2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の七 6月7日〜6月9日  迷路の町フェズ


2007年6月7日(木)晴一時曇  ティトゥアンからフェズへ。

5時20分頃に目を覚まし、5時35分に起床して最終荷造りを始める。荷作りが終わり一息入れて、
6時12分に「ホテル・ナショナル」をチェック・アウトした。6時14分に民営バスターミナルへ着くと
フェズ行きのバスを運行している会社の窓口へ行き、切符を購入する。フェズまでは59DH(約885円)
だからCTMに比べてとても安い。下の駐車場へ行き、しばらく様子を見ていたが、乗るバスが解ら
なかった。民間ローカルバスは行先がアラビア語で書かれており、英語やフランス語の表記が無い。
駐車場の奥の方へ行き、近くにいた或るバスの車掌に聞くとフェズ行きのバスを教えくれる。

6時37分に今度はリュックを持って車内に乗り込めた。既に多くの客が乗っていたが、モロッコでは
何処でも何時でも、早目に乗り込んでいる人が多い。満員になり、定刻の7時00分にティトゥアンの
バスターミナルを発車する。バスはシャウエンへの道を快調に走り、あのダム湖を通り越して行く。

沿道を見ていてとても気に成ったのは、道路脇の草原や畑に黒いビニール袋がまるで模様のように
たくさん散乱している事だ(この数は道路10mに付き100を越える数だ)。モロッコでは何を買っても
殆どが薄くて黒いビニール袋やレジ袋に入れてくれる。その袋は要らなくなったらすぐに捨てられる
ので、この様な状態に陥っているのだ(モロッコの辞書には「ecology」という文字は無い様だ (ーー;)。

7時25分に或る小さな村で検問があり停車する。検問の後は寝てしまい、8時45分に目を覚ました。
バスは途中まで来る時と同じ道を走っていたが、シャウエンの町は通らない様で直接フェズへ向って
いた。9時24分にまた検問で停車したが、定期バスだけをやっている様で、普通車は止めていない。

9時35分に山の中腹にある大きな町のバスターミナルへ着いた。ここは来る時にも長時間停車して いた町である。バスから降りずにバスターミナを見ていると、足の悪い人が車椅子に乗っていたが、 これは自転車を改造したような三輪車で、これはなかなか良く出来ている車椅子である。9時57分に バスターミナルを発車する。町を抜けて郊外へ出ると、10時06分大きな分岐点で検問の為停車した。 検問所から少し走ると、10時29分に又検問で停車したが、これで本日は4回目だ。10時44分に普通の 大きさの町で停車したが、ここで降りる人がいた。10時51分にここを発車し町を出ると、10時55分に 大きな川を渡る。11時33分に或る村で止まり、ここから少し行くと、11時47分左遠方の低い所に湖が 見えていた。12時31分にフェズの近くのガソリン・スタンドで止まり、12時38分にここを発車する。

ガソリン・スタンド(必ず町外れにある)を出るとやがて街中へ入って行く。大きな建物が現れだして 12時51分にメディナの外の北側に在るフェズ民営バスターミナルへ到着。ここのターミナルビルは なかなか大きなものだった。バスを降りると、ターミナルビルの中を通り抜けて、正面玄関に出る。 広場にはタクシーが止まっており、運転手が客引きに来るが、タクシー乗場を素通りし12時55分に バスターミナルを出ると、目の前を走る街道でもある、この町の幹線道路「フェズ北通り」へでた。 道路の対面は広場に成っており、その先にメディナの街壁や櫓が立っている。この町は街壁にしろ、 門にしろ、物見櫓にしろスケールが大きくて、フェズに比べればマラケシュの街壁など玩具のような チャチな物である(フェズの町の方が実戦的に出来ている様に思えたが、それでも街壁は薄すぎる)。 街壁に沿って歩き「マルーク門」の少し先に在った門からメディナへ入る。左に「青空スーク」を見て、 「ブー・ジュルード門」の前まで行き、「フランセ通り」へ入ろうと思ったら道がふさがっていたので、 「フェズ北通り」に出て、迂回をして南に行く道へ入る。右側が公園に成っており、対面の建物の前に 警備の警官がいたので「スマリン門」への道を聞いたが、彼は説明に困っていた(理由は後で解った)。 この道を南に少し行くと門があり、その門を過ぎると大きな「リベルテ通り」へでる。右に少し行くと 大きな二又があり、右側の道を上って行くと直ぐに賑やかに成ってきた。そして左側には目標として いた「ホテル・アガディール」の看板が見えたので、建物の中へ入る。狭い玄関を入ると階段の下に テーブルをひとつ置いただけのフロントがあった。誰も居ないので声を掛けてしばらく待っていた。

お婆さんが出てきて、部屋代を書いた紙を指差してこの値段だという。そして2階に在る5号室を 見せてくれた。部屋は表通りに面しており窓があって明るい。小さなテーブルとコンセントもあり、 ベッドも大きくて、部屋としては、殆ど問題がなかった。部屋の前が広い吹き抜けのロビーというか 広場になっており、その対面には共同のトイレが2つとシャワー(ただし水のみ)と洗面台があった。 フェズという町は町の規模に比べて安宿の数が少なく料金が高いのだ。フェズで安く泊まれるのは 新市街にあるユースホステルとこの宿くらいだろう。因みにここはシングルが45DH(約675円)だ。 この地の利と設備でこの値段は、今まで泊まってきた所と比較してもそれ程悪くは無いと思った。 部屋を見終わり下へ降りて宿帳を書こうと思ったら、お婆さんは解らないので「アフター、アフター」 と言って逃げていったので、13時34分に「ホテル・アガディール」へチェックインをして部屋に入る。 すぐに荷物を広げると13時50分にシャワーを浴び、続けて14時10分から着ていた物を全て洗濯する。

洗濯物を持って屋上へ上がると、とても広い屋上で、洗濯物を干すロープが2本張られていたし、 洗濯バサミもあった。屋上で洗濯が出来るように水道も大きなバケツも用意されている。ここからの 眺めはとてもよく、宿の前の通りや商店が眺められた。左手には「スマリン門」があり、その全貌が 眺められる。反対側を見ると谷を挟んで、新市街が見えていた。ここは夕涼みには最高の場所だ。 ひと段落付いたので14時20分に外へ出てみることにする。宿の前にあるカフェへ行くと、英語で話し 掛けてくる調子の良い男がいた(こういうのは典型的な要注意人物だ)。少し話をしていると「何か 食べたいか」と言うので、「食べたい」と答えると、彼はこのカフェの横にある食堂へ連れて行った。 この店ではサンドイッチも作っているので、たまにはと思って魚のフライの入ったやつを作って もらった。値段を聞くと、その男はすかさず「25DH(約375円)だ」という。かなり高いと思ったが、 魚なのでそうなのかと思って(普通は10DH=約150円程度である)、店の主人に金を払ったが、主人も 黙って金を受け取った。これは男と店の主人がグルに成っていて、後からこの男は店の主人から マージンを取るのだろう。これは良く有るパターンで、この男はこのカフェにゴロゴロしていて、 外国人や余所者から小遣い稼ぎをしているのだ。 カフェへ戻りカフェオレを注文したが、その男は自分にもおごってくれと言うので、良いだろうと 思い、OKを出すと、その男は店のカウンターへ行ってカフェの主人と何か言い合っていた。 言葉は解らなくても雰囲気で何を喋っているのか解る。店の主人は「他の人にたかるんじゃないよ」と 叱っており、男は「だってこの外国人はいいと言っているんだよ」とやり合っていた。どうやら彼は たかりの常習犯のようで、主人がたしなめている処だった。このやりとりを見ていると、この男が 哀れに成って来たので、主人に「飲ませてやってくれ」と言うと、その男は嬉しそうな顔をしていた。 彼は毎日毎日、1日の殆どをこのカフェの隅の方のテーブルに座っており(飲物の金を出せないので、 良い所にずっと座っていると店の人から怒られるのだろう)、カモが来るのを待っていた。 14時35分に部屋へ戻り荷物整理をしてから休憩に入る。15時15分にベッドで横になるが、眠れずに ウトウトしていた。16時45分にベッドから起きて屋上へ上がり、先ほどの洗濯物を取り込んだが、 2時間で全て乾いていた。幾らか涼しく成って来たので、17時03分に恒例の夕方の散歩へ出かける。 先ずはこのメラー(旧ユダヤ人街)付近のシンボルである「スマリン門」へ行って見る。この門を潜り 「フェズ・エル・ジェディド通り」へ入る。この道の両側は商店街に成っており、衣料品の店が多い。 商店街を道成に行くと「ダッカーキーン門」を潜り小さな広場へ出るが、ここが「小ミシュワール」と 呼ばれている所だ。左手には王宮の門があり、警官がいる。右手には大きな「スバ門」がある。

この「スバ門」と「フェズ北通り」に面してある「セグマ門」の間に「旧ミシュワール」という広場が在るが どちらの門も封鎖されており、この広場では何か催し物が開かれるようで、舞台や客席が設けられて いた。右手の門を潜り「フランセ通り」へ出るが、左側の街壁に沿って歩き「フェズ北通り」へ出ると、 「セグマ門」の前を通って「シエラルダ・カスバ」の角まで行って見る。このカスバはとても大きな物で 高い塔と壁を持ち、完全に城というべき規模を持っていた。同じ道を戻り「フランセ通り」を歩く。 街壁に沿ったこの道は閑散とした道で、やがて「フェズ北通り」とぶつかるので、メインストリートへ 入る。街壁に沿って少し行くと、先ほどバスターミナルからメディナに入った時の大きな門へ着く。 この門は現代に成って、自動車を通すため街壁に穴を開けて作ったものでそのため門塔などがない。 各町のメディナでは街壁の一部を壊して車の通れる門を作っているが、この方が工事が簡単なのだ。

この門を潜りメディナへ入ると左側が「青空スーク」だが、昼間と違って夕方なので、露店の数が多く 成っていた。先ほどの道を歩いて「ブー・ジュルード門」まで行ったが、右手の広場では、やはり何か 催し物が有るらしく舞台や音響の用意をしていた(これが無ければ「フランセ通り」からストレートに 「ブー・ジュルード門」まで繋がっているのだ)。門の写真を撮り、門を潜ってスークへ入ってみる。 門を潜るとメインストリートは鉤型に曲るが、この付近には観光客相手のレストランが集まっており 外国人観光客が食事などをしていた。このメインストリートは、最初は「タアラ・セギーラ通り」と 呼ばれており、次は「ペン・サフィ通り」と名前を変え最後は「ゼカケルン・ハシャール通り」と成る。

 スークのメインストリートはかなりの坂道に  成っており、「ブー・ジュルード門」からは下る  一方だった。このスークを歩いていてよく目に  入ったのは、両側の建物どおしを柱で補強して  あることだった。建物の壁がかなり老朽化して  自立できないのだ。その数はかなりのもので、  早急に補修しないととても危険である。  道には数ヶ所タイル張りの綺麗な水道があるが  そこはたいていモスクだった。又綺麗な細工を  施した門を持つ家も数軒有ったし、ハマムと  思われる建物もあった。商店のなかには観光客  相手と思われる土産物屋も見受けられる。だが  歩いていて客引きや私設ガイドはいなかった。 道成に坂道を降りて行くと横へ通る道とぶつかる丁字路に成っている所へでた。今日はここから左へ 行く事にする。この道は今まで歩いたメインストリートと平行して北側を走るメインストリートで、 やはり「シュフビリン通り」「カニトラ・ブー・ルース通り」「タラア・ケピーラ通り」と三つの名前に 分かれている。この通りも商店街に成っているが、南側のメインストリートよりは人出が少ない。 肉や野菜などの食料品スークに成ったので、ここでトマトを1kg買ったが、普通サイズが7個きて 4DH(約60円)だった。小型のオレンジを1kg買うと7個きて3DH(約45円)と、とても安かった。 「青空スーク」へ出たので、先程の「フェズ北通り」を通って「フランセ通り」へ入り「小ミシュワール」へ 入る。この付近は夕方に成るとスナック関係の屋台が出てくる。「フェズ・エル・ジェディド通り」は 先程よりももっと混んでいた。「スマリン門」付近には主食のパンやお菓子の屋台が出ている。

宿の前で薄焼きのナンを作っていたので、2DH(約30円)買ったら凄い量が来た。何やら賑やかな 音楽が聞こえて来たと思ったらパレードをしている一群の人が来た。中央には馬に乗った男が、 着飾った小さな男の子を乗せており、後には数名の楽隊を従えていた。この様子をビデオに撮って いるお抱えのカメラマンもいた。列の前後には女がたくさん集まり、賑やかに手拍子などを打って、 声をあげていた。どうやらこれは男の子を祝う儀式のようだ。早速カメラを出し撮影に取り掛かる。 パレードが去ってしまったので、19時00分に宿へ戻ると一息入れる。しばらくすると又あの賑やかな 音楽が近付いてきたので、屋上に上がって、今度は屋上からパレードを眺めて写真を撮ってみる。 このパレードが通ると車がストップしてしまい、パレードが通り抜けるのを諦め顏で待っていた。 19時55分にシャワーを浴びると20時10分にパソコンへ写真の取り込みとデータの打ち込みを始める。 誰かがドアーをノックするので、開けて見ると宿の主人がいた。22時55分にフロントへ降りて宿帳へ 登録する。彼は英語の出来る人だった。「何処から来て何処へ行くのか?」と言うので「ティトゥアン から来てメクネスへ行く」と答えると、彼は「メクネスは良い所だ。フェズは客引きがうるさくて 良くない町だ」と言っていた。彼はとても感じの良い人で、この宿は家族で経営している様だった。 22時40分にパソコンを終わらせて23時00分に消灯する。室内温度は28.4℃と山の中に比べて高い。 2007年6月8日(金)快晴後晴  朝のメディナ巡り。 熟睡出来て6時00分に起床する。手持のオレンジとトマトを食べると、出かける用意をし6時46分に 朝の散歩をする為ゲストハウスを出る。7時前だが宿の家族は起きており、玄関はもう開いていた。

最初は「スマリン門」付近を歩いてみた。旧ユダヤ人街界隈の家はバルコニーが付けられているのが 特徴である。今はユダヤ人が少なくなったが、イスラエル建国前は多くの人が住んでおり、この国の 大きな町には必ずユダヤ人街やユダヤ人墓地がある(モロッコはユダヤ人に対して寛大だった様だ)。 この町でも時々ユダヤ人を見掛けるので、まだ住んでいる人が結構いるようだ。 今日はメディナの南側へ行ってみようと思い、宿の前の坂道を降りて「リベルテ通り」へ出ると、左へ 進み、7時01分に「イスティクラル広場」へ着く。ここは小公園に成っているので、ここで少し休み、 7時10分に「イスティクラル広場」を出て、南のメインストリートの「タアラ・セギーラ通り」へ入る。

フェズのメディナは六つのモデル・コースが出来ており、所々にコースの描かれた地図の看板が 立っていた。コースは色別に分かれており、この南のメインストリートは青のコースに成っている。 昨日の夕方は「ブー・ジュルード門」から北側のメインストリートとの丁字路までは歩いているので、 今日はこのフェズのメディナの、代表的な見所を巡る青のコースを忠実に歩いて見ることにする。 コースに沿って歩いていると建物の壁などに、そのコースの色に塗られた指道標が取り付けられて おり、指道標の通りに歩いて行くと、余程の方向音痴でもない限り迷わずに歩ける様に成っている。 これは解りやすくて良いシステムで、外国人観光客の集まるマラケシュ等の町も真似をすべきだ。 モロッコは世界遺産に指定されていても、少しもそれに対するインフラの整備がなされていない。

青のコースは「ペン・サフィ通り」、「ゼカケルン・ハシャール通り」と行き、丁字路の手前で右の細い 路地へ入って行き「ネジャーリン広場」へでる。ここには「ネジャーリン・フンドゥーク(昔の宿屋)」や 博物館(これはなかなか立派な建物である)などがあるが、まだ閉まっており見学は出来なかった。 早朝なので広場には人もおらず、博物館の人が広場の掃除をしていた。細い路地の中にこんな所が 在るなんて、ガイドを雇うか、指道標でもなければ解らないだろう。この小さな広場の少し先には 「ザウィア・ムーレン・イドリス廟」がある。もう扉は開いており、お参りに来ている人を見かけた。

「ザウィア・ムーレン・イドリス廟」より細い路地のスークを道成に行くと「カラウィン・モスク」の 正面へ出る。前が小さな「サファリーン広場」に成っており、ガイドに連れられた数名の白人観光客が やって来た。入口の日溜りでは大の男が、猫をかまって遊んでいた。フェズという町もマラケシュ 同様に猫の多い町で、猫達は人間なんぞ眼中に無いという態度でスークの中を自由に歩いている。 ここから商店街を少し歩くと、小さな門を潜り、7時47分に「ル・シーフ広場」へ出る。ここはバスや タクシーの乗場に成っており、数軒のカフェや大衆食堂があった。青のコースはここで終っている。 ここで少し休もうかと思ったが、もう少し歩くことにして、「ムハンマド・エル・アラウィー通り」を 歩き、8時10分にメディナの出口「ジェディッド門」へ出たので、ここの日陰で少し休むことにする。

「ジェディッド門」付近は工事をしており荒れた感じに成っていた。ここからは街壁の外に沿って歩き 「リベルテ通り」へ出て、先程の道を歩けばゲストハウスへは早く帰れるが、それでは面白くないので 引き返して左側の裏路地を歩くことにする。こんな何も無い住宅地の路地を歩くのは好きである。 適当に歩いて行くとドアーにまるで模様の様に鍵を付けた家があったが、これはやりすぎである。 裸電球が点る、まるで廊下みたいな細い路地や、白い厚化粧が剥がれた年増女のような路地を通り、 9時03分には何となく「イスティクラル広場」へ出てしまったので、ここで少し休憩することにした。 この時間だと陽射しが暑いので、長く座っていられないから、9時11分「イスティクラル広場」を出る 事にした。郵便局の左側の道を行き、「ブー・ジュルード門」を通って「青空スーク」へ行く。ここから 何時ものコースを歩き、9時25分に「チェムス門」の前へ出て「フランセ通り」を歩き、商店街に入る。

商店街をブラブラ歩いて「スマリン門」の近くまで行くと賑やかな音楽が聞こえて来る。音のする方へ 歩いて行くと、商店街の道路から少し引っ込んだ、突き当たりに在る階段を上った一段高い所から 音楽が聞こえていた。自分が怪訝そうな顔をして階段へ近付いて行ったので、階段の下でたむろして いた男達が、笑いながら上の方を指差して「行って見ろ」というので階段を上って行く。音楽は階段を 上がった直ぐ前にある塀に囲まれた大きな建物の中から聞こえていた。 その建物の前には、着飾った小さな男の子を抱いた女の人が数人いた。女に抱かれていた男の子達は ベソをかいたり、「この世の終わりだ!」という様な、とても哀れな顔をしていた。これを見た瞬間に これが何か直ぐに解った。今日は金曜日なので、年に数回ある割礼の儀式が行われているのだ。 それで町内の適齢期に成った男の子達が集められて割礼をされてるのだ。自分が門の前まで行き、 これは宗教儀礼なので、異教徒の自分が中へ入って行っても良いものか迷っていたら、近くにいた 小母さんが自分を見て、中へ入れと手招きをしてくれたので門の中へ入ってみる。 小さな中庭には昨日見かけた楽隊がいて景気付けの演奏をしていた(昨日のパレードは子供が割礼の 年齢に達した事をお祝いするパレードだったのだ)。面白いのは割礼は男の儀式なのに、集まって いるのは殆ど女ばかりで、男は知らん振りをしているのだ。若いお母さんよりも、祖母達がとても 乗り気になって興奮しているのは、日本の通過儀礼である「お宮参り」や「七五三」と同じである。 一緒に付いて来た女の子達は「男って可哀想、私達には関係ないわ〜」という涼しい顔をして、高見の 見物をしていた。建物の中では医者が割礼をしているのだろう(田舎とか昔は宗教指導者や長老が 行っていたが、現代の大きな町などでは衛生上殆ど医者が行っている)。さすがに建物の中へは入り にくいので、外で写真を撮ると引き上げることにしたが、珍しいものに遭遇したものだ (^_^)v

「スマリン門」から右へ行き、王宮の正門の横を通って「アラウィート広場」へでる。ここから引き返す 事にして、メラー(ユダヤ人街)の商店街へ入った。この通りもなかなか賑やかな通りである。途中の 小さな食料品店で、細いフランスパン(1.2DH=約18円)と、紙パックの牛乳(3.1DH=約47円)を買う。 これで久しぶりに冷たい牛乳が飲める(しかし、これは常温保存の物で、生の牛乳ではない (ーー)。 メラーを通り抜けて10時21分にゲストハウスへ戻る。買って来たパンと牛乳を食べて一休みすると、 11時05分に洗濯をして屋上に干す。11時20分頃にシャワーを浴びるとサッパリして気持ちが良い。 12時00分からベッドで横になり、少しウトウトしていたが、13時15分に乾いた洗濯物を取り入れる。 ここでも2時間有れば普通の物は乾いてしまう。それから昼寝に入り15時15分にベッドから起きる。 15時35分からパソコンを始め、17時35分に終わらせると、17時37分にゲストハウスを出る。 「スマリン門」から何時ものコースを歩くとする。「フランセ通り」を歩き「ブ・ジュルード門」を入る。 18時05分にメインストリートに在った小さなインターネット・カフェを見つけた。日本語が読める ことを確認してからインターネットを始め、18時50分にインターネットを終わらせて店を出る。 45分ほどやっていたが、10DH(約150円)と少し高い。でも日本語が読めるだけでも良しとしなければ。 「タアラ・セギーラ通り」を歩き、途中にあった八百屋でトマトを1kg買ったが、少し小型が9個で 4DH(約60円)だった。「ブー・ジュルード門」に出て、広場へ行ったが、広場ではもう音楽が始まって いた。ブラック・アフリカ系のリズムを持つ音楽が多いようだ。「チェムス門」から「フランセ通り」を 歩き、「スマリン門」に出てメラーへ入る。ゲストハウスの前の店で薄焼きのナンと紙パックの牛乳、 ミネラルウォーター(5.5DH=約83円)を買ってから、19時45分にゲストハウスへ戻る。自分の居ない 間に、自分の隣の部屋にはモロッコ人家族が入ったし、ウエスタンの青年バックパッカーも入った。

19時50分にシャワーを浴びる。20時15分からパソコンへ写真の取り込みやデータの打ち込みをする。 途中で屋上に出て見ると夜は涼しくて快適である。「スマリン門」はライトアップされており、前の カフェはまだ男達で賑わっていた。子供達も22時頃までは外で遊んでいる。やはり皆は夜型なのだ。 隣の部屋の家族連れには小さな子供がいたが、やはり夜遅くまで起きて部屋を出入して騒いでいた。 22時15分にパソコンを終わらせると、22時45分に消灯する。室内気温は27.5℃あった。 2007年6月9日(土)快晴後晴  今日もひたすらメディナ巡り。 熟睡出来て5時20分に目を覚ましたがまだ早いのでベッドにいた。5時55分に起床すると、6時05分 からパソコンを始めたが、6時50分にパソコンを終わらせると、朝の散歩へ出かける用意をする。 昨日と同じような時間の、6時55分にゲストハウスを出る。外へ出ると朝は涼しくて気持ちが良い。

今日は今まで歩いた事の無い所へ行ってみることにする。先ずは「スマリン門」から何時もの道を歩き 「小ミシュワール」の広場へ出ると、「スバ門」と王宮の裏門との間にある小さな門へ入り、東南側の 小さなメディナへ入って道成に歩いてみる。まだ閉まっている店が多いが、商店街に成っていた。 途中に在ったパン屋では、例の薄焼きのナンを焼いていたが、焼き立てでとても美味しそうだった。 このメディナは袋小路に成っているので1番奥まで行って引き返し、「小ミシュワール」から何時もの 「フランセ通り」を歩き、7時33分に「ブー・ジュルード門」へ着く。「タラア・ケビーラ通り」へ入り、 7時37分に紫と緑のコースの基点と成っている広場(高台の駐車場)へ着いたので紫のコースに入る。

ここから紫のコースに沿って歩くのだが、最初はメインストリートを歩いて行く。メディナには車が 一切入れないし、馬車や荷車なども使えないので、物資の輸送は今でも馬やロバの背に頼っている。 路地には直射日光が当たらず、風通しの良い、すだれの様な屋根を作っている所があるが、これは マラケシュのスークなどでも良く見かけた。道成に歩いて行くと8時03分に大きなモスクへ着いた。 メディナの中を歩いているとモスクのミナレットはなかなか見られないのだが、ここは眺められた。

 路地をしばらく歩いて行くと8時29分に  紫のコースの基点である広場へ着いた。  全てのコースの始発点とか終点は、  車が入れる駐車場に成っているようだ。  ここの広場にはベンチが置いてあるので  トレッキングシューズを脱いで少し休憩  する事にした。メディナの路地は石畳の  坂道でしかも摩滅している所が多いから  滑りやすい履物は危険だし、疲れるので  トレッキングシューズの方が歩き易い。  広場の対面にタンネリ(革の染色工場)が  あるようで、染色した革を干していた。 この時間に成るともうかなりの暑さで、日陰でないと駄目だ。珍しく犬が2匹ウロウロしていたが、 奴らも日の当たる所は辛そうだった。ユックリ休んで8時55分にこの基点に成っている広場を出る。 歩いて来た道をそのまま戻り、北側のメインストリートへ出ると、このスークの道を歩く事にする。

食料品のスークへ行くと肉関係の店が集まっている所があるが、どこの店先にも必ず猫が数匹いる。 彼らは肉屋からおこぼれをもらおうとしているのだ。モロッコの猫は魚よりも肉が好きなようで、 見ていると特に鶏肉屋の前に多い。彼らは生きているニワトリは襲わない。処が毛をむしられて、 「鶏」が「鶏肉」と、名前に一文字増えると、鶏肉が欲しくなるのだ。奴らは骨でもガリガリとかじる。 食料品のスークを抜けて「ブー・ジュルード門」へでる。何時も歩くコースの「フランセ通り」から 「フェズ・エル・ジェディド通り」を歩き「スマリン門」の裏にあるスークを歩く。途中で朝食用の ドーナツを2個買ったが、これは主食用の塩味の物で、1個が相場の0.5DH(約7.5円)だった。 メラーへ行き、昨日の店で細いフランスパンと牛乳パックを買い、9時53分にゲストハウスへ戻る。 部屋へ戻ると10時00分にシャワーを浴びる。もう暑いので夕方までお休みである。10時40分ベッドで 横になると、涼しくて(室内温度は28℃前後で昼も夜も一定している)しばらくすると眠ってしまう。 14時45分にベッドから起き、ガイドブックを出して明日行くメクネスに付いて調べる(何時でもその 前日に成らないと次の場所の事を調べないというのは、典型的な一夜漬けである (^^ゞ)。 16時58分ゲストハウスを出たが、玄関で東洋人バックパッカーの娘と会って挨拶をする(何処の国の 人かは話さなかったし、ここに泊まっているのかも聞かなかった)。「フランセ通り」へ出て17時13分 「シェムス門」へ着く。ここが緑コースの基点なので、ここから緑コースを歩くことにする。

緑のコースは「シェムス門」を潜った右側の公園も含まれているのだが、今は工事中で、この公園には 入れない。この町へ入った時に歩いた道を行き、途中にある分岐点から左へ入ると、裏路地モードに 入り、道成に歩いて行くと17時23分に「イスティクラル広場」へ出たが、これから先が本番である。 ここから指道標にしたがって右手の細い裏路地へ入るのだが、このコースは「これだ!」という様な、 特別な観光ポイントは何も無く、静かなメディナの裏路地を楽しむというコースの様で、これは自分 好みのコースと言える。静かな路地を歩き、17時56分に南側のメイン・ストリートへ出たが、昨日の インターネット・カフェの近くだった。18時04分に緑のコースの基点になっている、高台の駐車場へ 着いた。この駐車場から「フェズ北通り」へ出て、対面にある丘へ登ることにして登口を探す。

車道ではなく踏跡があったので、その道を登り、18時24分に「マリーン朝の墓」の在る丘の上へ着く。 ここにはおそらく立派なドーム型の廟が幾つかあったのだろうが、今は幾つかの痕跡が残っている だけで、子供達の遊び場に成っている。ここはとても見晴らしの良い所で、フェズのメディナの 全貌が眺められる(やはりかなりの斜面に作られている事が解る)。ここには車でやってくる個人の 観光客や、バスで来る団体さんもおり、ここは知る人ぞ知る隠れたビュー・ポイントと言える。 写真を撮り景色を眺めていたら、近くにいた色の黒い東洋人の青年が「日本人ですか?」と声を掛けて 来て、彼が日本人であることが解った(互いに日本人かどうか探りを入れていたのだが、これは良く 有る事だ)。彼は海外青年協力隊員で、ブラック・アフリカの或る国へ2年間赴任しているという。 隊員は2年間のうちで1回だけ、赴任国近くの国へ旅行が出来るそうで、彼はモロッコを選んだと いう。「エジプトの方が良かったのでは?」と言うとエジプトは選択肢に入っていなかったという。 話を聞くと、どうも行ける範囲や旅行日数が決まっているようで、事前に計画書を出すのだと言う。 モロッコの見所を聞いて来たので、彼の立てたコースを聞く。タンジェに3泊を予定しているので、 止めさせてシャウエンへ行くことを勧め、そこからティトゥアンへ日帰りで行くことを勧めた。 「最後は海の見えるエッサウィラで魚を食べてノンビリしたい」と言うので、それは良いと勧める。

 しばらく彼と話していたが、面白かったのは  日焼けして黒くなってしまうという話だ。  男は余り気にしていないが、女性は2年分の  日焼け止めクリームを持って来ている人が  いるというから笑ってしまったが …… 。  太陽が沈み、夕焼け雲が綺麗に成ってきたが  地平線に沈む太陽の姿は見られないので、  彼と別れてそろそろ宿へ戻ることにする。  19時10分「マリーン朝の墓」のある丘を降りて  「フェズ北通り」を歩いて行く。昨日演奏会を  やっていた広場の横を通ったが、今日も  やっており丘の上でも音楽が聞こえていた。 「フランセ通り」へ入ると、何時もは閑散としているこの通りだが、夕方に成ると人出が多くなり、 道端で夕涼みをしている女性(何故か小母さんが多い)や、個人的な露店も多く見受けられる。 「小ミシュワール」の広場へ入ると、この近くに在る、老人のやっている小さな食堂へよって、夕方に 成ると用意する、サンドイッチ用のジャガイモとゆで卵を酒のつまみに買った。ここにいた青年は 片言の日本語が出来て、話しかけてきた。彼の兄さんは、早稲田大学に留学していると言っており、 それで自分も少し日本語が出きるのだと言う。英語と日本語をチャンポンにして少し話をしていた。

 彼と話をしていると何やら賑やかな音が聞こえて  来たと思ったら、昨日と同じ様に着飾った子供が  馬に乗ってやってきた。やはり前後には着飾った  女達がたくさんおり、手拍子をならして声を  上げていた(でもこの父親は普段着だった)。  どうもこのパレードは日にちが決まっている  様ではないとみた。金土日など比較的みんなの  暇な時にやっているという感じである。そして  このパレードにしても、割礼の儀式にしても、  どうも女の方が全てを仕切っている様に見えた。  このパレードは男の子が或る一定の年齢になると  町内(村とか集落)の人達に、自分達の社会の  一員に成った事をお披露目する儀式なのだろう。 これは民族学や民俗学のレポートを見ていると、世界中何処にでも有った事だが、乳児や幼児の 死亡率が高かった昔は、子供が何とか生き残れる段階までに達するまでは、そこのコミュニティの 一員として認めていなかったのだ。もう大丈夫だと成った時に正式な名前を付けたりしている民族も ある。パレードにしても割礼にしても、成人式のひとつ手前の、社会参画への通過儀礼なのだろう。 パレードが去ると商店街を通ってゲストハウスへ戻ったが、商店街も今頃の方が昼間よりも人出が 多くて賑わっていた。19時50分に宿へ戻る。部屋へ戻ると19時55分にシャワーを浴びて汗を流す。 水シャワーでも少しも苦にならないから良い。20時20分からパソコンへの写真の取り込みとデータの 打ち込み、充電池の充電を始める。22時20分パソコンを終わらせ寝る用意をし23時00分に消灯する。 3日間フェズのメディナを歩きまわったが、メディナそのものとしてはマラケシュよりもはるかに 良い町だった。この町の方がメディナの原型が残っていたし、それ程観光化されていないので良い。 中世時代が生きているメディナはティトゥアンだが、この2つの町のメディナをみれば、メディナが どんなものか良く解ると思う。これからは、もうこれだけのメディナには出会えないだろうと思う。 明日はメクネスへの移動するが、これから先は何処の町へも移動距離が短いのでとても楽だろう。

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