2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の八 6月10日〜6月12日  メクネスとヴォルビリス


2007年6月10日(日)晴一時曇  隣町メクネスへ。

明るくなり始めた5時前から外がうるさくて目を覚ます。ここは下町的な所なので夜は遅くまで
騒いでいるし、朝も比較的早くから人が動いている。5時15分頃には何処からか歌が聞こえてきた
(おそらくコーランを読んでいるのかもしれない)。まだかなり早いのだが、5時40分に起床する。
6時頃からパソコンを始め、7時30分頃に終わらせて荷造りを始める。下へ降りると主人に3日分の
宿代として135DH(約2,025円)を払う(この宿は恐らくフェズの町で1番安いゲストハウスだと思う)。

7時47分に「ホテル・アガディール」をチェック・アウトすると、何時ものコースを歩いて8時04分に
民営バスターミナルへ着く。ターミナルビルを通り抜けて駐車場へ行くと、客引きの車掌が居たので
メクネス行きのバスを聞いたら、バスはちょうど駐車場の出口付近にいたので8時10分に乗り込む。
メクネスまでのバス代は13DH(約195円)と、とても安かった(近距離のバス代は比較的に安いようだ)。

8時16分にフェズの民営バスターミナルを発車する。少し走ると、8時27分にこの前も給油していた
町外れのガソリンスタンドで給油を始め、8時30分にガソリンスタンドを出て本格的に走り出す。
バスは田園地帯を走って行くが、8時46分に小さな町を通る。この町は街道沿いに郵便局や小さな
生鮮市場などが在った。9時11分に線路を渡ったが、右手には大きくて近代的な工場が見えていた。

ここから少し行くとメクネスの新市街へ入って行ったが、結構大きな町だ。新市街と旧市街を結ぶ 「ブーフェクラン渓谷」へ架かる橋を渡ると、メディナの街壁に沿って右側へ回り込み、9時32分に メクネスの民営バスターミナルへ到着する。このバスターミナルは町の規模から見ると、少し小さな 駐車場だし、ターミナルビルも小さかった。バス会社のブースの数もかなり少ないように思える。 今回のモロッコの旅で、長距離バスへ乗るのはこれでお仕舞いにすることに成っている。この町から 首都ラバトへと、ラバトからカサブランカへ、カサブランカから空港までの3回の移動は列車を利用 する事にしているのだ。これはラバトやカサブランカの安宿のある旧市街と、民営バスターミナルの 場所が少し離れており、どうも地の利が悪く、鉄道を利用した方が、歩いて行けるので便利なのだ。 9時37分にバスターミナルを出ると、バスターミナルから見えている大きな「クミス門」へ向かって 歩きだす。すぐ近くまで来てこの門を眺めると、なかなか綺麗で大きな門である。マラケシュや フェズよりも、この町の方が全体的に芸術的な造りの町だと感じ、世界遺産としての風格がある。

 「クミス門」を潜ると直ぐに大きな二又が  あるが、左側の街壁(といっても塀みたいな  物)に沿って歩いて行くと、大きな交差点へ  出るが、壁に沿って左へ曲り坂道を上って  行くと左手に大きな広場が在り、右手には  タイルで綺麗に装飾が施された、この町の  シンボルである「マンスール門」が在った。  9時52分「マンスール門」の前を通ったが、  ここがメディナの中心に成っている様だ。  町のランドマークに成っているこの門の  前に広がる「エディム広場」はなんとなく  マラケシュの「ジャマ・エル・フナ広場」と  性質が似ているような感じがした。 「マンスール門」の前は市バス乗場に成っている。門前のメインストリート「ダル・スメン通り」には 宿屋、食堂、カフェ、商店などが並び、メディナの繁華街に成っている。時間的には早すぎるのだが 早速この町の宿探しをする事にした(本当は12時過ぎの方が良いのだ)。この通りには4軒の安宿が 並んでおり、2ヶ所ほど訊ねてみたがどちらも満員だった。やはりメディナの中の安宿には欧米人の バックパッカーが集まっている様だった(後で日本人バックパッカーも数人泊まっていたのが解る)。 郵便局(実際はガイドブックの地図の反対側にある)のすぐ近くに在る「ホテル・アガディール」は 70DH(約1,050円)でなかなか良かったが、ここも満員だった。ここは白人の女性が対応してくれたが オーナーが欧米人なのかも知れない(ロビーにも客ではない雰囲気の白人の中年男性が居た)。 坂を降り切った丁字路を右へ降りて行くと、この通りも引き続き商店街に成っている。この通りには 数軒のレストランやカフェが並んでおり、話しかけてきて男がいて「ホテルを探しているのか?」と 聞いてきたので「ホテル・モロッコに行くのだ」と言うと、その男はホテルまで案内してくれた。 この男は客引きかと警戒していたが、そうではなくカフェの人間で、ホテルと関係がある様だった。

この「ホテル・モロッコ」は表通りから右へ少し引っ込んだ、一段高い路地に建っていた。中へ入り マネージャーらしき男と値段の交渉をしたが、少しも負けないので向の言い値の70DH(約1,050円)で 泊まることにする。10時13分に3泊分の宿代を払いチェックインする。自分の部屋は2階の17号室で 中庭に面した明るい良い部屋だった。外窓の無い暗い角部屋だとか、パティオ(中庭)に面していない 外側の部屋だと安いのかも知れないが、マネージャーは1番良いシングルの部屋をくれたのだ。 ここは、温水シャワーとトイレ(洋式もある)は共同だが、整備が良く、掃除も良く行き届いていた。 部屋の中には定番の洗面台と、小さなテーブルと椅子があった。ベッドのクッションが硬くて良い。 窓からパティオ(中庭)を見ると大きなオレンジの木があり、青い実がたくさん付いていた。荷物を 解体して一息入れると、少し暑いが、10時48分にゲストハウスを出て近所の様子を探ることにする。

 メインストリートを歩いて「マンスール門」まで  行ってみる。門の中は何かの展示会をしており  今では、門としての役割はしていない様だ。  門の横には壁を壊して作った小さな通用門が  あって、街壁の中へ入ると広場に成っていた。  右側へ行くとやはり広場に成っており、正面に  大きな門が在る。その門を潜ると左側には  「ムーレイ・イスマイル廟」があり、この道の  先には「風の道」への入口の「リフ門」が見える。  この廟は最近補修したのか、なかなか綺麗だ。  建物の感じから見ると、この廟はモスクの  構造に似ており、とても大きな建物である。 本日は様子見なので、「風の道」から先は後日行く事にして、ここから引き返すことにする。先ほどの 「エディム広場」まで戻ると、広場を通り越して反対側の左側にあるスークの通りへ入ることにする。

この通りはこの町で1番大きく賑やかなスークの様で、昼間から露店が並んでおりお客も多かった。 午前中でこれだったら、夕方はさぞ混むことだろうと思う。露店の終るところまで行くと引き返す。 途中から路地の商店街へ入り、道成に適当に歩いて行くと「グラン・モスク」へ出た。さらに適当に 歩いて行くと開けてきて、11時58分に北東にある小さなゲートへ出たので、その門を潜り外へでる。 途中に在った女性ばかりでやっている小さな食堂へ寄り、サンドイッチを作ってもらった。これは 内容からみて5DH(約75円)位の物だったが、10DH(約150円)も取られてしまった(油断もすきもない)。 ゲストハウスの近くの食料品店で、400ccの大きなプラスティックボトル入りのイチゴヨーグルトを 買った(5DH=約75円 これがとても美味しかった)。買い物をして12時14分にゲストハウスへ戻る。 買ってきた物で昼食をとると、12時25分から洗濯を始めた。12時29分にアザーンが聞こえてくる。 洗濯が終わり12時40分からシャワーを浴びたが、昼間はお湯が出ない。13時00分からベッドで横に なったが、少し昼寝をする。15時50分にベッドから起きて出かける用意をし、16時34分に宿をでる。

まだ暑いが、今度は新市街にある鉄道の駅へ行ってみることにする。メクネスから次のラバトへは 列車で行く事にしているので、駅の場所と駅までの所要時間、列車の発車時間を調べておくのだ。 「ムーレイ・イスマイル通り」を歩き、16時46分に「ブーフェクラン渓谷」へ架かる橋を渡る。川は細い 流れだし、渓谷という雰囲気も無い。橋も少しも橋らしい雰囲気が無かった。橋の途中で2人連れの 日本人娘を見掛けたがガイドブックを見ながら歩いていた(せめてカバーくらい掛けろと言いたい)。 橋を渡ると大きな交差点が工事中で渡りにくいし、人が歩く事を少しも考慮していない。交差点の 右角にはマグドナルドがあった。坂道を上り、16時52分に「フォアール広場」のロータリーへ出る。 ここで身体の大きな1人の日本人青年とすれ違う。何故日本人かと解るかというとガイドブックだ。 本当に「ガイドブックを持って歩くな、ガイドブックにはカバーを掛けろ!」と言いたい。これでは 「自分は日本人で〜す。金を持っているのでカモにしてください」と言っている様なものである (ーー; さらに真っ直ぐ行き「イフリキ広場」を右に曲り、左側を注意して歩いていると駅舎が見えたので、 左の路地へ入り、16時57分に「アミール・アブデルカデル駅」へ到着する。白い小さな駅舎だった。 建物の中へ入ると正面は売店で、左へ一段降りた所が待合室と切符売場に成っていた。時刻表を調べ メモをとると、17時08分に駅を出た。「アクラ通り」を歩き「フォアール広場」のロータリーへ出る。 ここで又しても色黒の小柄な日本人青年とすれ違った(短時間で4人も見かけた)が、彼はいかにも インド辺りにいそうな、典型的なバックパッカー・スタイルをしていおり、「もう少し肩の力を抜いて 歩けよ」と言いたくなる様な、周りを睨みつけるような顔をして足早に歩いていた (^^; 橋を渡り「ダル・スメン通り」を歩き、安宿の横にある路地からスークへ入る。路地の商店街を歩き、 「グラン・モスク」を通り、先ほどの露店が並ぶメインストリートへ出た。スークの中心の、古い門が 在る交差点にサトウキビ・ジュース屋がいたので、久しぶりに1杯(5DH=約75円)飲むことにする。 この店はサトウキビの先に四つ切にしたレモンを刺して、一緒に絞っている(インドではライムを 半分に切って絞って入れるのが普通だ)。四角い大きな機械で絞るのだが、ジュースが出てくると、 何故か冷たく成っているのだ。久しぶりに冷たくて美味しいサトウキビ・ジュースが飲めた。

左に曲り、下り坂の商店街を歩き、「メラー門」まで行って引き返す。生鮮市場を通り「エディム広場」 から「ダル・スメン通り」を歩き19時07分にゲストハウスへ戻る。途中で色々と買物をしたが、トマト 1kg(7個で4DH=約60円と相場の値段)、メロンを2個(4DH=約60円、甘くてとても美味しい)、 小型のリンゴを3個(硬くて酸味が強く、昔の青リンゴの味がする)、砂糖の掛かった大きなドーナツ 2個(2DH=約30円、柔らかくてとても美味しい)を買い、宿の入口の角にある食料品店で、紙パック 入りの牛乳(4.5DH=約68円)を買う(この牛乳はフェズで買っていた牛乳よりも美味しかった)。 汗をかいたので19時25分にシャワーを浴びる。久しぶりのお湯シャワーで、お湯もタップリと出た。 19時40分にアザーンが聞こえてきた。18時45分からパソコンへ写真の取り込みとデータの打ち込みを 始め22時40分にパソコンを終わらせると、22時55分に消灯する(昼寝をしたのに実に良く寝れるよ)。 メクネスはフェズよりも高度が少し高く、室内温度は24.6℃とフェズの部屋よりも涼しくて快適だ。 2007年6月11日(月)快晴  古代ローマ遺跡のヴォルビリスへ。 6時27分に起床する(本当に呆れるほど完全熟睡していた (^^ゞ)。7時13分にゲストハウスを出る。 今日は世界遺産に成っている、古代ローマ遺跡のヴォルビリスへ日帰りで行くことにしているので、 ムーレイ・イドリス行きの1番バスに乗るのだ。ノンビリ歩き7時32分民営バスターミナルへ着く。 ターミナルビルから乗るバスを探そうと駐車場へ出ると、男が近付いてきて「何処へ行くのか?」と 聞くので、「ムーレイ・イドリスだ」と答えると、バスのいる方向を指差して教えてくれた。ここには 赤い制服のベストを着た男が数人いて、お客を乗るバスや、切符を売っている窓口へ案内している。 彼らはこのバスターミナルの職員で、サービスでやっているのだ。今までの民営バスターミナルには ないシステムで、とても親切なことである。これは他の町の民営バスターミナルも真似るべきだ。 駐車場の端の方へ行くと、建物の横の露天にテーブルをひとつ置いて切符を売っている人がいたが、 ここがムーレイ・イドリス行きの切符売場だった。切符を買ったが8DH(約120円)ととても安かった。 7時36分にムーレイ・イドリス行きのボロバスへ乗り込む。少しすると昨日駅からの帰りに見掛けた 色の黒い日本人青年が乗り込んできたので、彼もヴォルビリスへ行くのだろうと解った。相変わらず 怒った様な緊張した顔をしていたが、不安オーラが身体全体から出ている。 我々が乗り込んだボロバスは、7時59分にバスターミナルを発車した。バスはメディナの外を回り、 橋を渡って新市街へ入る。8時18分に新市街のガソリンスタンドで給油すると8時22分に発車する。 町を抜けると、穏やかで明るい田園地帯を走って行くが、やがて右に曲り丘陵地帯を上って行く。

やがて前方に尾根の裾を覆うような典型的な町が見えて来たが、これがムーレイ・イドリスの町だ。 バスは街道から分岐し、右に上って行く道へ入ると、8時58分ムーレイ・イドリスのバス停へ着く。 バスの止まった付近は広場に成っており、ここはバス停とグランタクシーの乗場に成っている。 自動車はここから街中へは入っていけないのだ。この広場の奥が、この町のスークに成っていた。 バスから降りてグランタクシーの方へ行くと、運転手が「ヴォルビリスか?」と聞くので「そうだ」と 答えると、車に乗れという。先客がおり、自分が乗った直ぐ後に男が一人乗り満員となったので、 9時04分に発車する。街道へ向かって降りて行くと、あの日本人青年が歩いていた。彼は歩いて行く ようだったが、ムーレイ・イドリスからは3.5qから4qくらいだろうから歩いても1時間で着ける。 街道へ出て右に曲り直進する。やがて丁字路の分岐点がありここにヴォルビリスへの指道標がある。 ここを左に曲り、少し下ると9時10分にヴォルビリス遺跡の入口へ着く。運転手が降りろというので 料金の5DH(約75円)を払って降りる。ヴォルビリスの集落はもっと先にある様で他の人は降りない。 ここはまともな門や塀があるわけでもなく、小さな小屋がたっているだけだった。10DH(約150円)の 入場料(「地球の歩き方」には20DHと成っているが、モロッコの普通の入場料だ)を払い、9時12分に 遺跡へ入り見学を始める。今日は雲ひとつ無い快晴で、この頃にはもうかなりの暑さになっていた。

 道成に歩いて行くと、川らしき  窪地を挟んで正面に柱と壁の  残る大きな遺跡が見えていた。  ここの遺跡は立体的な建物が  少ないので、このバシリカは  目に付く遺跡のひとつだった。  柱や壁の上にはコウノトリが  たくさん巣を作っており、  ここもコウノトリの棲家に  成っている(奴らはなんとなく  遺跡とかモスクが好きな様で、  よく巣を作っている)。 少し行くと住居跡と思われる遺跡に出る。壁の基礎の部分とか柱の基礎の部分だけしか残っていない けれど、これでどの程度の大きさの家とか、間取りなどが良く解る。それにしても家が密集しており 家と家との間には細い路地が通っているだけという感じだった。ここは紀元前後の都市遺跡である。 柱の頭部が落ちて下に転がっていたが、コリント式、イオニア式、ドーリア式などが混在していた。

宅地を抜けるとこの町のメインストリートである「デクマヌス・マクシムス通り」へでる。この通りの 中央部分には石畳の一部が残っていたが、それにしてもおかしな残り方である。道の周囲の小さな 石は剥がされて、再利用されてしまい、中央の重たい大きな石だけが残ったのかも知れない。 メインストリートはかなりの傾斜があるが、傾斜地に町を作ったのは給排水を考えているのだろう。 遺跡の1番高い所に在る通称「タンジェ門」まで行ってみたが、ここにはアーチ型の門が僅かに残って いた。当時はなかなか立派な門だったと思われるが、街壁や門に付随する見張り台の塔などの建物は 何も残っていなかったし、アーチ自体も崩壊の危険性があるので、保存などの処置が必要だ。

「タンジェ門」から引き返すと、メインストリートの左右の住宅地を見学している、欧米人の観光客が いたので、そこまで行ってみると、住居の床にはモザイクが綺麗に残っていた。この遺跡には細かな 指道標や解説板、パンフレット等は無いので、気を付けて見て歩かないと見落としてしまうだろう。 家によって模様が違うが、かなりの数が残っている。今までに見てきた古代ローマ遺跡のモザイクの 中では数も質も、とても良い方だと言えるが、大物は少ない。これだけ見事なモザイクだったら、 他の国では屋根を掛けたりして保存するだろうが、剥き出しでそのまま放っとらかしているのだ。 綺麗に残っているこの遺跡の殆どのモザイクの写真を撮って歩いたが、低い位置からだと全体像が 撮れないので残念だ。しかし、デジタルカメラのメモリーが心細くなってきたのには参った (^_^;

モザイクを見ていくと「北の浴場」へ出たが、ここは円形のそれ程大きくない浴場だった。この浴場の すぐ近くに在る「列柱の邸」の日陰で少し休むことにする。靴を脱いで座り込んでいると、風が通り とても気持ちが良い。これで住宅地の見学を終えてメインストリートへ出ると、正面にはこの遺跡の 1番の見所である「カラカラ帝の凱旋門」がある。門の右手上のレリーフがカラカラ帝なのだろう。 この門の最上部にはローマ字の碑文が彫られた大きな石が数個並んでいたが、本来は門の上全面に 有ったのだろう。「カラカラ帝の凱旋門」はメインストリートの入口に在るので、正門なのだろう。

「カラカラ帝の凱旋門」を潜って左側(南側)には、かなりシッカリと残っている建物があったので、 中へ入ってみたら、パティオ(中庭)みたいに成っていた。中央に在る長方形の囲いはプールか風呂に 成っていたようだ。これを囲む回廊の両側には小さな部屋が並んでいたが、ここが「ドッグ・ハウス (娼婦の館)」だと直ぐに解る。古代ローマ都市には必ず娼館があり、イタリアのポンペイの娼館と 造りが似ているが、こちらの方が開放的でおおらかな造りだ。男根の彫り物をした石が1個置いて あったが、皆が触るので黒光りがしてツルツルしていた。ポンペイでは、これを娼館への指道標に 使っており、道路の石に彫ってあったが、そのユーモアのセンスには笑ってしまったものだ。 次は「フォーラム」を通って先程遠望した「バシリカ」へ行ったが、ここでは皆階段に座り休んでいた。 「ガリエヌス帝の浴場」へ行ったら、現地ガイドをつれた観光の一団がいたが、この現地人ガイドの 小男は自分に入場券を見せろというので、見せるとチラッと見てアッチへ行けという身振りをした。 彼は観光団に自分の権威付けをしてみたかったのだ。虎の威を借るこういう小者には良く有る事だ。

この先に或る建物が在り、中を覗くと油を絞る装置や石臼などがあった。木の部分は最近つけたの だろうが、石の部分は当時の物なのだろうか、余りにも良く残っているので半信半疑である。 これで一通りの遺跡は見学したので引き返す事にする。とにかく暑いし、日陰が無いので、ここには とても長時間いられない。初夏のこの時期だからまだ良いのだが、夏など暑くて来る所ではない。 「バシリカ」を通って近道を歩き、涸れ川を渡ると、10時58分に遺跡のゲートへ着いたので外へ出る。 タクシーの運転手が待ち構えており、自分を見つけると「ムーレイ・イドリスまでは5qあって、 料金は40DH(約600円)だ」と言う。距離は約3.5qで、グランタクシー1台の料金は30DH(約450円)だと 解っているので相手にしない。とかく観光地でウロウロしている奴らは外国人からぼる事しか考えて いないので、一旦外す必用がある。近くにあるカフェへ行って冷たいスプライト(7DH=約105円)を 飲んだが久しぶりに文明の飲物を味わった。一休みして11時10分にヴォルビリス遺跡の入口を出る。

 道は解っているし、写真を撮りたいので  ある程度歩く事にする。分岐点の街道まで  行けばタクシーは捕まえられるだろう。  明るい舗装されて直線道路で、見晴らしが  良くて遺跡の全貌が眺められる。道路脇の  草花の写真を撮りながら歩いて行くと、  11時23分に街道との分岐点へ到着した。  この時、後から乗り合いタクシーが来て  自分の横に止まったので乗り込む。とても  良いタイミングなのだが、贅沢を言えば、  もう少し遅くれて来てもらいたいものだ。 自分の横にいた2人の青年が自分に5DHコインを見せて、料金はこれだと教えてくれたが、自分が 手に持っていた5DHを見せると、2人はニャリと笑って「こいつは解っているな」という顔をした。 タクシーはあっと言う間に街道を走り抜け、11時29分にはムーレイ・イドリスのバス停へ到着する。 タクシーを降りると1台のバスが待っており、車掌が「メクネスか?」と聞くので「そうだ」と答えると 「このバスに乗れ」と言うので、11時30分にはもうメクネス行きのバスへ乗りこんだ。本当は座席を 確保してからスークでも見て歩きたかったのだが、車内に荷物は置いておけないので諦める。 蒸し暑いボロバスの中に座っていると、段々と客が増えてきて、12時02分にはムーレイ・イドリスを 発車する(意外と定刻運行をしている)。街道へ出ると隣に座った男が、遺跡の方を指差して「あれが ヴォルビリス遺跡だ」と教えてくれる(この男はなかなか親切な男だった)。これでモロッコに在る 七つの世界遺産を全て見たことに成るが、旅の後半はバタバタとたて続けに世界遺産を見て来た。 12時28分に本線との分岐点へ出て、本線の街道へ入る。丘陵地帯を快調に走り、メクネスの新市街へ 入るとロータリーの近くで止まった。隣にいた男が「ここで降りないと次はメディナになるぞ」とまた 親切に教えてくれたが「自分はメディナまで行く」と答える。来た時と同じ様に橋を渡り、街壁の外を 一周して、12時51分にメクネスの民営バスターミナルへ着いたから快調なペースの走りだった。 「エディム広場」まで行くと広場に面した建物のスークへ入り、小麦粉のフワフワした薄焼きを買う。 これはドラ焼きの皮を少し薄くしたような、直径20センチ程のパンの一種で、柔らかくてとても 美味しい物だ。やはり何かを挟むか巻いて食べるのだろう。1枚1DH(約15円)だから結構な値段だ。 ゲストハウスの入口の食料品店で牛乳を買って、13時26分にゲストハウスへ戻る。 汗をかいているので、13時30分に水シャワーを浴びるとサッパリする。買って来た物を食べながら 13時55分からパソコンへヴォルビリス遺跡の写真の取り込みや、データの打ち込みを始め、15時10分 までやっていた。今日は朝早くから炎天下を動き回っていたのでいささか草臥れて眠く成って来た。 15時15分からベッドで横になったが、かなりタップリと昼寝をする。17時15分にベッドから起きる。 少し涼しく成って来たので、17時30分に散歩をする為ゲストハウスをでる。「マンスール門」を潜った 広場の奥にある袋小路のメディナを歩いてから広場へ戻る。18時03分「リフの門」を潜って「風の道」へ 行き、ここから引き返して「エディム広場」へ戻り、何時ものスークを一通り歩く。 屋台のリンゴ屋で小型の青いりんごを1kg買ったが、11個来て8DH(約120円)だった。昨日3個買って 食べたら昔懐かしい青リンゴの味だったので又買ったのだ。門の近くの、路地の入口にあった小さな 食堂でサンドイッチを作ってもらったが、小型のフランスパンにソーセージ、ポテト、マカロニを 入れてもらって3DH(約45円)ととても安かった(この店はパンの中に入れる具によって値段が違うが、 安くて良心的な店だった)。昨日の店で甘いドーナツを2個買い、露店のピーナツ屋で酒のつまみに 一袋(2DH=約30円)買う(これは表面に荒塩が付いており、とても美味しかった)。 宿の近くまで戻ると角の食料品店で1リットル入りのミックスジュース(10DH=約150円)を1本買う。 買い物を終え19時23分にゲストハウスへ戻る。一休みして19時50分からパソコンへ写真の取り込みと データの打ち込み、充電池の充電などをしていた。21時12分に本日最後のアザーンが聞こえてくる。 23時05分にパソコンを終らせて23時18分に消灯する。室内温度は25.0℃で今夜も涼しくて快適だ。 2007年6月12日(火)晴後快晴  メクネスの休養日。 6時25分起床したが、やはり完全熟睡をしていた(旅の後半に入って驚くほどとても良く寝ている)。 手持ちの果物を食べて朝食とする。出掛ける用意をすると7時25分に散歩の為ゲストハウスを出る。 何時も歩いているメインストリートの「ダル・スメン通り」をブラブラ歩いて「エディム広場」へでる。

「マンスール門」の横に作られている実用のゲートを潜り「マンスール門」裏の広場へ出る。7時40分に 「リフ門」(この門の造りはなかなか面白い構造)を潜り、街壁に挟まれた直線道路の「風の道」へ入る。 この道は高い塀に挟まれた直線道路なので、本当に風の通りが良く成っており、涼しくて良い道だ。 道には新しい街燈が作られ街壁の補修工事などもしており、多少なりとも世界遺産を意識している。 「風の道」は突き当たると右に曲り、7時56分に王宮前の広場へ出る。広くて良く手入れのされている 広場で、広場の端の植え込み付近を歩いたら、オレンジが植えられており、青い実が成っていた。

正面のゲートを潜り道成に少し行くと一段高くなった広場があり、その先に大きな人工の池が見え、 左手には大きな建物の遺跡が在った。これが「ダル・エル・マ」という「水の館」につらなる、「ヘリ」と 呼ばれる穀物倉庫の跡だった。この穀物倉庫にはこの町に住む人間だけでなく、馬の飼料まで蓄えて いたと言われている。この巨大さから察すればそれも可能だっただろうと納得する。高台から下へ 降りると8時09分に「アグダルの貯水池」へ着く。少し陽射しは暑いが、ベンチに座って休憩をとる。 ここに座っていると池の周りをジョギングをしたり散歩をしている人、ベンチに座っている人など、 色々な人間観察が出来て飽きないものだ。いささか暑く成って来たので8時26分にここを出る。

 貯水池に沿った道を歩いて行くと対岸へ出るが  左側にゲートがあり、街壁の外へ出られる。  この付近は住宅地に成っており、大衆食堂や  商店等も在った。地図に無い街壁に沿った道を  歩いて行くと正面に「カリ門」が見えて来る。  8時40分「カリ門」を潜ったが、この門は厚みが  あり、門の中はまるで部屋の様に成っている。  この造りは「リフ門」と同じだが、こちらの方が  大きな門であるし、街壁も厚みがある。  門を潜ってからも街壁に沿って在る道を進むと  交差点へ出る。右へ曲り街壁に沿って歩いたが  真っ直ぐ行くとユダヤ人街へ入って行くのだ。 広場を通って8時54分に「マンスール門」の前へ着いたが、寄り道をせずにこのまま真っ直ぐ宿へ帰る ことにする。9時07分にゲストハウスへ戻ると、9時25分にシャワーを浴びたが、まだお湯が出た。 9時40分よりパソコンを始めたが、11時20分にパソコンを終わらせ、暑いが出かけることにする。 11時26分にインターネットをする為、インターネット・カフェを探しにゲストハウスを出る。宿の 近くに在る大きなインターネット・カフェへ行ってみたが、ここは日本語が読めないというので、 次を探すことにする。表通りからスークへ入り、「グラン・モスク」から或る路地へ入ると、小さな インターネット・カフェが在ったので、12時05分この店へ入ってみる。日本語が出来るかと聞くと、 店の主人が日本語をインストールしてくれた。12時35分にインターネットを終わらせる。料金は30分 だったのに10DH(約150円)と、とても高かったが、日本語をインストールしてくれたので良しとする。

昨日サンドイッチを買ったスークの店へ行きサンドイッチを1個作ってもらう。今日はソーセージ、 玉葱、ポテト、マカロニ、フライドポテトとタップリ入れてもらい6DH(約90円)だった。店を出て 「エディム広場」へ出る。ここには市バスのバス停があり、赤い市バスが行き来しており、隅の方には 馬車が客待ちをしていた。この町の馬車も観光用だが、普通の交通機関としても使われている。 メインストリートを歩いてゲストハウスへ帰ることにしたが、この時間が1番暑い頃だ。13時02分に ゲストハウスへ戻ると先程のサンドイッチを食べて、13時50分からベッドで横になり昼寝に入る。 15時00分頃に昼寝から起きると、15時20分からパソコンを始め17時25分に終わらせる。少し涼しく なったので、17時31分に最後の散歩をしにゲストハウスをでる。このメディナは殆ど見尽くしており 最後の散歩は代表的なスークを適当に歩いてみる事にし、いつも基点となる「エディム広場」へ行く。

ここからその先に在る広場へ行ってみると、ここは大きなグランタクシー乗場に成っていた(ここは 地図には載っていない)。ここには乗客目当ての屋台が幾つも出ており、定番の焼トウモロコシ屋や 夕方に成ると出てくるパン屋がいた。この広場を後にし何時ものメインストリートのスークへ行く。 この町のスークを歩いていて気が付いたのは、ユダヤ人がかなり多く住んでいるという事だ。彼らは 何処の大きな町にも居るが、これ程ユダヤ人が目に付いたのはこの町が1番で、次がフェズだろう。 彼らはユダヤ人独特の白い小さな帽子を被っており、中には長い髭を生やした正統派の男もいた。

スークの終わる所にある「ジュディド門」を見てからそろそろ引き返すことにする。昼間の店へ行き、 昼間と同じサンドイッチを作ってもらう。そして朝食用に何時もの砂糖付きのドーナツを2個買う。 「エディム広場」へ出ると、夕方なので人出が多かった。ここは「ジャマ・エル・フナ広場」と同じ様に 小さな露天商や、大道芸人などがいくらか出ており、けっこう夕涼みの地元民で賑わっていた。 19時07分にゲストハウスへ戻ると一休みし、19時25分にパソコンへ写真の取り込みと、データの打ち 込みを始める。19時42分にアザーンが聞こえてくる。途中で止めて、20時20分にシャワーを浴びる。 この時、隣の16号室に若い白人女性が一人入って来た。21時12分に最後のアザーンが聞こえてくる。 22時45分にパソコンを終わらせると、23時29分に消灯する。明日はいよいよモロッコの首都ラバトへ 入るのだが、もう七つの全ての世界遺産は見終わったので、旅はもう消化試合のように成ってきた。 首都ラバトはともかく、カサブランカは面白くない町なので、これから先は余り期待していない。

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