は じ め に
今回の旅の始まりは、「屋久島で皆既日食をみよう!」という処から始まりました。
今年の冬バンコクへ行った時、四国に住む旅仲間の“トクさん”に会い、この話をすると、
彼は乗り気になりましたし、自分の周囲にいる親しい人達も乗り気になりました。
しかし、日食の時期が近づき、屋久島の住人“縄文自由人”の情報に寄ると、
交通機関や宿泊場所など、行くには条件が余りかんばしくない事ばかりなので、
「皆既日食を見る為の屋久島行き」は中止にして、旅行者の少なくなった、
お盆の後で行くことに変更しました(日食は見れないという読みも大当たりでした (^^)。
“縄文自由人”の住む屋久島は、自分としては、目ぼしい所は既に見ているので、
今回の屋久島へ行く目的は、彼の家に無線ランを設定する事と、
昨年から放っとらかしに成っている、彼のホームページの立ち上げに有りました。
この2つの目標は一応達成できたので万々歳です(後は自分で勉強をしてもらうだけだ)。
“トクさん”からは、去年の屋久島の帰りに「四国へ来てくれ」と言われていましたので、
今回は四国の“トクさん”の家に寄ってから、2人で屋久島へ行く事にしました。
女房は仕事が重なり、今回の旅は不参加という事になりました。
今回の旅も、何時もの様に、「青春18切符」を利用しての、鈍行列車の旅です。
「青春18切符」を2枚使って10日間乗りましたが、そのうち6日間は1人で動いていた為、
約4,718qと、かなりハードなスケジュールをこなしたので、さすがに草臥れました。
今回はフェリーやバスなどを入れれば、5,000qを軽く越える移動の繰り返しでしたが、
日本国内で、短期間にこれだけの移動をした旅は初めての経験でした。
「青春18切符」に限らず、長時間掛けて鈍行列車で移動をする旅というのは、
列車に乗ることが好きな人や、車窓の景色を眺めるのが好きな人にしか向かない旅です。
列車を単なる移動手段としか考えていない人にとっては、イライラする乗り物で、
長時間椅子に座っているのが苦手な人にも、とても向かない旅です。
しかし、鈍行列車の旅では、新幹線や高速道路からは見られないものが見られ、
ローカルな人との交わりや、今まで気が付かなかった、新しい発見が有るものです。
“トクさん”とは旅先で一緒に成る事は有りましたが、一緒に旅をするのは初めてでした。
彼にとって「日本国内でのバックパッカーの旅」や、「青春18切符の旅」は初めての経験なので、
「青春18切符」とはどのようなものか、どのように使用するのかを体験してもらいました。
又日本国内に在るゲストハウス(ここ数年で増えてきた)へは泊まった事がないので、
九州に在るゲストハウスも体験してもらいました(出来ればユースホステルも)。
彼がこのような、国内のバックパッカーの旅に耐えられると判断して同行したのは、
彼が数年に渡って、条件の悪い東南アジアでバックパッカーの旅しており、
十分に経験を積んでいるので、まず問題ないだろうと判断したからです。
今回の旅の体験から、「日本でも東南アジアと同じ様な旅ができるのだ」という事が分り、
これからも、日本国内での、安くて気楽な自由旅行を楽しんでもらいたいと思います。
今回の旅は四国と九州と思っていましたが、スケジュールの関係で、空き時間ができた為、
中国地方で、乗り残しているJR、旧国鉄路線の小野田線と三江線に乗ることにしました。
この2路線を乗ることによって、関東から九州までの全路線を乗り潰しました。
後は東北地方と北海道のローカル線を数線を乗れば、日本のJR、旧国鉄路線の、
完全乗車が達成できることになりましたので、今回の小野田線と三江線は大収穫でした。
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2009年8月17日(月) 曇 旅へ出る日は何時も同じ。
今回も毎度お馴染みの、夜行快速列車「ながら」に乗るので、家を出るのは、夜の21時と決めていた。
そのため、日中は普段とまったく同じように過ごせるのだが、旅の荷造りをしなくてはならないし、
出かけた後のことを考えて、買物をしたり、家の雑用を全てしておく必要が有る。
今回は山の中へ入るわけではないし、旅へ出るのは自分1人だけなので、荷物はとても少なくなり、
何時も使用しているリュックは止めて、大型のディパックにする。そして当座の食料品や、帰りには
無くなってしまう物(お土産とも言う)は、ラオスのルアンパバンで買った、タイ製の派手なビニール
手提げ袋へ入れることにした(これは軽くて丈夫で中国製よりも良い)。こうすれば帰りはたたんで、
ディパックの中へ入れ、手ぶらになれる。荷物はできるだけ一つにまとめておくのが理想形だ。
今回の旅も、何時もの様にモバイル用のパソコンを持って行くが、今回の旅からは、新しく買った、
「ミニ・ノート」とか「ネット・ブック」と言われているモバイル用パソコンを持って行くことにした。
この手のパソコンとしては少し重いが、このパソコンはバッテリーで9時間以上動くのがミソで、
長時間飛行機や列車に乗ることの多い自分にとっては、とても適している物だ。このパソコンを一式
持って行くため、全体的な風袋は小さくなっているが、荷物はかなり重くなっている。
女房は仕事だと言って午後に家を出て行った。6月の後半から9月の前半に掛けて3ヶ月程、週に
2〜3日の不定期な仕事が入っているので、女房は今回の旅には参加出来ないどころか、この期間は
自分の事も何も出来ない(仕事の無い日は、ひたすら休憩をしていなければ老体は持たないだろう)。
早目の夕食をとると、最終的な荷造りをして旅用の衣服に着替えるが、外国へ行く時とまったく同じ
スタイルにしている。今回は、今年買った新しいカメラマン用のベストを試しに着て行く事にした。
靴は山に入らないのでトレッキングシューズを止めて、穿き慣れたプーマの軽いスニーカーにする。
21時00分に家を出ると、最寄りの駅まではバスへ乗らずに歩くことにする。最寄り駅からは何時もの
コースを通って、21時55分に新宿駅へ着く。小田急線のホームへ行くと、ちょうど小田原行きの
急行列車が入っていたので、予定していた電車よりも1本早かったが、この電車へ乗ることにする。
22時02分に新宿を出た。町田付近までは通勤客などで込んでいたが、次第に空いてくる。車中では
少し寝ようかと思っていたが寝れなかった。何時も思うのだが小田急の電車はJRや他の私鉄に比べ
冷房が弱い。新松田を過ぎるとさすがに車内はガラガラになり、23時36分に小田原駅へ着く。
0時を過ぎないと「青春18切符」にスタンプが押せないので、それまで少し時間を潰すことにする。
コンコースから東口へ降りると、駅前広場に北条早雲の銅像があり、ライトアップされていた。
他には何も無いので、銅像の写真を撮るとコンコースへ戻り、時間までしばらく待つことにする。
自分と同じ様な考えの「青春18切符」愛用者が大勢待っていたが、時間が近づくに従い増えていった。
2009年8月18日(火) 曇後快晴 大きな子供達。
0時を過ぎると待っていた人達が改札口へ向かいだしたので、自分もホームへ入る。ホームで列車を
待っていると、どんどん人が増えてきて、ホームには100人以上の人達がいた。やがて列車が入線し
乗り込むと、定刻の0時32分に小田原駅を出る。車内は冷房が効いてホームの蒸し暑さから開放され
とても気持ちが良い。自分は4号車の4Aへ座ったが、意外と空席があるのには驚いた。以前から、
週末でなければ、指定券を持っていなくても、乗り込めば何とか成るとは言われていたが、本当だ。
なかなか眠れずにいたら、1時06分に沼津へ着き、1時09分に沼津を出る。ここから十数人の客が
乗って来たが、ここから先の駅から乗る人はいないので、この時点で空いている席は自由に使える。
隣の席には人が居なかったので、自分は2席使って横になれたので、幾らか楽に過ごせた。
5時21分に名古屋へ着いたが、この少し前に目が覚めていた。名古屋では結構降りる人が多くいる。
5時25分に名古屋を出ると、5時55分に終点の大垣へ着く。以前に比べると接続時間が少し長くなり
乗換えが少し楽になったが、階段を乗り越えて反対側のホームへ行くので、皆走っている。今までは
10両編成の列車だったのだが、そのお客が、今度は6両編成の列車に乗るのだから込むのだ。以前は
たしか4両編成だったので、立っている人も多かった。ここも少し改善されおり、楽に成っている。
良い席が取れ、定刻の6時00分に大垣を出る。車窓の景色を眺めていると、6時34分に米原へ着く。
ここで姫路行きの新快速へ乗り換え、6時38分に米原を出る。京都に近づくと込んで来たが、神戸を
過ぎるとまた空いて来る。これは通勤時間帯でなくても何時もの事である。9時24分に姫路へ着く。
ここで乗り換え、9時38分に姫路を出て、少し走り9時58分に相生へ着く。何時も不満に思うのは、
なぜ姫路・岡山間を相生で切るのかだ。この2つの大きな町を分断しているのは移動の効率が悪い。
姫路、岡山、福山は1本の列車で結ぶべきだ。この駅ではかなり待たされ、10時29分に相生を出る。
11時38分に岡山へ着くと、四国へ渡る「快速マリンライナー」が直ぐに接続しているので、地下道を
通り6番ホームへ行く。列車に飛び乗ると結構お客が乗っている(この路線は何時も乗客が多い)。
11時42分に岡山を出る。茶屋町や児島で降りるお客が多く、四国へ渡る人は半分くらいに減った。

児島を出るといよいよ瀬戸大橋を渡る。天気が良いので景色を楽しめたが、少し靄っており、余り
クリアな感じではなかった。橋を渡り終えると、正面に讃岐富士が見えてきたが、この端整な姿の
山は、瀬戸内海を航行する船のランド・マークに成っており、「新鑒真号」で瀬戸内海を通る時も、
何時も目に入るし、気にしている山だ。現役時代に丸亀で仕事をした時、丸亀市内から歩いて登って
いる山である(開聞岳や羊蹄山の時もそうだったが、富士山形の山は登っていて面白くない山だ)。
12時34分に終着の高松へ着く。この駅は新しく作られたが、いかにも終着駅という形に成っている。
ここから高徳線に乗り換えるのだが、高徳線は一番端のホームに追いやられ、しかも1両編成で、
まるでローカル線という扱いである。そういえば高徳線には良く乗っているが印象が薄い線である。
12時48分に高松を出るとトコトコと町中を通り、屋島の前を通る。ここを過ぎるともう田舎だ。
途中「オレンジタウン」などという、片仮名の聞きなれない駅が在った。13時56分に三本松駅へ着く。
小さな無人駅舎の改札口を見ると“トクさん”が迎えに来ていた。早速彼の車に乗り駅前を出る。
駅前を走っていても、少しも繁華街や商店街らしきものが無く、町らしい形態をしていない所だ。
しばらく走り幹線道路から外れ、畑の中にある“トクさん”の家へ着いた。自宅は彼の刺繍工場と、
隣り合わせに建てられていた。玄関の前には3台の三輪車が並べられていたが、これが三つ子の孫の
物だと直ぐに解る。平日は保育園に入れられているので居ないのだ。3人一緒だと、1人とは違って
家に居るのと同じ様なので、心細くならないだろう。縁側に荷物を置いて一息着いた時に、工場から
奥さんが戻って来たので、早速刺繍工場を見学させてもらう事にして、奥さんの案内で工場へ行く。

工場の中は冷房が入って涼しい(汗をかいていると精密な作業は出来ない)。幾つかのラインがあり、
一時に数枚から十数枚の刺繍を仕上げている。見ていると同じラインでも、一枚一枚別の刺繍をして
いる所も有った。休んでいるラインも有ったが、数多くのラインが有り、それぞれの機械に特徴が
有るのだろう。このような機械を見るのは大好きなので、見ていても少しも飽きない。刺繍をする
物はシャツだけに限らず、手袋など色々な物に対応しているし、ラメの様な物も付けられる様だ。
この工場では二十数人が働いているという。刺繍はとても手の込んだものばかりだ。普通の刺繍だと
人件費や生産コストの安い中国等に負けてしまうので、技術的に、中国など外国では真似が出来ない
ような製品を作っているという。ハイテクこそが、日本が外国と太刀打ちして生き残れる道なのだ。
2階へ行くと新しいデザインの試作品を作る機械がありテストをしていた。或る部屋ではパソコンを
使い新しいデザインの設計をしていたが、ここには“トクさん”の息子さんがいた。“トクさん”は
二度目に倒れてからは、工場の仕事を息子さんや奥さんに任せて、自分はフーテンの生活に入って
行ったのだ。言語障害は残っても、幸い体は自由に動くので、好きな事をしているのだ。ただ寒さに
弱いので、毎年冬は暖かいインドネシアを中心に東南アジアへフラフラと避寒の旅へ出ているのだ。

刺繍工場の見学が終わると、次は彼の車に乗って、彼が以前から手掛けている畑を見に行くことに
した。畑は自宅から車ですぐ近くに在る。自慢のサトイモが植えて有るので畑と解るが、もしもこの
畑からサトイモを取ると、遠目には雑草の茂る荒地にしか見えない。所詮素人が畑を作るのだから、
プロの農家が作る畑のように、整然とした畑にするのは、かなり手間暇を掛けないと無理だろう。
“トクさん”は、ここのところ「海の家」の工事に力を入れているので、畑の方はなかなかかまって
もらえないだろう。それにしても2反(600坪)という広さに成ると、これはもう自給自足の家庭菜園
などという生易しい域は通り越している(彼のやる趣味は、どれもこれもスケールが大きい)。
サトイモは何時も“トクさん”が自慢するだけあり、とても大きく立派な物だった。葉っぱの背丈が
人間の背丈よりも高いというのは、なかなかある物ではない。芋も芋だが、これだけ立派だと芋茎が
とても美味しそうだ。この畑には色々な野菜が植えられているが、ここで初めてオクラの生っている
処を見た。オクラは知っているが、どんな葉っぱで、どのように生えているのかは初めて知った。
畑を見終わると、次は今夜の宿になる、「ベッセルおおち」へ行くことになった。ここは駅から少し
離れた、瀬戸内海に突き出した小さな岬の突端に在った。なかなか大きな建物で、周囲には体育館や
老人ホームなどの公共の建物があり、箱物行政の一環として造られた、この地区のセンターの様だ。
当然こんな環境では来る人も少なく、赤字に陥って民間へ委託という典型的な路線を歩んでいる。
岬の突端の高台に在るので、とても見晴らしが良く、日の出と日の入りの両方が見られるという。
高台から下に在る小さな漁港や“トクさん”の「海の家」の建設予定地を眺める。海水浴に適した様な
大きな砂浜が無いのが惜しい。海水浴場があれば、夏場はここも外からのお客が多く来るだろう。
ここから下の漁港への遊歩道が整備されていない、というのも欠点で、周辺に遊歩道を造るべきだ。

「ベッセルおおち」から迂回して港へ降り、小さな集落の中を通って、彼の「海の家」の現場へ行く。
以前は鬱蒼とした大きなアシで覆われ、しかも、ゴミ捨て場にも成っていた所だと言う。今では全て
取り去って、整地はされていないが、綺麗な空き地に成っていた。200坪もあるこの敷地の整備は、
とても大変だったと言うが、そうだろうと思う。ここを整備するには、ユンボやブルなどの機械が
ないと、人手だけでの整地はとても無理だ。今日は水道工事が行われており、彼が去年自力で掘った
井戸から、モーターでタンクへ水を入れる工事をしていた(さすがにこの作業はプロに任せている)。
コンクリート・ブロックを積み上げたその上に置かれている貯水タンクは、採った海苔を入れておく
タンクの廃物利用だという(以前、この付近では海苔を採っていた)。その横に置かれたコンテナも
中古で、ここは倉庫として使うようで、今は伐採した木から作った薪がたくさん詰め込まれていた。
左手の木がツリー・ハウスを作ろうとしている木で、登ってみると、上手い具合に、同じ様な高さの
所から三方へ太い枝を伸ばしており、まるで「テラスを作ってくれ」と言っているようだ。これは巧く
作れば四畳半くらいの広さがとれそうだ(彼にはデッキだけ作り、寝泊りする時はテントを張る事を
薦めた。そうすると固定した小屋とは違い、台風の時は撤収できて風で壊される事はないだろう)。
作業中の休憩所として建てられたテントには冷蔵庫が置かれており、中にはギッシリと缶ビールと
缶チューハイ、ジュース、水などが入れられていた。何時でもアルコールを欠かさないというのは
如何にも“トクさん”らしいと笑ってしまう。それにしても、冷蔵庫に鍵を掛けておかなくても、
中に入れた缶ビール等が盗まれないというのが、如何にもこの土地らしく、おおらかでとても良い。
彼は最初ここにゲストハウスを作りたいと、自分に相談してきたが、四国では遍路コースでもないと
採算が取れないだろうと思っていた(こうして現地を見るとやはりゲストハウスは無理だと思う)。
それで今度は、工場の従業員家族や、自分の親族、親しいお客さんを泊めるための、ゲストハウス兼
保養所に変更して「海の家」を造ることに成った。建物のプランは見せてもらったが、屋根と柱だけの
吹き抜けの、雨の時の作業場やバーベキュー、駐車場に使える吾妻屋を建てる事も提案しておいた。
しばらく工事現場を見て回っていたが、そろそろ時間に成ったので、15時55分に「ベッセルおおち」へ
行ってチェックインをする。部屋は1階の1107号室でシングルの部屋だ。ここは外部からの宿泊客を
想定していないので、建物の割りに部屋数がとても少なく、シングルもツインも一室しかないのだ。
“トクさん”の案内で、館内を少し見物してから工事現場へ戻る。水道工事の人も作業が終わって
引き上げたので、2人でコンテナの上に登ってビールを飲みながら涼む。ここは日が当たらないと、
風が通ってなかなか気持ちの良い所だ(夏などゴザを敷いて昼寝をするのにはもってこいである)。

しばらくすると仕事を終えた“トクさん”の遊仲間(?)の“釣キチ正平”がやってきた。彼は釣りが
大好きで、釣専用のボートと車を持っており、釣三昧の生活をしている。住んでいる家が漁港のすぐ
近くに在り、好きな時に漁港に係留してある船で釣りへ出られるのだ(この係留費が、東京付近とは
丸がひとつ違うほどの安さ)。このような場所に住んでいて、趣味が釣りというのはとても良い。
港へ行って、彼のモーターボートに乗り込むと、17時15分に港を出る。防波堤の外へ出ると「絹島」へ
向かった。右手遠方の岬の上には「ベッセルおおち」の白い建物が見えているが、大きな建物である。
漁港の沖合い近くには小さな島があり、右手の島が「丸亀島」といい、雄島と雌島に分かれているが、
引き潮の時は繋がるという(この島の周辺は浅瀬が多い)。島の頂上には「竜神神社」が在り、「絹島」と
共に昭和15年に国の天然記念物に指定されたという。この島には小さな浜が在り上陸できるようだ。

船は直進して絹島に向かい、島の裏側へ回り込んだ。この島は海岸から見た姿と、裏側の姿はまるで
違っており、裏側は岸壁に成っていて、玄武岩の柱状節理に成っていた。海の中の、この柱状節理が
珍しくて天然記念物に指定されたのだろう。所々に洞窟が在るが、大小10ヶ所あるという。真後ろに
在る洞窟が一番大きく、左側にはスパッと切れた綺麗な裂け目があり、なかなか面白い地形である。
絹島の裏側から丸亀島の裏に回りこみ、海岸側の浅瀬へ行くと、ここで釣りを始めることになった。
この船には“釣キチ正平”らしく釣竿や釣具が常時満載して有り、餌のゴカイまで飼っていた (^^;
釣果は“トクさん”が小さなカサゴと本命のキスを釣った。自分には大きな当りがあったが、針を
とられてしまう。他には小さなタイが2匹掛ったが、これは当然逃がしてあげる。“釣キチ正平”の
話では、今頃は、本当はもっとキスが釣れるはずだという。薄暗くなったので港へ戻ることにする。
港へ戻ると3人で「ベッセルおおち」へ行き、19時05分よりここの上の食堂で“トクさん”達と食事を
とることに成った。しばらくするともう1人の参加者がやってきたが、彼はタイで“トクさん”から
酷い目に遭った、かわいそうな“鉄ナベさん”だった(彼が“トクさん”と一緒にバンコクへ行った、
という話は聞いていたが、彼がバンコクでどの様な目に遭わされたかは初めて聞いた (^^;)。

4人で食事をとりながら生ビールを
飲み、色々な話をして過ごしたが、
それぞれの仕事を離れた処での会話は
なかなか楽しく飽きる事がなかった。
自分は宿に付いている定食を食べたが
これが意外と良く、最初はお盆の上の
物だけかと思っていたら、すぐ後から
天麩羅とアラ煮の鉢が来た。これに
ご飯か讃岐うどんが選べるというが、
お腹が一杯になってたので、止める。
この食堂は21時が閉店だというが、21時20分に食堂をでる。皆は自宅へ電話を入れて奥さんに迎えに
来てもらっている。こういう隔離された所で酒を飲むと、泊まっている人はともかく、こういう事に
なる。ここが都会とは違うところだろう。自宅が近い“釣キチ正平”は風呂に入って帰るというが、
2人は奥さんが迎えに来たので玄関まで見送る。ロビーから外へ出ると、夜になっても蒸し暑い。

皆を見送ると、21時40分に部屋へ戻り、洗濯をしてからシャワーを浴びる。ベッドのクッションは
マズマズだったし、テーブルも程々だし、テレビも文句は無い。これでインターネットが使えれば
文句はない。この部屋には大きな外窓が無いので薄暗くて換気が悪い。下の方に窓が有るが、これは
使い物にならない。とても眠いので、とりあえず写真をパソコンに取り込み、22時34分に消灯する。
2009年8月19日(水) 快晴後晴 こんなに魚が美味しいとは。
久々に夜行列車へ乗ったし、昨日は昼寝もしていないので、グッスリと熟睡していた。それでも
5時45分には目を覚ましてしまう。いくら何でも早すぎるので、ベッドで横になってウトウトして
いたが、6時40分に起床する。この部屋は外窓が無いので、朝でも薄暗く、電灯を点けていないと
駄目だ。パソコンの電源を入れて、データの打ち込みや、今回の旅のファイル作りなどを始める。

8時35分に食堂へ行って朝食をとる。この食堂は瀬戸内海に面した、広くて明るい食堂で、ドアーを
開けて展望台のような広いテラスへ出ることが出来る。朝食は各部屋ごとにテーブルが用意されて、
自分は窓際の一人用のテーブルに座る。朝食の内容も昨日の夕食同様にマズマズという内容だった。
ご飯と味噌汁とお茶はセルフサービスに成っていた。窓から景色を眺めながらゆっくり食事をとる。
食堂より部屋へ戻り、パソコンの続きを始めたが、切りの良い処で止めて出掛ける用意をする。
10時50分に売店のあるロビーから
玄関の外へ出ると、外は雲ひとつ
無い快晴の良い天気で、陽射しが
とても強く、ひどい暑さである。
玄関を出た右側に下へ降りる階段が
あり、道が続いている。この道を
行くと漁港へ出られると読んだが、
昨日皆に聞くと、殆ど人が歩かず、
手入れもしていないので、かなり
荒れているというので諦める。
この建物と漁港とを結ぶ遊歩道を
確保してあれば、宿泊者にとり良い
散歩道に成るのに、もったいない。
しょうがないので、遠回りには成るが、まともに歩くことにする。玄関前の駐車場を通って体育館を
覗き少し歩くと表通りに出るので右へ行く。少し行くと左側に“鉄ナベさん”の鉄工所が在り、少し
降りると、やはり左下に“釣キチ正平”の大きくて立派な家が見える。今日は平日だが、彼は友達と
一緒に“四国三郎”と呼ばれている吉野川へアユ釣に出かけている(彼の釣果いかんによって今夜の
バーベキューの内容が大きく変わってくる事になる。携帯電話の便りの無いのが良い便りになる)。
畑の中の、細い道との交差点を右に曲ると、漁港の集落へ入って行き、左へ防波堤に沿って行くと、
“トクさん”の「海の家」の工事現場へ出る。11時10分に現場へ着くと、彼は朝から作業をしていた。

ここに置かれている2台の機械は、彼が畑仕事や今回の整地の為に買い込んでいる機械だという。
彼の作業をしているスタイルを見ていると、押も押されぬ立派な百姓姿で感心してしまう (・_・;
自分が来たので彼は作業を止めた。このような体力仕事は、1日に3〜4時間が限界であることは、
自分も庭仕事をしているので、とても良く解る。彼は自分の家へ行こうと言って着替える。
彼の車で、11時30分に“トクさん”の家へ行く。彼はシャワーを浴びると「魚の美味しい店へ食事に
行こう」言う。その時、工場から奥さんが戻ってきて、「私も行く!」と言うので、3人で車に乗り、
12時05分に“トクさん”の家を出る。その食堂はここからかなり遠いというが、彼が運転をした。
走り出すと奥さんは、彼の運転は危ないと文句を言っていた。そして「“トクさん”は、昔は運転の
プロだったが、今はボロだ」と言っていた。彼もそれを認めて苦笑いをしている (^^;
町中を抜けて海岸線を走り、海岸に在る一軒家のその店へ着いた。この店は魚が美味しくて有名で、
関西など遠くからも大勢食べに来る人がおり、時間によっては並ばないと、店に入れないと言うが、
この日も店の外には人が並んでいたし、観光バスも止まっていた。しばらく店の前で待っていたが、
店の前の小さな生簀には、大きな看板ハマチが泳いでおり、刺身になる順番を待っている。
やがてテーブルが空いたので席に座る。“トクさん”は色々とある刺身定食の中から好物のハマチを
頼んだので、自分もハマチにチャレンジしてみる。はっきり言って自分は現役時代にハマチの刺身を
おそらく2千食前後食べており、もう、普通の人が食べる一生分のハマチの刺身を食べ尽くしている
(これは鰹のタタキとマグロにも言える。オコゼ、フグ、イセエビ、ヒラメ、それに補欠としてタイ
カワハギだったら何とか許せる)。これは昔、1年の半分以上は旅館の食事をしていたからだ。
ひどい時には、晩飯のおかずに1ヶ月のうち25日以上もハマチの刺身食べていた。ハマチの刺身には
辟易してしまい、そのうちハマチの刺身が出てくると、鍋に入れて煮て食べていた。だが、退職して
ハマチの悪夢から逃れ久しいのと、魚好きの彼が美味しいというので、食べてみる気になったのだ。
この店の刺身定食は、刺身とワカメの味噌汁とご飯という、とてもシンプルなものだが、味噌汁が
半端ではなくボリュームがあり、魚のアラや骨などから出汁をとった美味しいもので、この味噌汁
だけでもご飯が一杯食べられるという代物だった(この味噌汁を目当てに来る人もいるという)。
メインのハマチの刺身はプリプリとしており、噛むとコリコリとした食感で、今まで自分が食べて
きたハマチとはまったくの別物で、「今まで食べていたあれは一体なんだったのだろう?」と思った。
最近は昔と違って、餌の改良が行われており、たとえ養殖物でも、昔のようなギトギトとした油や、
独特なくさい臭いが殆ど感じられないのだ。とにかくここのハマチの刺身の美味しさには驚いた。
カウンター側のガラスケースには、何種類かの魚料理が並べられており、“トクさん”はそこから
タイのアラ煮をとり、温めてもらったが、これも大皿に盛られてボリュームがあり、美味しかった。
食事が終り、帰りは奥さんが運転をした(ボロの“トクさん”と自分はビールを飲んだから (^^;)。
途中で和三宝の店へ寄り、買物をして14時25分に家へ戻る。彼はこれから昼寝をすると言うので、
自分は風の通る、外に置いたテーブルで、インターネットやメール書きなどパソコンをして過ごす。

そのうち彼が昼寝から起きたので、バーベキューの道具や炭の袋を軽トラに積み込み、16時45分に
家を出て「海の家」の工事現場へ行った。しばらくはコンテナの上で缶ビールを飲んで涼んでいたが、
そろそろ時間になったので、17時35分からバーベキューの準備を始め、火を起こした。
しばらくすると“釣キチ正平”が吉野川から釣って来た、アユ17匹を持ってやってきたが、これは
上出来である。一匹だけ発育不良な奴がいたが、その他は大きく立派なもので、商品と成るような
大物だった。彼は早速“トクさん”と2人で、アユの腹を絞って掃除をする。釣りたてのアユは
ピカピカと光っており、とても美しい姿をしていて、食べるのが勿体ないくらいである。

このバーベキューの火床は鉄工所に特注で作らせたものだが、ドラム缶を半分に切り、火床の周囲に
カウンターの様な台が付けられている、なかなかの優れ物である。アユは有り合せの鉄串を刺した。
薄暗くなり始めた18時半頃から、ボチボチとみんなが集まりだしたので、バーベキューを始める。
そのうち奥さんが3人の孫を連れて、肉や野菜などを持って来てくれた。息子さん夫婦はまだ働いて
いるので、保育園から引き取るのは奥さん役目の様で、息子夫婦が、仕事が終り、自宅へ戻るまでは
“トクさん”や奥さんが家で預かっているようだ。ここまで大きくなるとひと段落付くが、這い回る
様になり、おむつが取れるまではとても大変だっただろう。今が一番可愛い時期である。
3人のオチビさん達は一時もじっとしておらず、カニを捕まえたりして、付近を走り回っており、
奥さんとしては目が離せない。そのうち家へ戻るので、嫌がる3人を上手く誘導して、車に乗せて
いたが、この姿を見ていると、まるで羊飼いが羊を囲いに追いやっている姿を思い浮かばせる。
暗くなると光に吸いよされる様に、近くに住む人や、通りすがりの人がやって来て気軽に参加する。
こんなに自由でおおらかな人間関係は、こんな所だから出来るのだろう。うらやましい人間関係だ。
皆は勝手に食べ、勝手に飲み、和気藹々と話をして過ごす。自分もアユを2匹とカサゴを食べた。
21時半に成ったので、それぞれが迎えに来てもらい、自分は“トクさん”の奥さんの車に乗り込んで
「ベッセルおおち」まで送ってもらい、21時50分に戻る。部屋に戻ると、22時00分からシャワーを浴び
22時10分からパソコンを始めた。時刻表とにらめっこで、明日からの移動計画を作る。明日は下関へ
行くので、とりあえず明日の下関行きと、その後の2日分は完全に仕上げておく。一通り移動計画が
出来上がったので、23時30分にパソコンを終らせると、荷物を少しまとめて、23時37分に消灯する。