2009年8月20日(木) 晴後曇 四国からベースにする下関へ。
寝たのはそれ程早くなかったのに、4時35分には目を覚ましてしまう。もう少し寝ようと頑張ったが
駄目で、5時45分に起床し5時50分からパソコンを始めた。切りの良い処で、7時50分にパソコンを
終らせると、最終荷造りをする。出掛ける準備を終え、何時でもチェック・アウト出来る様にする。
8時00分になったので食堂へ行ったが一番乗り
だった。自分の席は、昨日のように窓際へ用意
されていた。昨夜は泊り客が多い様で、今朝は
多くのテーブルに朝食の用意が出来ている。
席に落ち着いた頃に他の客もやって来だした。
他のテーブルと見比べると、自分のテーブルは
内容が違っていたが、連泊をしている自分には
気を使って、昨日の内容と変えているのだ。
他の客の内容を見ると、昨日自分が食べた物と
同じだったから、数種類パターンが有る様だ。
鮭がシシャモに換わっており小鉢の冷奴は同じ
だったが、切干大根がヒジキに成っていた。
今日は、下関に着くまでは、まともな物は食べられないので、朝からしっかりと食べておく。窓から
外を見ると、今日も良い天気で、かなり暑そうである。食事が終わると部屋に戻りしばらくテレビを
見ながら休憩する。8時50分に成ったので、フロントへ行って宿代を払ったが、カードはJCBだけ
使えないというので現金で払う(他のカードは何でも使えるが、JCBだけ駄目というのは、日本の
ホテルや観光施設ではとても珍しい)。精算をしていたら、ちょうど“トクさん”が迎えに来た。
“トクさん”の車に乗り、8時54分に「ベッセルおおち」を出る。列車の時間まで少し有るので、
「海の家」へ寄って、少し見て回る。今度来る時にはツリー・ハウスのデッキは出来上がっている
だろうし、ゲストハウスの「海の家」も出来ているかも知れない。そう成った時には、その「海の家」に
泊めさせてもらうことに成る。そろそろ時間なので、9時25分に「海の家」を出て丹生駅へ向かう。

「海の家」から丹生駅は近く、9時29分には丹生駅へ着いた。“トクさん”はしばらくいたが帰って
行った。この駅は何故か上りも下りも、駅舎の在る側にはホームが無く、島ホームを利用しており、
上りも下りも、いちいち端の方に在る陸橋を越えて島ホームへ渡らないといけないので厄介である。
しばらくすると列車がやって来たが、この時間だともう空いていた。9時45分に丹生駅を発車する。
予定では、本日は“トクさん”と一緒に九州へ出るはずだったが、彼が次の日曜日に、「海の家」の
土地の境界線を決める測量に立ち会わなければ成らないので、出発を月曜日(24日)に延期したのだ。
この町に居ても退屈なので、それまでの4日間を利用して、中国地方で乗り残しており、以前から
気に成っていた、小野田線と三江線へ乗ることにしたのだ。この2路線を乗り潰せば、中国地方の
旧国鉄今のJRの、全ての路線を完乗した事になるので、これはとても良いチャンスに成ったのだ。
10時42分に高松へ着いたが、次の快速マリンライナーまでは少し時間が有るので、一旦外へ出て、
「みどりの窓口」へ行き「青春18切符」を2枚買う。これは九州行きの分で“トクさん”の分も買う。
ホームへ戻ると、やってきた折り返しの快速マリンライナーへ乗り込み、11時10分に高松駅を出る。
走り出してしばらくすると瀬戸大橋に掛るが、
四国側には工場、造船所、ドッグ等があり、
岡山側よりも海岸線は賑やかで変化がある。
今日もとても天気が良いので、瀬戸内海の島が
良く見える。この列車に乗る時は、岡山からも
四国からも進行方向左側が、景色が良く見れて
良い様だ。しかし、瀬戸内海の写真を撮るには
橋の鉄骨が邪魔をして少々難しいものがある。
列車は快調に走り、12時03分には岡山へ着く。
糸崎に行く列車へ乗り換えたがこの列車は古い
車両の3両編成だった。12時10分岡山を出る。
東京から下関までの東海道本線と山陽本線は、何回乗っているか分からない位で、風景や地形などが
既に頭の中に入っており、走っていても、車窓の風景に興味のある部分は、ごく一部分だけである。
13時36分に糸崎へ着く。ここで10分の待ち合わせで、13時46分に糸崎を出る。少しお腹が空いて来た
ので、14時20分に白市へ着くと、駅前に何か食べ物を売る店が有るかと思って出てみると、何も無い
小さな駅で、諦めて戻ってくる。14時31分に白市を出ると、手持ちのビスケットやお菓子などを少し
食べる。長距離を移動する時は、外国でも日本でも、非常用の食料品と飲物は必ず持っている。
本日はこの白市・下関間が一番長く、4時間半以上乗りっぱなしになる。少しは寝ようと思ったが、
思うようには眠れなかった。景色を見るのも飽きてくると、途中でパソコンを取り出して、データの
打込などをして過ごす。次第に暗くなり、19時18分に下関へ着いた時はもう暗く成っていた。
駅の近くのビルに入っているスーパーのダイエーへ行き、今夜のご飯と、明日1日列車の中で食べる
パンなど食料品を買い込んだ。鈍行列車の旅は、乗り継ぎ時間が短いので、外の食堂で食事をすると
いう事は、なかなか出来ないのだ。それで2食分とか3食分の食料品を、列車へ乗る前に確保して
おく必要があるのだ。水などの飲物類はホーム等に自動販売機が有るので、まず問題は無い。
買い物が終わると、駅前広場のバス乗場へ行く。少し待つとバスが来たので乗りこみ、19時41分に
下関駅前を出る。夜の町を走り、唐戸付近に来ると少し賑やかに成る。ここを過ぎると海岸線沿いの
寂しい所を走り、橋が見えて来て、19時54分に「みもすそ川」のバス停へ着く。ここから今夜の宿の、
「下関火の山ユースホステル」の場所は解っているので、すぐに「みもすそ川」バス停から歩き始める。
ロープウエイの駅前まで行くと、ここには数匹の猫がたむろしており、こっちを見ていた。どうも
集会をやっているという雰囲気でもなかった。20時00分に「下関火の山ユースホステル」へ着く。
このユースホステルには2泊するので、昨日予約を入れておいたから、管理人の方も解っていた。
2泊分の宿代として6,400円を払う(去年は2,900円だったのに3,200円に値上がりしていた (ーー;)。

部屋は去年泊まった時と同じ、風呂場に一番近い部屋だった。同室者は60代の小父さんと大学生で、
後からもう1人青年がやって来て4人になった。去年と同じ下段の入口に近いベッドを選ぶ。荷物を
置くと、20時10分に風呂へ入る。夏は宿に着いたら、先ずは風呂かシャワーを浴びないと駄目だ。
小父さんは東京の八王子に住んでいるそうで、バイクでここまで来たというから、なかなか根性が
有る。話を聞くと高速料金が1000円の日に来たのだという。大学生は「青春18切符」で旅をしており、
宮崎まで行くという。安宿の話をすると、小父さんは泊まった事はないが、ライダー・ハウスの事は
知っていた。しかしゲストハウスという存在は、小父さんも大学生も知らないので話をしてあげる。
20時45分に食堂へ行って、自動販売機で発泡酒を買い、スーパーで買ってきた弁当を食べる。ここは
町から離れているし、近くに食べられるような食堂が無いので、皆も弁当を買ってきて食べている。
食堂にはコーヒーや冷たい麦茶が用意されており、何時でも飲めるように成っている。畳敷きの
談話室も去年とまったく同じで、相変わらず整然としている(ここは掃除なども行き届いている)。
食事が終り、一休みすると、21時20分からパソコンを始めた。ここには無線ランの設備が有るので、
インターネットをする。掲示板の書き込みやメールのチェックをし、22時10分にパソコンを終らせて
部屋へ戻る。明日の朝は早起きなので、同室の人にその旨を話し、早々と22時16分に消灯する。
2009年8月21日(金) 晴一時曇 先ずは小野田線を制覇。
目覚まし時計の音で、4時30分に目を覚まし起床する。皆はまだ寝ていると思ったら、ライダーの
小父さんはもう起きており、ベッドの中の明かりが点いていた。静に着替えると荷物を持って廊下へ
出て廊下で出掛ける用意をする。これはユースホステルへ泊まっている人の常套手段で、これは日本
だけでなく、外国のユースホステルなどでも同じだった(明かりを点けたり、物音を立てたりせず、
他の人を起こさない様にする気配りだ)。用意が出来ると玄関に行き、靴をとって食堂へ戻る。
管理人の人に教わった通り、ベランダへ出る戸を開けて4時39分に外へ出る。建物の横を通って
正面の道路に出ると、ロープウエイ駅を通って坂道を降り、4時45分に「みもすそ川」バス停へ出る。
まだ始発バスが無いので、嫌でも下関駅まで歩かなければならないから、天気が良くて助かった。
バス道路を歩き駅へ向かう。まだ暗いというのにジョギングをしたり、ウオーキングをしている人に
何人か会った。5時02分に「唐戸」を通ったが、市場へ出てくる人がいた。唐戸から下関駅までの道は
今までに何回も歩いており、様子が解っている(下関へは仕事で30回以上来ており、暇が有ると唐戸
などへ散歩に来ている)。5時24分に下関駅へ着いたから、大体計算通りの所要時間である。
直ぐにホームへ行くと、山陽本線の上り列車は入線しているので乗り込む。列車は定刻の5時34分に
下関駅を出たが、この頃にはもう薄明るく成っていた。6時13分に小野田へ着いたので降りる。

次は雀田まで行くのだが、時間が有るので駅の外へ出てみる。駅前は何も無く、駅舎もありふれた
小さな建物で面白みが無い。面白いのは下りホームの待合室(?)だった。ホームその物がオープンな
待合室に成っており、小野田線側だけに腰高の板の壁が出来ていた。この様な待合室は珍しい。
そのうち若い女性の駅員さんが来て駅舎を開けていた。朝から夕方まで、切符売りなどで駅に詰めて
いるようだ。6時36分に1両編成のワンマン列車が入線したので乗り込み、6時42分に発車する。

6時57分に雀田駅へ着いた。ここから支線の長門本山行きへ乗り換えるのだが、小さな駅舎を挟んで
V字形に線路があり、ホームもV字形に作られていた。反対側の短いホームには、1両編成の列車が
待っていたので、写真を撮って乗る。この列車には自分以外に鉄道マニアの青年が1人乗っており、
写真を撮っていた。列車は6時59分に雀田駅を出る。この支線は二駅区間の典型的な盲腸線である。
盲腸線とは本線から一駅とか二駅区間だけ支線で出ている路線で、その区間を往復している専用の
列車が走っている所だ。中国地方ではここが唯一の盲腸線となっている。地図で見ると長門市から
仙崎が盲腸線の様に見えるが、仙崎はれっきとした美祢線の終点の駅で、厚狭と仙崎の間には列車が
走っているので、この区間は盲腸線ではない(盲腸線との見分けは時刻表を見ないと解らない)。
九州では、博多駅と博多南駅の「博多南線」が唯一の盲腸線である。四国には盲腸線は1本も無い。
関西地区には多くて「山陽本線」の兵庫・和田岬、「阪和線」の鳳・東羽衣、「桜島線」の西九条・桜島、
「紀勢本線」の和歌山・和歌山市などで、関東の代表的な盲腸線は「鶴見線」という所だろう。もっとも
「桜島線」とか「鶴見線」などと、れっきとした名前が有る路線は盲腸線とは言えないかも知れない。
難波・今宮は本線で、日根野・関西空港は、本線の駅との間を長距離列車が数多く走っており、
盲腸線ではない。今回もそうなのだが、自分はわざわざこれらの盲腸線へ乗る為に、時間とお金を
使っている(盲腸線の多くは本数が少なくて乗るのが厄介なのだ。まったく物好きだね〜 (^^;)。

雀田から2駅なので、7時04分には長門本山駅へ着く。ここは片線のホームが1本と待合室がある
だけの無人駅だ。鉄道マニアの青年は折り返しの列車で戻って行ったが、自分は次の宇部新川行きに
乗ることにして、待ち時間を使って、少しだけ駅付近を歩いてみる事にする。ここは海の近くなので
何処かから海が見えないかと、表通りを右へ歩くと、海は見えるが余り景色は良くなかった。
直ぐに引き返し、今度は左に歩き新興住宅街へ入って行った。この道を歩いていると、ここに住んで
いる人とすれ違う時に、挨拶をされた。これがその人だけでなく、すれ違う人皆から挨拶をされた。
ここには余所者でも、人に会ったら挨拶をするという習慣があるようだ。子供達がすれ違うと挨拶を
するという町や村は、アチラコチラにあったが、大人が挨拶をするというのは初めての経験だった。
そろそろ時間なので駅へ戻り、待合室で持って来たパンを食べた。待っていると自分以外にも数人の
お婆ちゃんや小母さん等が列車を待っていた。7時30分に列車が入線したので車内へ入ると涼しくて
気持ちが良い。朝早いこんな時間なのに、陽射しが強くて暑く、歩くと汗をかいた。列車は定刻の
7時38分に長門本山駅を出る。この列車は雀田で乗り換えをせずに、そのまま宇部新川へ行く。
8時05分に宇部新川へ着く。これで長年気に成っていた小野田線を完乗する事ができた。この町は、
この地区では一番大きな町で、港町でもある(この町へは40数年前に仕事で来ている)。ここでも少し
時間が有るので、駅の外へ出てみる。港まで歩いて行くには、少し時間が足りないので、駅付近を
歩き、トイレへ行って待合室で少し休む。時間に成ったので、ホームで待っていると列車が来た。
8時41分に宇部新川を出ると、大きな川を渡り、景色の良い海の見える所を通る。線路沿いに多くの
テッポウユリが咲いていた。やがて内陸部へ入って行くと、畑の中に忽然とビル群が見えてきて、
9時32分に新山口駅へ着く。ここで山口線に乗り換えたが、2両編成でも結構込んでいた。ここには
新幹線駅があり、新幹線を降りた客が乗り込んで来たのだ。定刻の9時37分に新山口駅を出る。

10時00分に山口へ着いたが、この町は、この沿線では一番大きな町で、現役時代には仕事で2〜3回
来ている。ここでは降りる客が多くおり、ここで列車は空いた。10時04分に山口を出る。新山口から
一組、この駅からもう一組の、幼稚園の団体が乗って来た。この子供達はこの先の駅で降りたが、
川遊びをするようだ。途中に「長門峡」という駅があったが、この付近の川が面白いのだろう。
この山口線は山深い所は通らないが、丘陵地帯の谷間にある結構長閑な田園地帯を通り景色が良い。
列車は山口県から島根県に入り、「津和野」へ着く。津和野は仕事の合間に遊びに来た事のある町で、
神社などその頃と殆ど変わっていない。ここからは数人の観光客が乗り込んできた。日本海側へ
近づくに従い山はマスマス低くなり、田圃が広がってくる。11時57分に山口線の終点益田へ着く。
益田では約1時間半程の待ち合わせ時間が有るので、駅の外へ出て少し町を歩いて見ることにする。
ローカル線の旅をしていると、こういう時間が出来てしまい、未知の町を歩くと、古い町並みなどが
残っていたりして、思わぬ発見があるものだが、この町はまったく何も無い、面白くない町だった。
駅前のメインストリートの、1本裏側の細い通りに飲屋街があるだけで、歩いても面白くない。
駅前に在るビルの中が若干涼しいので、そこのロビーに有ったベンチに座っていた。ここの1階に
ドラッグストアーが在ったので、時間つぶしに入り、冷たい飲物やビスケットなどを買い込む。
そろそろ時間に成ったのでホームへ戻り、入線していた列車に乗り込み、13時26分に益田駅を出る。
ここからは日本海に沿って走るので海の景色が眺められる。列車は15時12分に終点の長門市へ着く。
ここで乗り換えるのだが、次に乗る美祢線の厚狭行きの列車は、着いたホームの対面で待っていた。
美祢線に急いで乗り換えると僅か1分後の、15時13分に長門市を出る(接続に少し余裕をみたら〜)。
この美祢線も宇部線同様に、かなり昔に乗っただけの、余り記憶に残っていないローカル線である。

車窓から山口県の沿線集落を見ていると、民家の屋根瓦は、明るい茶色が多いのだ。屋根瓦の色は
地方によって黒とか、灰色とか地域性がある(これはその土地で採れる土のせいかもしれない)。
車窓から見ていて、ひとつ気に成ったことが有った。それは、山口県の道路のガードレールの色が、
黄色く塗られていることである。ガードレールの色は、全国的に白というのが標準に成っているが、
黄色というのは珍しい。しかし黄色というのは、意外とガードレールの存在を自己主張している。
この列車には外国人女性バックパッカーが1人乗っていた。彼女は大きなリュックを持っていたが、
何所へ行っていたのだろう。こんなローカル線で外国人のバックパッカーに会うとは思わなかった。
彼女の髪の毛とか肌の色、顔の骨格などから見てラテン系の混血だろうと見た。

美祢線も山口線と同じ様に低い丘陵地帯の谷間を走っている。途中で美祢駅を通ったが、この美祢駅
から「美祢線」という名前が付けられている。路線名はこの美祢線や山口線、木次線のように、路線の
中に在る、大きな町や駅の名前から取ったものと、三江線や姫新線のように、その路線の両端に在る
町や駅の名前の頭文字を取って付けるもの、そして可部線、津山線のように、路線のどちらかに在る
町や駅名からとるものがある。また山本陰線、芸備線、因美線、伯備線、山陽本線など、走っている
その地域の名前から付けるものがある。いずれにしても路線名で何所に在るか解る様に成っている。
16時23分に終点の厚狭へ着いた。ここから下関へ行く山陽本線に乗り換えるのだが、ここではかなり
待ち時間が有るので外へ出て、駅前のコンビニなど覗いてみる。ここも駅付近には何も無い町だが、
現役時代に仕事で1回来ている町だ。ホームへ戻り、ベンチに座って列車を待つことにする。
あの外国人バックパッカーはここから新幹線に乗るようで、新幹線の改札口にいた。17時15分に
厚狭を出て、17時48分に下関へ着く。これで下関から下関へと、グルリとひと回りしたことに成る。
昨日と同じように、駅前のスーパー・ダイエーで、今夜と明日用の食料品などを買いこみ、バスに
乗って、18時10分に下関駅を出る。バスは快調に走り、18時21分には「みもすそ川」のバス停へ着く。

ゲートから坂道を歩いて「火の山ロープウエイ」の駅前まで来ると、昨夜と同じ様に猫が集っていた。
ここの猫達はとても毛並みが良くて綺麗だが、どうやら奴らは野良猫のようだ。この付近に住んで
おり、ここへ来る観光客達から餌をもらっているのだろう。それで人間を少しも怖がらないのだ。
18時28分にユースホステルへ戻ったが、まだ薄明るかった。部屋に戻るとライダー小父さんがいた。
話を聞くと、予定通りに門司港まで行って観光したが、昼過ぎに戻って来たという。しかし、YHの
ドアーが閉まっており入れなかったと言う。そう、ユースホステルは、昼間は室内に居てはいけない
事に成っており、ここがゲストハウスと違う処だ。彼は、明日は高速道路の料金が安い日なので、
東京へ戻るという。宮崎まで行くと言っていた大学生の青年は、もう出掛けて居なかった。
18時40分から洗濯をしてシャワーを浴びる。食堂へ行って、夕食の弁当を食べると、19時15分から
パソコンをセットして、インターネットを始める。しばらくすると少年野球の団体が到着した。
明日試合があるそうで、監督やコーチ、保護者のお母さんなどを入れて30人くらいの団体だった。
話によると、毎年、何処かのチームと対校試合を行っており、毎年ここへ泊まっているようである。
21時45分にパソコンを終らせて部屋へ戻ると、少し早いが、明日も早いので、21時55分に消灯する。
2009年8月22日(土) 雨後快晴 三江線で中国地方完全制覇。
5時30分に起床すると、着替えて廊下へ出る。昨夜ロッカーに入れておいたリュックや荷物を出して
最終荷造りをする。今朝は少年達が朝早くに食事をとるので、ユースホステルのスタッフ達はもう
起きて用意をしていたから、今朝は堂々と玄関から出られる。かなり本格的に雨が降っているので、
傘を出し、リュックにはカバーを掛けて万全の用意をした。今日は始発バスに乗れるので助かる。
5時45分に「火の山ユースホステル」を出て、ゆっくり歩き、5時52分に「みもすそ川」バス停へ着く。
この頃から雨が酷くなり、やがて土砂降りに成る。この大砲の置いて有る広場には、吾妻屋がふたつ
あったので、その中で雨宿りをして始発バスが来るのを待った。バスは定刻にやって来て6時05分に
「みもすそ川」バス停を出る。途中からも結構乗ってくる人がいる。6時18分には下関駅前へ着く。
駅前に着くと、何と、あの土砂降りの雨は止んでいた(あれはごく局地的な大雨だったのだ (ーー;)。
指定のホームへ行くと、まだ列車は入って
おらず、待っていると6時25分に入線したので
乗り込む。定刻の6時35分に下関を発車したが
空はこの頃に成ると黒い雲にムラが出てきて、
天気は回復へ向かっているのが分る。
列車は山陰本線を走るので、やがて左側に海が
見えてきたが、ドンヨリと沈んでおり、まるで
冬の日本海みたいな雰囲気である。7時52分に
滝部駅へ着く。ここで乗り換えだが、ほんの
少し時間があったので、駅の外へ出てみた。
バスが着いて多くの若者達が降りて来たが、
何処かでキャンプでもしていたのだろう。
若者達は下関行きの列車に乗った。列車のすれ違いが終わったので、8時03分に滝部駅を発車する。
この頃から雲が切れて来た。8時50分に長門市駅へ着く。又ここから益田行きに乗り換えるのだが、
それだったら、こんなに細切れにせず、下関から長門市か、益田まで直通列車を走らせるべきだ。
9時01分に長門市を出る。この頃からドンドン晴れて来て、海や島々が次第に綺麗に見えてくる。

萩駅に着くと、数人の観光客が乗ってきたが、萩は夏でも観光客が来るようだ。左手に富士山型の
小さな山(標高143mの指月山)が見えている。萩市には笠山(標高112m)という火山も在る。頂上には
噴火口の跡が在り、周囲には火山特有の風穴や、海とつながっていると言われる「明神池」等が在る。
これが日本で一番小さな火山といわれており、萩市には仕事で3〜4回来ているが、一番最初に来た
時に、その笠山へ登っている。当時、萩市内には信号機が二つしかないと市役所の人が言っていた。
我々が最初に来た後で「アンアン」とか「ノンノン」等という女性雑誌で、萩、そして少し遅れて津和野
更に遅れて山口などが取り上げられ、一大観光ブームが起り、現在の観光地としての地位を築いた。
東萩駅を出ると列車は益田まで海岸線を走るので、山陰本線の中でも、とても景色の良い所である。

この列車は何故か須佐駅に着くと、ここで時間調整のために少し停車した。外へ出てみると、駅前は
小広場に成っており、ありふれた小さな駅だったが、何となく長閑な温かさを感じさせる駅だった。
ここを出てほんの僅か走ると、10時56分には益田駅へ着く。ここは昨日、時間潰しをした所だ。
本日の移動プランを立てた時、三江線の江津駅発の時間から逆算した(本数の少ない路線に乗る時は
その路線を優先させる)が、江津か浜田か益田で長い待ち時間をとらなければ成らない事が分った。
益田は昨日歩いたし、江津も2006年にチラリと見ており、とても長時間過ごせる様な町ではない。
浜田も似た様なものだが、大きな町なので、とりあえず浜田まで行く事にし11時09分に益田を出る。
益田から浜田までの間が特に多いが、山口県の道路や鉄道の沿線を見ると、山肌がブルー・シートで
覆われている所を良く見掛ける。これはこの夏に、山口県を襲った大雨で、土砂崩れを起こした所で
ある。これらの場所は、まだ完全な補修作業が行われていない所で、かなりの数の爪跡があった。
11時56分に浜田へ着いた。ここで三江線へ接続する列車を待とうとしていたが、対面に止まっている
列車が三江線の浜原まで乗り入れている列車だった。ここで運転手さんに浜田か江津で時間つぶしを
した方が良いか、浜原で時間つぶしをした方が良いかと聞くと、静かな田舎の雰囲気を味わいたいと
思うのなら浜原が良いと言う。そして少し行った所にダムが在るというので、待ちは浜原に決めた。

12時05分に浜田を出たが、結構お客が乗っていた。江津では数人の乗り降りが有ったが、似たような
客数だった。江津駅を出ると列車は江津川に沿って走るが、山と川のギリギリの所を走っているので
ユックリと走っている。石見銀山へ行った時には土砂崩れで長期間不通に成っており、石見川本から
江津までは代替バスに乗ったものだ。列車から見ていると、この川の景色がとても良くて飽きない。
沿線には小さな集落が点在しているが、しばらくすると大きな町らしい所へ出た。ここがこの沿線で
一番大きな町で、やがて石見川本駅へ着く。ここでは列車行き違いの為、結構長く止まっているので
外へ出て見る。石見銀山へ行った年には、駅員がいて、不通に成った列車からバスへの振り替え輸送
などの面倒を見ていたが、列車が正常に運行されている今は、無人駅に成っていた。

この駅を出るとやはり川に沿って走って行くが、今までと違い川は進行方向右側になり、川から少し
離れた所を走るようになる。段々とお客が少なくなり、最後には自分1人になってしまい、完全に
貸切列車になってしまった。少し谷間の幅が狭くなり、高度を上げると14時38分に終点浜原へ着く。
この駅はごくありふれた無人駅だった。駅舎も駅前もまったく何所にでも有りそうなものだった。
その広場の片隅には三江線の全線開通の記念碑が建てられていたが、この付近の人達にとって列車で
瀬戸内海方面へ出られるというのは、とても便利で嬉しい事だったのだろう。
駅付近の様子を見て、14時45分に浜原駅を出る。とりあえず浜原ダムまで行く事にしたが、江津川の
どちら側を歩くかが問題だが、歩く距離が短いのと、涼しい日陰が多いという理由で、橋を渡って
対面を歩くことにする。狙い通りに道路は山の陰になり、結構日陰を歩けた。少し歩くと集落や畑が
在るが、少し引っ込んだ所に老人ホームが在った。そこは町の割にはとても大きな施設である。

集落を通り過ぎると植林地帯に入り、小さな峠みたいな所を通り過ぎ、坂道を降りると、左前方に
「浜原ダム」の堰堤が見えてきた。高さはそれ程でもないが、幅があり、なかなかのダムだと見えた。
15時18分に「浜原ダム」の堰堤へ着く。湖もそれほど大きな物ではないが、静でとても落ち着く所だ。
写真を撮って一休みしたが、さすがに涼しくて気持ちが良い。余り長居も出来ないので、15時40分に
浜原ダムを出て戻りだす。中途半端な町で当ても無く時間を潰すよりも、このダムへ来て良かった。
同じ道を歩き、16時17分に浜原駅へ戻る。駅舎のベンチで少し休み、駅の付近を少し歩いてみたが、
近くに商店が2軒あるくらいで、他には何も無かった。暑いので、自動販売機で冷たいコーラを
買って、風の通るホームに座り、飲みながら列車が来るのを待っていた。やがて三次行きの列車が
着いたので乗り込んだが、この列車には、鉄道マニアが数人乗っていた(彼らは臭いで直ぐに分る)。
自分がこんな辺鄙な無人駅から乗り込んだので、鉄道マニア達は不思議そうな顔をしていた。
17時01分に浜原駅を出る頃は、大分日が傾いて
来ており、夕陽が目に入りまぶしい。江津川も
ダムを過ぎ、上流域に入り川幅が狭くなる。
山間部をしばらく走ると、17時32分に薄井駅を
通過する。この駅は谷間の鉄橋の上に在る駅
として、鉄道マニアの間では有名である。
エレベーターも無く谷底から鉄橋の上の駅まで
土地の人は歩いて上り下りをしているそうだ。
この駅は餘部鉄橋と同じ様に、下から見たり、
自分で上り下りをしなければ、本当の楽しみ
と言うか、良さが分らないのだが、この駅で
降りて1本後の列車に乗るのは大変である。
鉄橋の上から通りすがりに見ただけだが、この谷間の集落は美しく静かなとても良い集落である。
ここを過ぎると、もう見所は余り無いし、次第に夕暮れに成って来たので写真も撮れなくなった。

列車はしばらく走ると、「口羽」という駅へ着いた。ここでしばらく止まるというので、皆はホームへ
降りたり、駅舎の方へ行ったりしてブラブラしていた。鉄道マニアにとっては、これはとても良い
チャンスなので、色々な写真を撮っていた(そういう自分もその1人である (^^ゞ )。
すれ違いの列車が来て口羽駅を出ると快調に走り、やがて夕暮れの、盆地の中の町中へ入って行く。
今まで山の中の小さな集落ばかり見ていると、ここは都会の様に見える。18時48分に三次駅へ着く。
これで三江線を完乗し、中国地方の全JRを乗り潰した事になり、今回の目的が達成できた (^^)v
中国地方を乗り潰したことで、関東、北陸、中部東海、近畿、中国、四国、九州と、関東以西を全て
乗り潰したことになる。後は東北と北海道にそれぞれ数本乗り残している所が有り、それを乗れば
日本全国のJRというか、旧国鉄の全線を乗ったことに成る。後2〜3回で達成できるだろう。
ここで広島行きの列車まで1時間近くの接続待ちがある。広島に出る人は駅の外へ食事に出かけた。
列車は既にホームへ入っているので、乗り込んで、ロングシートの椅子へ横になって休んでいた。
19時55分に三次を出た時は完全な夜で、外は真っ暗で何も見えない。この芸備線は何回か乗っており
景色は見えなくても良い。この列車は広島からの列車とのすれ違いでよく止まっていたが、広島から
来る列車は仕事帰りの人が多く乗っており、芸備線沿線は広島の通勤エリアに成っているようだ。
21時48分に広島へ着く。すぐに駅舎を出て、南口のすぐ近くに在るというゲストハウス探しをする。
インターネットで、宿の場所は確認しており、その通りに歩いて行くと、看板を発見し、21時54分に
「ハナ・ホステル」へ到着する。22時までに入ってくれと言われていたのでギリギリ間に合った。
ここは家族で経営している様で、電話でやり取りした娘さんとも会った。宿泊カードを書いて料金を
払ったが、ここはドミトリーが 2,600円だった。他に部屋や建物の鍵のデポジットとして千円払う。
ここはまだ新しい小さなビルで、何と、小さなエレベーターまで備えていた。自分の部屋は5階で、
部屋には2段ベッドがふたつ入っており、2人の白人娘と、既に寝ていた韓国人青年が同室だった。
空いていた上段のベッドにシーツを敷き、荷物を解体して置くと、22時10分からシャワーを浴びる。

22時30分に1階の奥に在る食堂へ行ったが、廊下で会った30代後半の青年とビールを飲みながら
話をした。彼は、ここへ泊まるのは2回目で、アチラコチラのゲストハウスを泊まり歩いている様で
「別府ゲストハウス」では、2年続けて正月を迎えたという。日本国内は良く旅をしているようだが、
外国へは出掛けた事がないようなので、外国のゲストハウスも薦めておいた。
この食堂には2台の有料パソコンが有り、インターネットをしている外国人がいた。無線ランの
設備があり、パソコンを持っている人は無料で使える。食堂のテーブルでは2人の若いドイツ娘が、
テレビを見ながら買って来た幕の内弁当を、器用に箸を使って食べていた。このゲストハウスの
宿泊者は殆どが外国人で、日本人はこの青年と自分の他に、3人の娘さんが居るだけだった。
廊下の掲示板やパンフレット置き場を見ると、その殆どが英文で、建物のトイレやシャワーなどの
説明文なども全部英文になっており、申し訳程度に日本語が書かれていた。「ここは何所の国?」と
いう雰囲気で、まったく外国に在るゲストハウスへ泊まっている気分である。
23時10分に食堂を出て部屋へ戻る。5階のエレベーターを降りた所の横に小さな屋上があり、ここで
白人の青年たちがビールを飲んでいた(奴らは暑くても、部屋の中より外の方が好きだ)。部屋へ戻り
23時34分に消灯する。2人の白人娘たちは何処かへ出かけており、まだ部屋に帰っていなかった。
2009年8月23日(日) 晴後曇 再び四国へ。
6時26分に起床する。さすがに連日動いているので、疲れて熟睡していた。でも、6時間半も寝ると
寝るのに飽きてしまい目が覚めてしまう。他の3人はまだ寝ているので、静かに荷物をまとめると、
ベッドから降りて、部屋の外へ行く。トイレへ行ってから、とりあえず屋上へ行き荷造りをする。

この屋上は、本来は物干し場で、洗濯機や流しなどが用意されており、ロープなどが張られていた。
ここにテーブルと椅子が置かれているのだが、これがガタガタの酷いもので、もう少し何とかして
もらいたいものだ。荷造りが終わったので、6時50分に食堂へ降りて行き早速パソコンを始める。
食堂の隣にはキッチンがあり、ここはフリーで使えるので、長期滞在者は自炊が出来る。ここには
ポットとインスタントコーヒー、紅茶などが用意されており、自由に飲めるので、コーヒーを入れて
手持ちのパンを食べる。すると4人の中年白人グループが来て、コーヒーとビスケットだけという、
超簡単な朝食をとっていた(コーヒーとビスケットやマフィンだけが朝食という欧米人は結構多い)。
メールのチェックやインターネットをして、8時15分にパソコンを終らせ食堂を出る。フロントへ
行き、部屋の鍵を返してデポジットの千円を返してもらい、8時18分に「ハナ・ホステル」を出る。

8時25分に広島駅へ着くとホームへ行ったが、始発列車ではないので、待っていないといけない。
今は通勤時間帯なので、ホームなどは結構人の行き来が有り賑わっている。しばらく待っていると
列車がやって来たが、ここで多くの通勤客などがどっと降りた。列車は8時45分に広島駅を出る。
広島からはかなり空いており、ユッタリと座れた。車窓の風景を眺めていると、数年前から工事中の
橋が見えてきたが、かなり出来上がって形になってきている。高速道路は、山の中を走るので、全て
線路よりも高い所を走る事に成り、橋が必要なのだ。10時02分に三原へ着き次の電車に乗り換える。

10時03分に三原を出ると、岡山までは直通なのでノンビリできる。天気が良いので瀬戸内海の景色を
眺めていたが、この沿線では、やはり尾道界隈が一番の見所だろう。快調に走り、11時46分に岡山へ
着く。ここから快速マリンライナーへ乗り換えるのだが、時間が有るのでホームで少し待っていた。

列車は12時03分に入線する。ここで折り返すのだが結構お客が乗り込み、12時12分に岡山駅を出る。
今度は良い景色が見られる進行方向左側に座る。このラインは幾つかの小さな島を繋いでいるので、
それらの島々の集落や漁港などが車窓から眺められる。マリンライナーは13時05分に高松へ着く。
ここで予定通り高徳線を1本遅らせて、高松市内を少し歩いてみる。この町には30回以上来ていると
思うが、数日いてもそれほど飽きない町だった。今回は何時もと視点を変えて、高松駅付近に在る
安宿を探すことにした。最近は駅やバスターミナルへ着くと、その近くに在る安宿を探す癖が付いて
しまった(どうも外国をウロウロしていると、日本でもその癖がついつい出て来るのだ (^^ゞ)。
高松駅は大きく変わってしまい、昔の面影が全然無い。これは徳島駅にも言える。駅前広場から
右側の裏道を歩くと何軒かの安いビジネスホテルがあるのが解ったのは収穫である。アーケード街に
ぶつかったので左に行くと表通りへ出る。この近くに在るビジネスホテルが現役時代の定宿だった。
表通りを渡り更に行くと三越デパートが在り、右側には讃岐うどんの店が数軒あった。アーケードを
琴電の片原町駅まで行って引き返す事にした。何時もここまでは来るが、ここから先へは行かない。
お腹が空いて来たので、或る讃岐うどんの店へ入った。店を選ぶ時に、今まで食べたことの無い店を
選んだ。この店は地元の人だけが来る店で、店の中は、いかにも古い大衆食堂という雰囲気がある。
肝心のうどんだが、定番の「ぶっかけ」とトッピングの天麩羅をひとつとったが両方で 340円だった。
うどんの腰はマアマアという処で、合格点だった。食堂を出ると同じ道を通って駅まで戻る。
みどりの窓口へ行き、明後日の「いさぶろう3号」の座席指定券を買った。買うのは当日でも良いし、
自由席でも良いと思っていたが、指定券は 500円なので、とりあえず押さえておく事にしたのだ。
ホームへ入ると14時27分に列車が入って来たが、これは2両編成だった。14時47分に高松駅を出る。
15時58分に丹生駅へ着くと“トクさん”が迎えに来ており、家へ行く途中で畑に寄ったが、畑では
奥さんが野菜の収穫をしていた。今晩のおかずにと、茄子や胡瓜などを採っていたが、リクエスト
として、芋茎を2本切り取ってもらった(これはおしたしにしてドレッシングを掛けて食べた)。
16時11分に“トクさん”の家へ着いた。今日は「ベッセルおおち」の部屋が満室で取れなかったので、
今夜は“トクさん”の家へ泊まることになっている。荷物を置いて一休みすると、16時38分に風呂へ
入った。窓の大きなとても明るい風呂で、風呂から庭などの景色が眺められる様に設計したという。
居間も大きなガラス戸にして、居間で寝ていても、庭の景色が眺められる様に設計されている。
この家は“トクさん”が倒れて、「半身不随になり、動けなくなってしまう」という前提の元で建て
られているのだ。処が当人は元気でピンピンしており、畑仕事をするは、井戸を掘るは、フラフラと
東南アジアの長旅へ出るはと、少しも大人しくしていないのだから、当てが外れた様である (^^;
“トクさん”も大体の荷造りは終わっており、リュックなどは、やはり東南アジアへ出かける時と
同じ物だった(バックパッカーは外国でも日本でも、長期も短期も、装備は殆ど変わらないものだ)。
早速明日から明後日に掛けての、ここから鹿児島までの、鈍行列車の移動計画の確認をしておく。
夜に成ってから、明日の熊本と、明後日の鹿児島のゲストハウスへ電話をして予約を入れておく。
ビールを飲みながら奥さんの手料理を食べると、寝る用意をして21時52分に消灯する。明日も早い。