んだので 酔いが早くて眠くなり、若者達より一足早く引き上げることにする。22時14分自分の部屋へ戻ると、 何もせずに22時20分に消灯すると、そのままベッドへ横に成り直ぐに寝てしまう。幸せ幸せ (^^)v 2007年5月31日(木)晴  砂漠ツアーへ出掛ける。 昨夜は早く寝たので4時37分には目が覚めてしまったから起床する(これほど完全熟睡したのは実に 久しぶりのことで、やはり酒をタップリと飲んでいた為だろう)。室内気温は29.2℃を示していた。 今日は夕方から“ベルリン君”と1泊の砂漠ツアーに出かける事に成っている。“ノッポさん”は、 既にとんでもない「シェガガ砂丘」のツアーに行っているので、今回は留守番をする事に成っている。

 しばらくはガイドブックをパラパラと  めくっていたが、室内よりも外の方が  涼しくて気持が良いので、5時03分に  屋上へ上がる。昨日は日の出を見て  いないので、今朝は眠そうな顔をして  “ベルリン君”と“ノッポさん”も  部屋から出て来た。砂漠にくれば  やはり日の出をみなくては損をする。  今日は昨日よりも雲が多いが、やはり  綺麗な日の出か見られた。日没よりも  日の出の方が良いようだ。5時28分に  部屋へ戻るとパソコンを始めたが、  2人はもう少し寝ると言っていた。 一区切り付いたので、パソコンを止めて7時18分にゲストハウスを出る。少しだけ村の内を歩いて、 昨日ミネラルウォーターを買った店へ行き水を買い、7時31分にゲストハウスへ戻る。又パソコンを 始めたが、直ぐに停電になり、今度はつきそうにもないのでパソコンを止めてサロンへ行く。 7時58分に“千枚君”が砂漠ツアーより戻ってきた。彼は9時半にここを出て、リッサニから10時の バスでフェズへ行くというから大変だ。今夜はフェズに宿を予約しているそうだ。フェズへ着くのは 必ず暗くなるから、フェズのバスターミナルへ着いたら迷わずタクシーで宿へ行くように勧める。 慌しく朝食をとってから荷作りをしていたが、9時36分にチェック・アウトをして宿を出て行った。 ミニバスはないので、村の人の自家用車をチャーターして行ったが、なかなか良いワゴン車だった。 “ベルリン君”と“ノッポさん”が起きて来たので、9時45分に朝食をとる。今朝はパン、チーズ、 バター、ジャム、卵焼き、オレンジ・ジュースと実にオーソドックスな物だった。今日も大人しく、 日中は宿に篭っていることにし、10時05分からパソコンを始め、11時45分頃に終わらせる。

11時53分にゲストハウスを出るとインターネット・カフェへ行く事にする。外へ出ると猛烈な暑さで 集落のモスクがある中心部分でも、外を歩いている人など1人もおらずゴーストタウンみたいだ。 “ノリコさん”の話では、この村には2軒のインターネット・カフェがある(こんな小さな集落に インターネット・カフェがあること自体が不思議である。それだけインターネットが盛なのだ) そうだが、この宿の近くの店の方が良いというので、その店へ行った。この店はゲストハウスの 一室を使っており、数台のマシンが置いてあったが、日本語が使えるマシンは2台だけだった。 12時07分インターネットを始めたが、直ぐに“世界一周”と“革屋”がやって来た。この2人は今夜 エルフードから夜行バスに乗り、マラケシュへ行くというので、ここからメールを出しに来た様だ。 メールは出来る所でやっていないと、この次は何時チャンスに巡り会えるかどうか解らないものだ。 12時27分にインターネットを終わらせ、12時34分にゲストハウスへ戻る。サロンに居たら13時00分に 2人の日本人女性がやって来たが、これが背の高い“3DH”と、大荷物を持った“NPO”だった。 本日は3人去って行き、2人がやって来て、5人になるが、結構日本人客が途切れないものである。 “NPO”は以前アフリカで活動していたので、フランス語が出来るそうだが、短期の旅行の割りに 自分や“世界一周”の2倍以上もある、黒くて汚い大きなリュックを持っていたのが印象的だった。 皆も「何が入っているのだろう?」という好奇の目でリュックを見ていた。“3DH”は若くて背の高い 人で、似顔絵を描いている絵描きだそうだ。彼女に対する第一印象はアニメ映画「ハウルの動く城」に 出てくるカカシを連想させた(「3DH」という仇名の経緯は後ほど説明する)。2人とも旅の経験者で、 初心者ではない、というのは見ていると直ぐに解る(これは立ち居振る舞いや話の内容で解る)。

 部屋の用意が出来るまでサロンで話していたが  “NPO”は今夜一晩だけ泊まって明日の朝に  次の町へ移動するという。この宿に一晩だけ  というのは、とてももったいないと皆で言う。  “3DH”は今日の夕方に、別の宿の斡旋による  1泊砂漠ツアーへ出かけ、明日の夜はこの宿に  泊まるというので、我々と砂漠で会えそうだ。  15時45分に迎えのミニバスがやって来た(電話で  予約するとゲストハウスまでピックアップを  してくれるので、とても便利である)ので、  “世界一周”と“皮屋”がチェック・アウトを  してミニバスに乗り込むので、皆で見送る。 日本人宿で仲良くなった同宿者が旅立つ時は、残る者が見送るというのは、何処の日本人宿でも 慣わしに成っているものだ。カイロの日本人宿サファリに泊まった時は、5階から螺旋階段を降りる 時に、玄関にみんなが集まって、何故かイルカの「なごり雪」を合唱して見送ってもらったものだ。 2人が出て行くとしばらく皆と話をしていたが、そろそろ17時近くなったので、出かける用意を する。持って行く物は僅かで、一応防寒用に薄手のジャンバーを入れておく。ミネラルウォーターは 1.5リットルの大きなボトルを冷凍室で氷らせておいた。17頃にこの宿と契約しているガイドの男が やってきた(彼は派手な黄色いターバンを巻いているが、真面目なトアレグ族が見たら泣くぞ (ーー)。  

ガイド兼ラクダ使いの“ユセフ”はとてもネアカな軽い奴で好感の持てる男だ。ラクダは茶色の濃い 奴が“スマイリー”で、色白の方が“ハミッド”という。どちらも大人しくて従順なラクダ達で、 ラクダの鏡である(他のラクダも見習って欲しいものだ)。自分は先頭の“ハミッド”に乗ったが、 毛が抜け替わる時期かドンドン毛が抜けている。“ベルリン君”は後の“スマイリー”に乗った。 フタコブ・ラクダは解るが、ヒトコブ・ラクダの場合は何処に鞍を付けるか興味があったが、コブの 後に付けていた。立ち上がる時は怖がらずに、ラクダの動きに逆らわない様に前のめりに成ったり、 後にそった方が良い。立ち上がったり座る時は鞍に付いている取っ手をしっかり握っておく事だ。 17時15分にゲストハウスを出ると、集落を抜けて、クリーンベルトに沿い、北の方へ向かって歩く。 今日は昨日に比べて雲が多く、陽射しが弱いので助かったがそれでも暑い。日中など絶対にラクダに 乗って砂漠など歩けたものではない。昔のラクダの隊商は、昼間はテントを張って日陰で寝ており、 夕方より翌朝に掛けての夜に歩いていたというのが良く解る。ラクダの上は結構高くて見晴らしが 良いものである。後のラクダは前のラクダに紐で繋がれているだけなのだが、素直に付いて来る。

集落の外れまで来ると、土漠から砂漠へ入って行ったが“ユセフ”は履いていたサンダルを脱いで 裸足になり、サンダルをラクダの紐にくくりつけていた。夕方だともう砂は熱くないので、裸足で 歩いた方が楽なのだ。西の空を見ると雲が多く太陽が隠れており、今日の日没は余り期待できない。 途中に湿ったような窪地があったが“ユセフ”は「ここは掘れば水が出てくる所だ」と教えてくれる。 砂丘にはラクダの足跡があり、何となくコースが決まっているようだ。“ユセフ”は砂丘を登る時は 身体を前かがみに、降りる時は後に反り返るようにしろと教えてくれる。この様に重心を移した方が ラクダは歩きやすいのだろう。「猿も木から落ちる」が「ラクダも砂丘でコケル」から用心して乗って いる必用がある。急な斜面を降りる時に、ズルッと足を滑べらしている事が何回か有った (^^; 右手遠方の砂丘の上に1頭のラクダと歩いている2人の人間の姿が見えたが“ユセフ”はそれを見て 「ジャパニーズ・ガール」と言ったので、あの“3DH”ではないかと推測した(これは当たっていた)。 コースは少し違うが方向から見て、我々の泊まるキャンプへ向かっていると思っていた(この時は)。 我々の後ろからはラクダに乗った欧米人がやってきたし、前方には10人を越える団体客を見掛けた。 どのグループも目指しているのは同じキャンプ村だと解る。18時54分ノマドのキャンプへ到着する。

 キャンプ村は大きな砂丘の影に在る平地で、  わずかだが樹木や潅木も生えていたので、  地下水もある様だ。ここは大小10グループ  ほどに別れたキャンプから成り立っていた。  ベドウィン様式のテントはお客さん用で、  ここに住んでいるノマド(遊牧民)の家族は、  酷いボロだが、居住性の良いボックス型の  小屋を作って住んでいた。子供も居るが、  みんな学校へは行っていないようだ。  おかしな鳴き方をする足の悪い白い犬と、  数頭のヤギやニワトリなどが勝手に周囲で  遊んでいたが、決して逃げ出さない。 動物達は逃げても砂漠では生きていけない事が解っているので、人間の住む周りから離れないのだ。 テントの前にビニールシートが敷かれており、靴を脱いでシートに座るとミント・ティのサービスが あった。客が来るとお茶やコーヒーを出して接待するというのはノマドの昔からの習慣である。 “ユセフ”は小さなハッシシを持っていたが、余り質の良いものではなかった。ベルベル人は余り 酒を飲まないので、かなり愛好している人が多いようだ(アラブ人よりもかなり大っぴらである)。 皆ライスペーパーを持っており、自分でジョイントを作っているようだ。「サバク、ポリス、イナイ」 などと嬉しそうな顔をして日本語で言っていたが、本当に憎めない面白い男だ。彼はラクダから鞍を 外すと何処かへ連れて行ったが、「ラクダ達のディナー」だと言っていた(放し飼いなのか?)。 それぞれのグループも契約してあるテントへ落ち着いたようだが、なかなか“3DH”が来なかった。 来た方向の遠くの砂丘を見ると、丘の上に人が居るのが小さく見えたが、それが“3DH”ではないか という事になった。どうやらこのキャンプとは別の所があるようだ。今夜は彼女と話が出来ると 楽しみにしていたのだが、残念だった(この時彼女はもっと深刻に残念がっていたのだ (^^;)。

段々と暗くなってきて夜になると月が昇って来たが、今夜は満月ではないかと思われる綺麗な月だ。 なかなか夕食が出てこなかったが、21時21分にようやく夕食になる。メインは牛肉のタジンで、 例のパンとデザートのメロン、ミント・ティが付く。小さなちゃぶ台にロウソクを立てて食べたが、 これはムードなどというものではなく、はなはだ実践的なもので若い頃のキャンプ生活を思い出す。 食事が終ると小さなテーブルを片付け、22時00分に“ユセフ”が寝る準備を始めたがテントの中では なくて、ビニールシートの上に毛布と枕を並べた(“ユセフ”は近くの別の所にシートを敷いて寝て いたが、砂の上の適当な所で寝ている人が他にも多い)。22時22分に横になって寝る体制へ入った。 これで月が無かったら、満天の星が見えて綺麗なのだが、満月は満月で、「月の砂漠」で良いだろう。 2007年6月1日(金)快晴  さらばサハラ砂漠。 毛布1枚でも寒くは無かったので熟睡できた。4時58分に目が覚めたので起きることにする。近くの 砂の上で寝ていた“ユセフ”も起きだして、毛布やシートを片付け出した。大きな砂丘を見ると、 もう砂丘へ登っている人がいたが、もうすぐ日の出なので、裏の小さな砂丘へ上って日の出を見る ことにする。ここからだと、やはり太陽は砂丘から昇るので少しタイムラグがあるだろうと読んだ。

砂丘から見ると左手にこのキャンプの中心部分の全貌が見られるが、この他にも砂丘に隠れて下から 解らなかったテントが幾つも見られた。全体を見るとかなりの数のテントに成る。左手の皆が登って いる大砂丘は、我々が昨日登った大砂丘に比べれば低い方で、やはりあの砂丘が1番大きそうだ。

 太陽が出てくるのを待っていても寒く  なく、ジャンバーはいらなく、長袖の  シャツ1枚で十分だった。今朝は雲が  ひとつも無く完璧な快晴なのだが、  放射冷却は余り無いようだ。  太陽は雲がひとつも無いのでスッキリ  とした日の出で、1番綺麗だったが、  やはり雲がないと絵に成らない。  太陽が昇ると砂丘を降りたが、我々の  泊まっているテントの持ち主である  男がミント・ティをもって来てくれ、  お茶を飲んで、出かける用意をする。 “ユセフ”は昨日何処かへ連れて行ったラクダを連れて戻ってきたが、一頭連れてくるともう一頭が その後からちゃんと付いて来るから可愛いものだ。座らせると鞍を着けるまで、大人しくお座りを している(でもお手はしない)。出かける用意が出来たので、6時29分にキャンプを出る。他の人達も 帰りだしたが、暑くならないうちにゲストハウスへ戻るには、この時間に出るのが妥当だろう。

来る時とほぼ同じ道を歩いているが“ユセフ”は時々近道のショートカットをするので、ラクダが 歩きにくそうだった。同じ砂丘でも朝と夕方では、光線の関係で違って見える。砂漠を出て土漠へ でると“ユセフ”はサンダルを履いた。遠くに集落が見えており、右手にはカレーズが見えていた。 もうかなり暑くなって来た7時55分にゲストハウスへ戻った。ラクダから降りると足というか股が 痛い。ラクダは馬と違って横幅が有るので、股を大きく開かないといけないのだ。ラクダに連続して 乗っていられるのは2時間くらいが限界だろう。長時間の場合は乗ったり歩いたりしないと駄目だ。 部屋へ戻ると8時10分にシャワーを浴びたがこれでサッパリする。着ていた物を洗濯したが、これは 午前中には乾くだろう。“ノッポさん”は起きていたので、一息入れてサロンへ行き8時55分朝食を とる。昨日の朝と同じだが、飲物はカフェ・オレをもらう。食後はサロンで皆と話をしていた。

このゲストハウスのサロンは建物や部屋数に比べてとても広く、とても居心地の良い所で、多くの テーブルやソファーが置かれており、くつろげる所だ。サロンの反対側にはカウンターがあり、 フリーの大きな冷蔵庫が置いてある。その奥が広い台所(約24畳くらいあるだろう)に成っていた。 このサロンのソファーだけでも数名の人間が寝れるので。ドミトリーとしても十分に使える。 9時10分に“3DH”が砂漠ツアーより戻って来たが、朝食はツアーを斡旋した所で食べてきたのだ。 やはり朝食は戻ってから食べるように成っているのだ。“NPO”が出かける用意をしてサロンへ 来た。彼女は昨日“千枚君”が頼んだ、村の人の車をチャーターしたのだ。少し高いがエルフードや リッサニまで150DH(約2,250円)で送ってくれるという(これは白タクみたいな物である)。 9時25分に大きなリュックを持って“NPO”が出て行った。サロンで“3DH”と砂漠ツアーの 話をしたが、やはり砂丘で見たのは彼女だった。彼女はかなり離れた所に泊まったようで、ガイドの 男からしつこくプロポーズされたという(もう少し段階を踏めと言いたい!)。彼女は若くて可愛いし 1人なので、絶好のチャンスと思ったのだろう(若い女性が1人だけで行くというのは考えものだ)。 これはモロッコだけではないが、開発途上国や後進国の独身男達は日本の女性(若かろうと、そうで なかろうと、例えブスだろうと)を見ると結婚したがるのだ。彼らは日本人女性と結婚すれば日本の 永住権や国籍が取れるという思惑が有るのだ。相手に魅力を感じるのではなく、日本に魅力を感じ、 日本の経済力に恋をしているのだ。ここの処を日本の女性は解っていないといけない。 11時00分に先程洗濯した洗濯物を取り入れ、部屋に戻ってパソコンを始める。切の良い処で終らせ 14時40分に清算を済ませる。2泊分の宿代が300DH(約4,500円)で、ツアー代金が350DH(約5,250円) だった。精算が終わり部屋に戻ると荷造りをする。荷作りが終るとリュックを持ってサロンへ行く。 最初は3人で今夜の夜行バスに乗り、フェズからシャウエンまで行くはずだったが“ベルリン君”が もう1日ここに残るというので“ノッポさん”と2人で行くことに成った。それで、シャウエンで 泊まる安宿を2ヶ所程ピックアップして、明後日そこで落ち合うことにする。 予約しておいたエルフード行きのミニバスが来たので16時06分に“ノッポさん”と2人でミニバスに 乗り込んだが、車内はひどい暑さだ。今日は混んでいたので、後の荷物置場に座った。走り出しても 途中で何ヶ所か寄って客を拾って行き、マスマス混んで来た。16時19分に村への支線から幹線道路へ 出ると快調に走っていたが、16時31分に幹線道路から右側のピスト(砂漠の中の道なき道)へ入る。 自分の前に母娘が乗っていたが、女の子はまだ5〜6歳位だった。とても可愛い子で、10年もすれば もの凄い美女になる子だった。襟や袖口などに刺繍をした白い民族衣装を着ており、手の甲には ヘンナが付けられていた(こんな小さな女の子でヘンナをするのは余りいない)。まだ小さいのだが 仕草などに変に色気があって女っぽく、今時の日本の娘には持っていない怪しい色気を持っていた。 16時58分にピストから舗装道路へ乗る。少し走ると建物が出てきた。橋のない小さな川を渡ると もう町の中へ入り、17時14分にエルフードの民営バスターミナルが在る広場の手前に着いた。

 広場を通り越してCTMのバスターミナルへ  向かった。地図で場所は大体解っていたが、  気が付かずに通り越してしまい、引き返して  ようやく見付けた。ここもマラケシュの様に  ビルの一部屋だけを間借りしているのだ。  後から小さな看板が有るのに気が付いたが、  これでは下を見ていたら見逃してしまう。  事務所は鍵が掛かっており、休憩の様だった。  仕方がないのでここで待っていたら、この前  会った親切な男と又会ったので少し話をする。  彼の奥さんは日本人だという(それで日本語が  上手なのだ)。奥さんが友達の家でカレー・  パーティをしており、迎えに行く処だと言う。 彼と別れてしばらくすると縁取りの刺繍をした白い立派な民族衣装を着た男が来て、やはり事務所の 鍵が開くのを待っていた(ここは18時まで休憩時間となっているようだ)。18時22分に切符売り場が 開いたが、事務所の鍵を持っている下働きの爺さんが遅刻したのだ。そして白い服を着ていた男は、 ここの事務員というか責任者だったのだ。彼はすぐに我々のフェズ行きの切符を作ってくれた。 18時36分にフェズまでの切符を手に入れたが“ノッポさん”は手持ちの金が少なくなっていたので、 シャウエンまで自分が立て替えておく事にした。フェズまでのバス代は145DHで、荷物代が5DHで、 1人150DH(約2,250円)と結構高かった。リュックにタグを付けると事務所へ預けて身軽になる。

 バスへ乗る前に腹ごしらへをする事にして  民営バスターミナルの方まで戻り、ひと回り  したが、18時55分にCTMのすぐ近くにある  レストランで夕食をとることにする。  自分はオムレツを頼み“ノッポさん”は  野菜サラダを頼んだ。オムレツはマアマアの  ものだが20DH(約300円)と結構いい値段だ。  食事が終るとバスの発車時間までまだかなり  有るので、20時00分にレストランを出て、  自分はCTMの近所を歩いてみる事にした。  “ノッポさん”は隣の音楽関係の店へ入る。  事務所の裏は商店や屋台が幾らか出ており、  ここは近所の人達の溜まり場になっていた。 ひと回りしてから水を買い、20時15分にCTMの事務所へ戻る。待っていると20時26分に我々の乗る バスが、リッサニから到着したので“ノッポさん”を呼んでバスに乗り込んだが、結構混んでいた。 車内は冷房が効いているかと期待していたら、それ程のことは無く、少し蒸し暑いくらいだった。 20時35分にエルフードを発車したが、このバスには日本人男性と思われる老人が1人乗っていた。 21時39分にエル・ラシディア(大きな町)のバスターミナルへ到着するとしばらく止まっており、客の 乗り降りがある。21時56分にエル・ラシディアのバスターミナルを発車する。町を抜けると22時10分 右手に大きな湖が月明かりで見えていたが、なかなか幻想的な姿だった。この頃から山岳地帯へ入り 坂道を登るようになる。眠くなってしばらく寝ていたが、23時55分にミデルト(ここも大きな町)の バスターミナルへ着いた。0時04分にこのバスターミナルを発車すると、又寝てしまう。

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