2007年5〜6月 モロッコ世界遺産巡りの旅 旅日記 其の九 6月13日〜6月15日  予想外の首都ラバト


2007年6月13日(水)快晴  首都ラバトで沈む夕陽をみる。

5時20分頃に目を覚まし25分に起床する。まだ時間が早すぎるので6時40分からパソコンを始め、
8時05分に切の良い処でパソコンを終わらせて荷造りを始める。8時24分に「ホテル・モロッコ」を
チェック・アウトすると、駅まで歩いて行く。8時45分にメクネス駅へ到着すると、直ぐに窓口へ
行き切符を購入したが、ラバトまで59DH(約885円)だったから、バスとたいして変わらない値段だ。

待合室の椅子に座って休憩をしていたが、小母さんが来たので席を譲る。イスラム国では各種車内や
待合室などの座席は女性優先に成っているのだ。若い女はともかく、オバサンとかバーサンなどと
言う称号を得ると、座っている男(例えそれが老人だろうとも)を立たせて自分が座っている。国に
寄っては待合室や車内に女性専用ブースが出来ているし、バスなどの前の方は女性用に成っている。

9時03分に欧米人の3人のグループがやって来たし、9時06分には欧米人のカップルがやって来た。
列車を利用する外国人旅行者が結構多い。バスよりも列車の方が早いし、乗っていても快適なことを
知っており、列車で移動できる所は極力列車を利用して移動しているのだ(自分もそうだが (^^ゞ)。

そろそろ時間が近付いたのでホームへ入った。9時29分にウジダ行きの列車がやって来てホームに 止まると、9時31分にマラケシュ行きの列車が入ってくる。停車時間は短く、9時33分にメクネス駅 (アミール・アブデルカデル駅)を発車する(定刻は9時29分なので急いでいるのだろう)。この列車の 車両はこの前乗った2本の列車よりも良い車両だった。フェズからの外国人旅行者も多く、棚には バックパックが並んでいた。落ち着いた9時52分に検札が来る(モロッコの列車は必ず検札が来る)。 10時13分にシディ・カシム駅へ到着したが、ここで欧米人4人グループが降りる。彼らは乗り換えて タンジェへ向かい、スペインへ渡るのだろう。10時15分にシディ・カシム駅を発車する。10時28分に 或る小さな駅に止まったが、ここで大勢乗ってきて満員になる。10時30分にこの駅を発車する。 10時49分にシディ・ヤハヤ駅へ到着し、11時36分にはラバトの隣町のサレ・ビル駅へ到着したが、 ここで多くのお客が降りる。ここを出ると川を渡り、トンネルに入ると11時43分にラバト・ビル駅へ 到着したので降りる。何とこの駅にはエスカレーターがあったので驚いた(さすが首都の駅である)。 11時58分に駅舎を出ると、目の前にはグリーンベルトを持つ大きな「ムハンマド5世通り」が在る。 左に向かって歩いて行くと、この通りには大きなビルが並んでおり、多少官庁街的な雰囲気が有る。 この道の突き当りには「ハッサン2世通り」と、それに沿った街壁があり、12時08分にメディナの 入口へ着いた。メディナへ入ると、今までとはまるで雰囲気が変わり、途端に下町的な様相になる。

 細くなるがメディナ中も「ムハンマド5世通り」が  続いており、街壁の中へ入ると左側には大きな  白い建物の市営マーケットがあった。  この入口付近には多くの安宿が集まっており、  その中の、何処かの安宿へ泊まる事にしている。  「ムハンマド5世通り」を少し行った右側にある  路地の中にも4軒の安宿が在り、入口にあった  「ホテル・マグレブ・エル・ジャディド」を  先ずは当たってみることにした。  部屋を見せてもらったが、本当に建物の中や、  部屋の壁や天井までピンク色に塗られていた。  面白いのでここへ泊まって見ることにする。 ガイドブックには、この宿は内部をピンクに塗って有る、と書いてあったので興味を持ったのだ。 値段交渉をしたが、シングルが70DH(約1,050円)だという。ガイドブックでは50DH(約750円)とあり、 かなりの値上がりである。しかもシャワーはお湯が出なくて水シャワーだから、かなり割高な宿だ。 ただ足場がとても良く、路地に面して大きな窓があり明るいので良い。部屋にコンセントはないが、 管理人室のを使っても良いというので、12時10分にこの「ホテル・マグレブ・エル・ジャディド」へ チェックインする。自分の部屋は2階の7号室だが、このホテルで1番良い部屋と言えるだろう。 どこの安宿でも早くチェックインすると良い部屋からくれるので、早いチェックインは得である。

ここには3泊するので荷物を解体すると、宿の付近を調べる為に、12時34分にゲストハウスを出る。 先ずは市営マーケットへ行ってみることにした。建物の外側、すなわち道路に面している所には 大衆食堂やカフェ、パン屋、お菓子屋などが多くあり、建物の中には野菜や果物、肉、魚などの 生鮮食料品や乾物関係の店が多く入っていた。食料品に関してはここで何でも揃うことが解った。 市営マーケットの建物を出ると、道路の北側に面してある安宿や商店などを見て歩いたが、西北側の 裏道は電気製品や音楽のCD、DVDなどを売っている店が集まっており、ミニ秋葉原状態だった。

 市営マーケットの周囲をひと回りすると、  メディナの外へ出て「ハッサン2世通り」を  西へ行き「ハド門」の外へ出る。正面から  この門を見たが、予想外に大きな門だった。  街壁に沿って幅の広い大きな道路がある。  道路には街燈や街路樹が設置されていた。  街壁と道路の間は公園のように成っており、  門塔や街壁などは綺麗に補修されていた。  ラバトの街壁や門塔などはマラケシュよりも  良い様に思える。だがメディナそのものは  区画されており少しもメディナらしくなく、  面白味に欠ける処がある。それに小さい。 街壁に沿って少し歩き、裏路地を通って「ムハンマド5世通り」へ入り、この道を北に向かって歩く。 少し登坂に成ると大きな通りへぶつかりT字路になる。ここの左側には「アロウ門」が在り、門まで 行って引き返すことにした。途中で路地へ入り、トマトを1kg(中型8個で、4DH=約60円だった) 買った。又メディナの入口近くで、モツ炒めとドライカレーの様な御飯を入れたサンドイッチを1個 買ったが、これは10DH(約150円)だった(値段は高いが、炒めた熱いモツは香辛料が効いて、とても 美味しい物だった)。宿の近くに在る食料品店で水を買ったが、4.5DH(約68円)と今までで1番安い。 13時51分にゲストハウスへ戻り、買って来た物を食べ、14時40分にベッドで横になったが、そのうち 少し寝てしまった。16時05分にベッドから起きる。16時13分にアザーンが聞こえて来たが、モスクが 近くにあるので音がうるさいくらいだ。少し早いが夕方の散歩へ出かけることにして用意をする。

16時56分にゲストハウスを出ると、路地を右に歩き、「シデイ・ファタハ通り」へ出ると、この通りを 北に向かって歩く。先ほどの大きな道路へぶつかり左に行くと、17時08分には「アロウ門」を潜る。 門の外へ出ると目の前の広場にモスクがあり、ここにはとても高い綺麗なミナレットが建っていた。 街壁に沿って北へ坂道を降りて行くと大西洋が見えてきた。海岸までは意外と近い事が解ったので、 行ってみることにする。坂道を降り切る右側の塀の中は大きな墓地に成っており、たくさんの墓が ひしめき合っていた。この町でも「メディナの北の、街壁の外側は墓場」という形式は守られている。 海岸線に沿って走る大きな道路を渡ると、17時15分に海岸へ出る。ここは磯に成っており、とても 歩きにくい状態に成っている。右手を見ると、近代的な結構大きな灯台があり、稼動している様だ。

17時21分にこの海岸から大きな通りへ出て、東に向かって歩き出し、灯台を通り越して少し行くと、 17時34分に海水浴場の入口へ着く。ここはなかなか大きな砂浜で、河口にある。夕方のこの時間でも 多くのモロッコ人が遊んでいた(ここで泳いでいる外国人は見かけなかった)。貸ボートやシャワー、 カフェ、売店などがあり、一応海水浴場としての設備を持っているし、救助隊員などもいた。 浜辺の西側(川の手前側)には長い堤防があり、この堤防の幅が広くて車が走れるように成っていた。 ここは散歩道に成っており、デートスポットにも成っていたし、釣り人の溜まり場にも成っている。 海水浴場の後の、丘の突端が「ウダイヤのカスバ」に成っており城壁が築かれていた。丘の裾を行くと 上って行く道があり、その道を登って行くと、左手には要塞が築かれていたし、川に面しては砲台と 思われる建造物も見受けられた。17時48分に上りきると、そこは四角い大きな広場に成っており、 海が眺められるとても良い展望台に成っていた。縁を囲う低い壁に座って海を眺めたり、話をして いる人達もおり、ここは夕涼みにはとても良い所で、やはりデートスポットに成っている様だ。

ここからは眼下に海水浴場や堤防が見えるだけでなく、プーレグレグ川の対岸に在るサレの町の 街壁や要塞が眺められるし、サレの町の全貌が見渡せる。サレの町は平面的で高い近代的な建物は 無いようだ。町の中央に在る「グラン・モスク」のミナレットが目立っていた。また川の上流の方を 見ると、未完だという高い「ハッサンの塔」と、白くて大きな「ムハンマド5世の霊廟」が見えていた。 ここはこの町で1番のビュー・ポイントと成っているようで、外国人の団体観光客も集まって来た。

景色を楽しみ、18時00分に展望台を後にする。皆の動きに付いて広場の後の路地を行くと、そこには 商店や食堂などが数軒並んでいた。道の突き当たりに在る大きな建物が「ウダイヤ門」で、左に回り 込んで門の正面へ出ると、これが実に大きく立派な門である。この門も中で何か催し物をやっている 様で、この門も、やはり今では門としては使われていないようだ。門の前の斜面は植物が植えられて 公園のように成っており、植え込みの中の、芝生の上に座って休んでいる人がたくさんいた。 坂を降りて行くと分岐点があり、右側の細い道へ入って行くとそこは土産屋街になっていた。ここを 通り越して右に曲り、この町で1番の繁華街である「スイカ通り」を歩き、18時31分にゲストハウスの 近くへ戻って来た。しかし、ゲストハウスへは戻らずに日没を見る為、先程の海岸へ行く事にする。

「ムハンマド5世通り」を歩き、「アロウ門」を通って、18時48分に先ほどの海岸へ出る。磯の適当な 岩に座って太陽を眺めていた。水平線付近に少し雲があったが、マズマズの日没が眺められた。 モロッコはマグレブ3国のひとつだが、こうして夕陽を見ていると正にマグレブ(日の沈む)の国だ。 この時間に成ると急に気温が下がりとても涼しくなる。夕日の沈むのを見て19時38分に海岸を出る。 メディナへ向かって歩いていると19時44分にアザーンが聞こえて来た。途中で甘い大きなドーナツを 揚げている店があったので3個買ったが、これはメクネスでも毎日食べていたあのドーナツだ。 雑踏を歩いていると自分にぶつかった男がおり、その男はすれ違う時に自分に向いニッコリ笑って 「ごめん、ごめん」という仕草をして去って行ったが、そのすぐ後から、別の男が来て自分のベストの ポケットの雨蓋を開けて何かを取ろうとした。だが自分のベストのポケットは全てマジックテープか チャックが付いており、「バリバリ」とマジックテープの音がしたのでその男は手を引っ込めた様だ。 これは、最初の男が気を引いて、振り向いている間に、別の男がスルというじょうとう手段である。 普通のポケットだと取られてしまうが、自分の様なポケットには通用しないのだ。それにしても モロッコはとてもスリの多い国で、どんな町のスークでも必ずスリがおり、人出が多くなる夕方から 夜に掛けて特に出没し、未遂は何回か経験している(昼間は余りこの様な経験や雰囲気は無い)。 20時05分にゲストハウスへ戻る。フロントでシャワー室の鍵をもらって、20時10分にシャワーを 浴びる(ここは水シャワーだが、さほど冷たくは感じない)。シャワーを終えて管理人に鍵を返すと、 20時30分から1階でパソコンへ写真の取り込みと、パソコンの充電を始める。21時05分にパソコンの 充電を終わらせて部屋へ戻る。21時12分にアザーンが聞こえてくる。21時38分からパソコンを始め、 22時25分に切の良い処で終わらせ、23時00分に消灯する。室内温度は24.1℃と結構涼しくて快適だ。 2007年6月14日(木)快晴  シエラ遺跡はコウノトリの棲家だった。 熟睡出来て6時30分に起床する。天気は快晴で空気も乾燥しており、とても爽やかな朝だった。 トマトとドーナツを食べると、出かける用意をして、7時05分にゲストハウスを出る。今日の行先は 「シェラ」だが、ここはラバトで1番行きたい所だった(と言っても数日前に気が付いた所だ (^^;)。

メディナをでると「ハッサン2世通り」を東に向かって歩き、7時25分には街壁の角(崖の淵)へ着く。 ここにはベンチがあったが、日陰に在ったので少し休憩することにした。ここは崖の上なので、 見晴らしがとても良く、プーレグレグ川が見渡せる。河口の方を見ると「ウダイヤのカスバ」の全貌が 眺められるが、このカスバは地図から判断していた物に比べて、なかなか立派で大きな城塞である。 サレの町への渡し船が有るというので、その場所を探した。サレ側の船着場は解ったが、ラバト側が ハッキリしないし、それらしき船も見えなかった。サレ側の川岸付近には小型のボートがいたが、 これは漁船のようだ。船の形が独特で、これはエッサウィラの港で見た小型漁船にとても似ている。

写真を撮り、十分に休むと、7時49分に街壁の角を出る。ここは真っ直ぐ川岸へ降りて行く道と、 右側の坂を上って行く道に分岐するので、右側の道へ入る。坂道を上がりきった所の左側に、国旗の ポールがあり、昔風の軍隊の衣装を着た軍人が10名前後おり、音楽を演奏し国旗掲揚をしていた。 彼らは「ムマンマド5世の霊廟」の衛兵のようだ。掲揚が終ると一列に並び行進をして帰って行った。 7時58分に「ハッサンの塔」の広場の入口へ着いた。この中は誰でも無料で入れるので、中へ入って 写真を撮ると、ベンチに座って休むことにする。ここは公園の様で、良い休憩所である。広場に柱が たくさん立っていたが、ここはモスクを作ろうとしていた所なのだろう。塔も未完だが、モスクも 柱の基部だけ作って未完に終ったのだろう。広場を挟んで反対側に「ムマンマド5世の霊廟」がある。 白亜の大きな建物で、衛兵が各入口を守っている。ここも、誰でも建物に入れるのだが、遠慮する。 ここで休憩していると欧米人の団体観光客がやってきた。8時13分に「ハッサンの塔」を出る。道成に 歩いて行くと、8時24分にロータリーのある「アブラハム・リンカーン広場」へ出る。マラケシュには 「ケネディ大統領通り」という新しい道路が在るが、どうもモロッコはアメリカが好きなようである。 道成に新市街の外側を歩いて行くと、左前方の高台の上に「シェラ」の街壁が見えてきたが予想よりも 大きな物だった。この街壁や物見櫓は綺麗に補修されていたが、これ程綺麗に街壁が残っているとは 思っていなかったので驚いた。道路の右側がラバトの街壁で、左側は谷のような崖に成っている。

道はやがて変則五叉路に出るが、右側には新市街への入口である「ザイール門」があった。現代の門は 何処でもやっているように街壁を壊して三つのアーチを作っているが、昔の門は左側に建っていた。 左側の細い道を行くと8時54分に「シエラ」の正門前へ着いた。門も両脇の建つ門塔もなかなか見事な もので、やはりここに来て良かったと感じた。門の前に楽器が置かれていたが、この城内でもフェズ 同様に野外コンサートが行われるらしく、門を入った左側では椅子を並べて会場作りをしていた。 定番の10DH(約150円)の入場料を払って中へ入ったが、観光客は1人もおらず自分1人だけだった。 ここは観光ポイントとしては、とてもマニアックな所なので普通の人は余り来ない所なのだろう。

「シェラ」は丘の尾根の上に作られているので、坂を降りて行くようになる(傾斜地に町を作るのは 古代ローマの常套手段である)。右手の樹木の上には多くのコウノトリが巣を作り子育てをしていた。 モロッコは何処へ行ってもコウノトリがたくさん住んでおり、絶滅に瀕した日本のコウノトリとは えらい差である。特に、ここには数十羽住んでおり、今まで見てきた中では最大の生息数だった。 又ここはシラサギの生息地にも成っており、その数は多くて数百羽ではないかと思われる数である。 大きな木にたくさん止まっていると、まるで木に白い花が咲いているように見えるほどだった。 坂道を降り、林を抜けると広場があり正面には小さなミナレットを持つモスクの廃墟が見えて来た。 街壁に囲まれたこの「シェラ」は14世紀には共同墓地として使われていたので、その名残だろう。

広場だけが平地に成っており、ここには古代ローマ時代に「サラ」と呼ばれていた町の遺跡が残って いるのだが、建物などの痕跡は殆ど無い。ここは地形的に見ても小さな町だったのだろう。広場が 町の中心となるフォーラムだったのだろう。この「サラ」が、隣町の「サレ」の語源で、後に「サレ」の 新市街として出来たのが現在のラバトなので、この「シエラ」がこの地区の、町の発祥の地なのだ。 少ない痕跡を探しては写真を撮り、日陰で少し休んでいたら、現地ガイドに連れられた団体さんが やってきたので、少しずらすことにした。昨日の「ウダイヤのカスバ」にも数組の団体さんがバスに 乗ってやってきたが、ラバトは観光的に結構見る所があり、観光地として成り立っているのだ。 モスクの横に家が1軒あり、そこの家の周りには20匹を越える猫が集まっていた。ここの親父が猫に 餌をあげて面倒をみているのだ(本当にモロッコ人は猫好きだ)。餌場には小さなザルが置かれており そこにあるダンボールの切れ端には「猫の餌代を寄付して下さい」と書いてあった (^_^; 団体さんが去ってからモスク跡の中へ入ったが、ここには幾つかの墓があった。ここは14世紀以降 墓場として使われていたというが、それ以前にはイスラムの町としても使われていたのだろう。 そうでなければ、これだけ頑丈な壁や門は作らなかったはずだ。街壁の中を一通り見学したので、 9時48分にシエラの遺跡を出ることにする。ここは大した物は無かったが、来て良かった所だった。

正門を出る頃にはかなりの暑さに成っていた。先ほど見た「ザイール門」を通り、左側に在る、街壁に 沿った静かな道を歩いて行くが、右側に在る建物はどうも公的な建物のようで警備人が立っていた。 道成に行くと10時04分に「グランド・モスク」前の広場へ出る。ここから左に曲りメインストリートの 一つである大きな「ムーレイ・ハッサン通り」へ入る。少し行くと左手に「サフラー門」が見えて来た。 「サフラー門」を潜って延びている道を行くと王宮へ行く。「サフラー門」の前を通り、真っ直ぐ行くと 10時13分に四つのアーチから出来ている「ルワー門」(昔の本当の門は、このアーチの左側に在る)へ 着いたので、門の外にある木陰のベンチへ座り休憩をすることにした。トレッキングシューズをぬぎ 一休みすると、10時30分に「ルワー門」を出る。街壁の外に沿った道を歩き、10時42分にはおなじみの 「ハド門」に着いたので、スークへ入る。朝から十分に歩いたので、買物をして宿へ戻ることにする。 スークへ行くと以前から気に成っていたサクランボを買う事にしたが、500グラムが10DH(約150円)と かなり高級な果物だ。このサクランボは、我々が「アメリカン・チェリー」と言っている物で、色が 黒ければ黒いほど甘いのだ(美味しいが、日本の桜桃のような酸味が無いので少し間が抜けている)。 パン屋で菓子パンを3個買い(2.5DH=約38円、これは美味くない)11時34分にゲストハウスへ戻る。 ゲストハウスへ戻ると管理人の男と、オーナーらしい男がペンキを調合してピンク色を作り、2階の 対面の部屋の、壁の色塗りをしていたが、この宿は徹底的にピンク色に拘っている様だった (^^; パンとトマトとサクランボを食べ、12時10分からベッドで横になり、少し昼寝をする。14時05分に ベッドから起きると少し暑いが、14時21分にゲストハウスを出る。商店街を歩いて見るとシェスタで 殆どの店が閉まっており閑散としている(見ていると大体13時頃から16時頃まで店を閉めている)。 歩いていても面白くないので、14時50分にゲストハウスへ戻ったが、この際髪の毛が伸びてきたので 床屋へ行くことにして、15時25分にゲストハウスを出る。途中でオレンジを1kg買ったが、5個来て 5DH(約75円)だったから相場だった。「ムハンマド5世通り」に小さな床屋があったので、15時40分に その床屋へ入り、散髪をしてもらう(料金は25DH=約375円)。ここの職人はなかなかの腕をしていた。 途中でオーナーと思われる男が顔をだし、挨拶をしに来た。16時00分に散髪が終わると床屋を出る。 昨日のドーナツ屋で量り売りのミニドーナツを3DH(約45円)買い、16時07分にゲストハウスへ戻る。 16時13分にアザーンが聞こえてくる。このアザーンの後からボチボチ店が開きだすのだ。16時35分に シャワーを浴びてから洗濯をする。一休みすると、18時03分に夕日を見るためゲストハウスを出る。 「シデイ・ファタハ通り」へ出ると小さな食料品店でゆで卵2個入りのハーフサイズのサンドイッチを 作ってもらったが、3.5DH(約53円)と良心的な値段だった(この店はミント・ティまで作っていた)。

 最短コースを歩くことにして「アロウ門」  への丁字路に出て右へ行くと、直ぐに  「ウダイヤ門」の前へ出る。横の通用門を  通り、18時23分に「ウダイヤのカスバ」の  展望台へ着いた(やはりこれが最短だ)。  この展望台は相変わらず海や夕陽を  見ようという人達が集まり賑わって  いたので、川側の一段低い所へ行く。  しばらく石の上に座って明日行くサレの  町の方を眺めていた。そろそろ太陽が  傾きだしたのでここを出ることにする。  展望台にはますます人が集まってきた。 18時45分に「ウダイヤのカスバ」の展望台を降りると、海水浴場を通って防波堤へ行き、この突端まで 行く事にした。防波堤からはサレの町や、「ウダイヤのカスバ」の全貌が眺められなかなか良い所だ。 19時04分に防波堤の突端へ着くと、ここから写真を撮り、19時10分に防波堤の突端を後にする。

昨日歩いた道を逆に歩き、19時24分に灯台の近くの海岸へ着いたので、ここで日没を見る事にする。 本日も上の方には雲など無いのだが、太陽が沈む水平線付近には雲があり、水平線に沈むすっきりと した日没は見られなかった。日没を見ると、19時40分に海岸を出てゲストハウスへ戻ることにする。 歩いていると昨日と同じ、19時44分にアザーンが聞こえて来た。「アロウ門」を潜りメディナへ入る。 スークで540グラム入りの大きな飲むヨーグルト(4.5DH=約68円)を買う。何時ものドーナツ屋へ寄り 塩味の小型のドーナツを2個(1DH=約15円)買い、19時56分にゲストハウスへ戻る。部屋に戻ると パソコンを持って管理人室へ行き、20時05分にパソコンへ写真の取り込みと充電池の充電を始める。 パソコンの充電が終ったのでパソコンを持って部屋へ戻り、20時30分に買って来た物で夕食をとる。 21時18分に本日最後のアザーンが聞こえてくる。21時27分からパソコンを始めたが、22時07分には パソコンを終わらせて、22時30分に消灯する。室内温度は24.7℃と、24℃±1℃で一定している。 2007年6月15日(金)晴後快晴  行って良かった隣町サレ。 3時20分に夜明け前の最初のアザーンが聞こえてきたが、早過ぎるのでもう少し寝ることにする。 6時45分に起床して、ドーナツや果物を食べて出かける用意をし7時28分にはゲストハウスを出る。 朝の閑散とした「スイカ通り」を歩き、更にその先まで行って街壁の北側を回りこみ、メディナの中を 適当に歩いて「ハッサン2世通り」へ出ると、7時49分には昨日休んだ街壁の角(崖の淵)へ着いた。 ここから本線の左側の道を降りて行くと7時56分にはプーレグレグ川に架かる「ハッサン橋」へ着く。

橋を渡り少し行くと8時06分に「ムリサ門」の前へ着いた。この門はサレの町の正門だけあって、 なかなか大きくて立派な門だ。こうして色々な町の門を見ていると、マラケシュには「アグノウ門」 以外にろくな門が無いし、ラバトにもまともな門が残っていない(カサブランカはもっと悪かった)。 この門の前は公園のように成っていたが、先へ進む事にする。街壁に沿って歩いて行くと8時16分に 「フェズ門」へ着いたが、この門の前には古い大砲が飾られていた。ここからメディナの中へ入る。 サレの町に関しては地図も無いし、予備知識も無いので完全に感で歩く事に成るが、小さい町なので 問題ないだろうと考えている。カフェなどがある広場から、正面にあるスークの道へ入ってみる。 スークの道を行くと小さな広場があり、ここが二又に成っていたが、近くにいた男の人が自分を 見つけて「グラン・モスク」の方向を指差して教えてくれた。ラバトと違ってサレの町に来る外国人 (まして観光客)などは殆どいないのだろうから、ここの人達は余りすれていない様で親切だった。

細いスークを適当に歩いて行くと、8時36分に「グラン・モスク」へ着いた。メディナの中に在る モスクは、周囲の建物に埋もれて、建物の全体像やミナレットが解りにくいもので、普通は立派な 門とか、建物の壁に作られているタイル張りの水道(モスクへ入る前に手を洗って清める)でしか、 そこがモスクと識別できないのだが、ここは庭の壁の割れ目からミナレットが見えていた。

モスクの横を通って行くと直ぐにメディナの外へ出る。北側の海岸線の方へ降りて行くと、左側には 形通りに墓場があったが、ここには何故か大勢の人が集まっていた。今日は金曜日なのでお参りに 来る人がいるのだろうが、日本のお盆の様な特別な金曜日のようだ。お参りをする人は、我々が通常 食べている丸い平らなパンと、中身は何か解らないが、小さなワインかビールが入っている様な ボトルを墓に供えており、墓場の周囲にはそれら供物を売っている露店や屋台などが集まっていた。 これを見ていると、日本のお盆やお彼岸などの、墓地とか霊園の付近と同じである。 ここでモロッコにおけるイスラムの墓について解ったことが幾つか有った。死者は土葬にするが、 身体の大きさに合わせた長方形に土を盛って、その周囲に石を並べて境界線を作っている。そして ある一定の期間か、お金が出来た時かはしらないが、しばらく経ってから正式な墓を作るのだ。 今日は何ヶ所かで新しい墓作りをしていたから、正式な墓を作る時も決まっているのだろう。 墓にはピンから切りまで色々とある。ブロックやコンクリート作り、石組、タイル張りなどがあり、 ヘッドボードには名前や経歴、コーランの一節などが書かれたり彫られているのだ。中央アジア等で よく見られる蒲鉾型の墓と違い、長方形の枠組みをしただけの、箱形の墓の中身が空っぽだったのが 以前から気に成っていたのだが、今日見ると、その長方形の箱には、緑の葉っぱや色とりどりの花を 入れて埋め尽くしているのだ。あの墓石の長方形の空間は、この為にあったのだと解った。

東西走る大きな「マンスール通り」へ出たので左(西側)へ歩いて行くと、8時50分に西側の街壁の門へ 着いたが、ここから引き返す事にする。墓場と海側の街壁の間は広い空地に成っていた。空地の中の 踏跡を適当に歩き、街壁まで行くと、ここには砲台や要塞などが一定間隔で作られていた。 大砲は鉄製で赤錆に覆われて、全てが一体化していたが、定番の青銅製ではないから新しい物だ。 砲弾を運んだり、大砲を移動させるために、砲台へは傾斜路が作られていた。要所要所にある城塞は 兵士達が住む部屋や武器関係の倉庫に使われており、建物の屋上が見張り台に成っていた。 この砦や砲台は13世紀にスペインの海賊から町を守る為に作られたというが、16世紀に成ると今度は 自分達がジハード(聖戦)と称して海賊行為を行い、この町を海賊の拠点とした為、ヨーロッパからは 「海賊の町」と恐れられたというから実に皮肉な事である(まあ、どっちもどっちである (^_^;)。

9時11分に街壁の東北の隅櫓へ着いたので、城塞の上に上り、ここの日陰で少し休憩する事にした。 自分が休んでいると、車で2人連れの男がやって来て、上って来た。その中の1人は、背中に何か アンテナの付いた大きな機械を背負って、測定していたが、それがGPSだと直ぐに解った。 彼らは自分に挨拶をして次の観測点へ向かって行ったが、今日はサレの重要なポイント(メディナの コーナーや門など)の計測をしているようだ。彼らが次に向かったのは西北の隅櫓だった。 この隅櫓から南へ延びる街壁の厚さは1メートル弱で、幅50センチ程の通路が付けられているので そこを歩いて行くことにし、9時30分に隅櫓を出る。最初のうちは綺麗に補修がされていたが、 途中には崩れた所などがあり、普通の人が歩くには危険性が有った。「マンスール通り」の東側に在る 門の手前で通路が無くなったので街壁から下へ降りて「マンスール通り」の東側の門まで行って見る。

東側の門から「マンスール通り」を引き返すと、先ほどの墓場の横を通って、グラン・モスクへ行く。 ここで1人の若者が英語で話しかけて付いて来た。「アブー・エル・ハッサン・マドラサ」を通った 時に、ここへ入らなかったので怪訝な顔をしていたが、ここがこの町唯一の見所なので当然だろう。 ここを過ぎた所に彼の家があり、そこで彼と別れて細い路地のスークへ入り、スークを見て歩いたが とても賑わっていた。この町は完全に地元民の為の町で、観光客や外国人などは全然相手にして おらず、スークの原型が見られた。この様なスークの様子や人々の態度はティトゥアンのメディナに 似ており、歩いていて面白い。スークの人達は東洋人の自分に対して興味を示していた。 10時06分にはスークの東側にある門へ着いたので、ここから引き返すことにする。途中から南に曲り 適当に歩いて行くと、10時31分には西側にある「ハジャ門」の近くへ出た。ここから適当に南へ向かい いささか草臥れてきたので、「ムリサ門」近くに在った大きなカフェで休憩をすることにした。 ウエイトレスの女の子(女性が客の対応をするというのは珍しい)に「カフェ・オレ」と注文したが その子は解らなかった。すると、近くにいた青年が、コーヒーとミルクのハーフ・アンド・ハーフと 説明したら解ったようだ。そのうち持って来たが、地元の人間達には何処のカフェでも使っている ガラスのコップなのに、自分は外国人だからと思い洒落た陶器のコーヒーカップに入れて来てくれた (本当の事を言うと、こんな見てくれよりも、ガラスのコップの方が量が多くて良いのだが ;_;)。 10時50分にカフェを出て少し歩くと「ムリサ門」へでたのでメディナを出る。コーナーから北を見ると 古い門が見えたので行って見ることにする。北に曲り、10時56分に西側の古い門へ着き写真を撮る。 ここは放置されているが、補修をするとなかなか立派な良い門に成るだろうから惜しい事である。 この門から戻ることにして、11時08分に「ハッサン橋」を通り、11時15分に街壁の角(崖の淵)へ着く。 ここからメディナへ入り、昨日の「シデイ・ファタハ通り」の小さな食料品店で、ゆで卵2個入りの ハーフサイズのサンドイッチ(3.5DH=約53円)を作ってもらい、プラスティックボトル入りの大きな サイズの飲むイチゴ・ヨーグルト(4DH=約60円)を買い、11時48分にゲストハウスへ戻る。 汗をかいたので11時55分に水シャワーを浴びて休憩に入る。12時40分にアザーンが聞こえてきたが、 今日は金曜日なので何時もよりも長々とやっていた。13時05分からベッドで横になって休んだが、 眠くはなかったので昼寝はしなかった。14時05分にベッドから起きると、14時45分からパソコンを 始め、15時00分に終わらせる。しばらくゴロゴロしていたが、15時47分にゲストハウスを出る。 「シデイ・ファタハ通り」に在る小母さんがやっている小さな店で、ミートソースみたいな物を挟んだ サンドイッチ風のナンを買ったが、4DH(約60円)と結構高かった。暑いし、まだシェスタで商店街は 閉まっているから、16時10分にゲストハウスへ戻る。管理人室へ行って、パソコンのバッテリーの 充電を始める。16時13分にアザーンが聞こえて来た。このアザーンが終わるとシェスタが終わり、 店が開きだすのだ。涼しくなるまで、明日行くカサブランカに付いて調べる(何時もの一夜漬けだ)。

18時23分に夕日を見るためゲストハウスを出る。これで3日連続の夕陽見物であるが、これがこの 町での1日の締めくくりに成ってしまった。大西洋に近いゲストハウスで、恵まれた海岸が在り、 乾季の良い天気があるから、毎日こんな贅沢が出来るのだ。これだけでもラバトに来たかいがある。 「シデイ・ファタハ通り」を歩き、昼間行った食料品店に寄り、例の卵サンドイッチを作ってもらう。 丁字路へ出ると右に曲り「ウダイヤ門」の前へ出る。ここから幹線道路を左に降りて海水浴場へ行き、 19時05分に防波堤の突端へ行く。「ウダイヤのカスバ」の最後の夕景色を眺めて、19時15分に防波堤を 後にする。19時29分に灯台の近くの海岸へ行って、そこで日没を見る。やはり水平線には雲があって 完全な日没は見られなかったが、マズマズの夕陽が眺められ、これで3日連続楽しめた。 日没を見て19時38分に海岸を出ると、何時もの道を歩いて帰ることにする。すると何時ものように 19時45分にアザーンが聞こえてくる。そして、何時ものドーナツ屋へ寄り、明日の朝食用にと、甘い 大きなドーナツを2個買うという、決まりの行動パターンをとり、19時54分にゲストハウスへ戻る。 20時05分から管理人室へ行き、パソコンへ写真の取り込みをした。パソコンのバッテリーへの充電は もう終っているので、20時20分に写真の取り込みが終ると、パソコンを持って自分の部屋へ戻る。 21時19分に本日最後のアザーンが聞こえて来た。21時37分から音楽を聴きながらパソコンを始め、 22時23分に終わらせると、23時10分に消灯する。室内気温は24.9℃と相変わらず一定している。 明日はいよいよ最後の町カサブランカへ行く。首都ラバトは首都だからという理由だけで訪れた町で カサブランカと共に面白くない町だと思っていたが、「シェラ」、「サレの町」、「ウダイヤのカスバ」、 海水浴場や海岸、「ハッサンの塔」、「スイカ通り」のスークなど、予想に反して色々と見る所があり、 3日間いても少しも飽きの来ない町で、他の町にも引けをとらず、来て良かった町と言える (^_^)v

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