2009年8月24日(月) 快晴一時晴 四国より熊本への鈍行列車の旅。
目覚まし時計は掛けていなかったが、寝たのが早かったので、目が覚めてしまい、5時00分に起床
する。布団を畳んでいると“トクさん”と奥さんも起きて来た。朝食の用意が出来たので、さっそく
ご馳走になったが、意外としっかり食べられたので、当分は持ちそうだ。出掛ける用意が終わると、
奥さんの運転で、6時01分に“トクさん”の家を出る。外に出ると、早朝は涼しくて気持ちが良い。

6時07分に三本松駅へ着き、我々を降ろすと奥さんは帰って行った。そろそろ時間になったので、
ホームへ入り列車を待っていると、1両編成の列車がノンビリとやってくる。6時21分に三本松駅を
発車(早朝だが結構乗客がいる)。いよいよ2人で屋久島を目指しての、「鈍行列車の旅」の始まりだ。
ロングシートの我々の対面に、60代後半と思われる男性が座っていたが、退屈になったのか、我々に
話掛けて来た。彼は「退職したら、毎日毎日暇でしょうがない。それで毎日パチンコと競輪に行き、
1年間で退職金を全部使ってしまった。退屈だから、今は週に3日ほど働いている」と言っていた。
これは趣味の無い人に良く有るパターンで、現役時代から何らかの趣味を持っていないと、退職後は
こうなるという見本である(仕事をしなくなると酒に走って、アルコール中毒に成る人も多いが、
それよりはましだろう)。“トクさん”は黙って彼の話を聞いていたが、毎日忙しい“トクさん”や
自分には想像できない生活だ。自分など、出来れば彼から1日2〜3時間分けてもらいたい。
7時34分に高松へ着くと快速マリンライナーのホームへ行く。直ぐに列車が来て、7時45分に高松を
出た。今日も快晴の良い天気で、瀬戸大橋からの景色を堪能する。列車は快調に走り、橋を渡ると
8時46分に岡山へ着いた。ここから糸崎行きの列車へ乗り換え、定刻の8時55分に岡山駅を出る。
岡山駅でのアナウスを聞いていたら、鳥取の方は大雨で、或る列車が運転取り止めに成っていると
言っていた。瀬戸内海側は雲ひとつ無い快晴なので、日本海側とはまったく違う天気である。
10時19分に糸崎へ着くと、対面には白市行きの列車が待っていた。ここの乗り換え時間は1分しか
ないのだが、数十秒遅れて着いたので、お客が乗り換えると、10時19分に糸崎を出る(この間30秒位
と思われる)。朝食が早かったので“トクさん”はそろそろお腹が空いて来たと言うので、手持ちの
ビスケットをあげる。そして、鈍行列車の旅は、目的地へ着くまでは乗り継ぎの連続で、食事をする
暇がなかなか出来ないので、2食分くらいの食料品と飲物を用意する必要が有ると教える。
10時51分に白市へ着くと、少し時間が有るので、この前のように駅の外へ出てみる。この前閉まって
いた駅前の店は開いていたが、パンは売り切れで無かった。諦めてホームへ戻り、列車に乗り込む。
列車は定刻の11時00分に白市を出る。この列車は
新山口行きなので、本日の一番長時間乗る列車に
なる。その覚悟をしてリラックス体制に入る。
広島までは実に快調に走っていたが、広島から
少し様子がおかしくなった。広島駅を出ると、
スピードが遅くなり、大田川の橋で止まった。
するとアナウスが有り、何と宮島口の手前で
人身事故が起り、この列車は次の横川止まりに
成ると言う。その後ノロノロ走り、12時00分に
横川駅へ着いたので、全員この列車を降りる。
アナウスでは横川から宮島口まで、広島電鉄に振り替え乗車をすると言っていた。念の為改札口へ
行くと、乗客が集って駅員に説明を求めていたが、駅員は何も分っておらず、司令部そのものが
対処に機能していなかった。東京では1日に数件の人身事故が起り、この事にすっかり慣れていて、
処理が素早いのだが、地方都市では珍しい事故なので、対応がヘドモドして能率が悪いのだ。
駅員の説明ではとりあえず、この駅に止まっている1本前の列車が、隣駅の西広島まで行くという
のでその列車に乗り換える。駅員とのやり取りの時に、改札口の横に小さなコンビニが有ったので、
ドサクサにまぎれて、ここで弁当を二つ買った。列車を乗り換えて、12時09分に横川駅を出る。
12時14分に隣の西広島へ着くと、ここでも先行している列車を乗り換えて様子をみる。アナウスが
有り、我々の乗った列車が岩国行きとして発車するという。この列車は12時34分に西広島を出た。
予定の移動計画がメチャクチャに成ったので、
走り出すと直ぐに時刻表を出して、熊本までの
接続状態を調べ変更する。ネックはこの列車が
遅れずに時刻表通りに岩国へ着くかどうかだ。
若干遅れて13時18分に岩国へ着いたが、対面に
新山口行きの列車が待っており、乗り移ると
13時19分に岩国を発車した。これで何とか
変更した計画通りに1時間遅れで熊本へ着く。
徳山駅を通ると、駅付近の左側には馴染みの、
工場や石油コンビナート群が見えてくる。
この頃には若干の遅れは取り戻していた。弁当も食べて、幾らか落ち着いたので、“トクさん”は
パソコンを出して、日記を書き始めた。彼のホームページの日記はリアルタイムでやっているため、
その日の事は、その日のうちにアップロードしているので、暇が有ると一所懸命に書いている。
彼のホームページは、彼が外国へ出かけている時に、自分が今何所に居て、何をしたか、これから
何所へ行くか等の、自分の行動や予定を、日本にいる家族や友達に知らせる事を目的として作られて
いる私的なもので、出来るだけ早く、出来ればその日の内に日記をアップロードしているのだ。
最初のうちは、彼が外国へ出かける事を、奥さんや家族は心配していたが、そのうち奥さんも一緒に
東南アジアへ出かけ、彼の生活状態やテリトリー等が解ると、今では安心して外国へ送り出している
様である。と言うよりも、今では「亭主元気で留守が良い」という定番思考で“トクさん”もそれが
解っている様だ。特に三つ子の孫が生まれると、奥さんも息子さん夫婦の子育てに参加する事になり
“トクさん”が家に居ると、四つ子状態になるので、「亭主元気で留守が良い」となるのだ (^^;
定刻の15時19分に新山口へ着く。ここでは接続
時間がかなり有るので、外へ出てみる事にする。
駅前にコンビニがあったので、ここでパンを
買っておくことにした。先程の弁当だけでは
熊本に着くまで持たないだろうと読んだのだ。
15時44分に新山口を出ると、16時50分に下関へ
着く。ここで乗り換え、16時57分に下関を出る。
下関へ着いた頃は雲ひとつ無い快晴だった。
関門トンネルを潜り、17時11分に小倉へ着く。
これでいよいよ九州へ入った。実に快調に進み、
計算通りだ。小倉からは7両編成の快速に乗る。
17時14分に小倉を出たが、ここから終点の荒尾
まで一気に進める。昨年と違い、今回は大牟田
乗換えではなかったが、接続が変わった様だ。
北九州は数十回も来ている町で、門司港から
黒崎に掛けては良く知っている所だ。左手に
見える山々は、全て歩いたことの有る山で、
見ていて懐かしい。特に八幡駅の後に在る
帆柱山(皿倉山)は何回も登っており、裏側へ
降りたことも有る、良く知っている山々だ。
博多が近づくと乗客が増え、博多で降りたが、
ここからも通勤客がどっと乗り込んできた。
廿日市までは何とか見えていたが、次第に薄暗くなり、景色が見られなくなる。段々と通勤客が降り
車内は空いてきた。完全に暗くなった、19時40分に終点の荒尾駅へ着く。ここから熊本行きへ乗り
換えたが、地元の学生や若者達が結構乗っていた。19時50分に荒尾を出て、しばらく走ると、定刻の
20時36分に熊本駅へ着く。予定よりも1本遅れ、約1時間遅れになったが、無事に熊本入が出来た。
熊本駅はホームや駅舎等変わってはいないが、
駅前が大掛かりな工事中で、歩ける所が限定
されていた。とりあえず市電の停留所に行き、
市電へ乗ることにしてホームで待っていた。
すぐにやってきた2番の健軍行へ乗ると、
20時45分に熊本駅前を出る。この電車は
かなり使い込まれた、古いレトロな車両で、
なかなか趣が有って好きである (^_^)v
途中でゲストハウスから電話が掛ってきたが、
到着が少し遅れているので心配したようだ。
21時05分に「交通局前」電停へ着いて降りる。
電停からは、ホームページの地図を見て、場所を頭に入れているので、その通りに歩いて行くと、
その喫茶店がポツンと有った。21時10分に「ゲストハウス熊本」へ着く。小さな喫茶店の中へ入ると
カウンターの中に管理人の青年がいた。宿泊カードを書き、部屋に案内してもらって説明を聞いた。
この「ゲストハウス熊本」には、一般的なドミトリーは無く、個室4部屋からなる小さな宿だった。
部屋はワンルーム・マンションで、玄関を入り、
左側にシャワーとトイレ、洗面所があった。
ここには小さなキッチンが有った形跡がある。
各部屋に小型の冷蔵庫やクーラーが有るとは、
ゲストハウスとしては、とても贅沢である。
奥に細長い部屋があり、ベッドがひとつ置いて
あって、横に布団が一組置いてあった。この
部屋の広さだったら4人は楽に寝られるだろう。
もし2段ベッドなら4つか5つは置けるだろう。
“トクさん”に「ベッドが良いか布団が良いか」
と聞いたら「布団!」と即答した(ヤッパリ!)。
荷物を置くと、早速教えてもらった、近くに在るスーパー・ダイエーへ食料品を買いに行くことに
して、21時15分に2人でゲストハウスを出る。この近くには、食堂やラーメン屋などがまったく無く
スーパーで買って来て食べるのが一番だと管理人は言う(スーパーは23時まで営業しているそうだ)。
自分の今夜食べたいものと、缶ビールなどを買う。そして、明日の車中用にパンなども買っておく。
21時45分にゲストハウスへ戻ると、食事をとりながらパソコンを始めた。ここには無線ランの設備が
有るので、接続を試みたが、最初はなかなかつながらなかった。そのうちつながって、22時15分から
インターネットを始める。中断して22時50分からシャワーを浴び、パソコンの続きをする。切りの
良い処で止めて、0時29分に消灯する。明日は出発時間が遅いので、久しぶりに夜ふかしをした。
2009年8月25日(火) 快晴後晴 好天に恵まれた肥薩線。
ぐっすりと熟睡でき、6時14分に起床する。6時30分からパソコンを始め、インターネットをする。
部屋の奥は内庭に成っており、外へ出ると涼しい。昨夜は外国人の声が聞こえていたが、外国人の
バックパッカーが庭で飲んでいたようだ。8時20分にパソコンを終らせて最終荷造りに取り掛る。

部屋の外へ出ると、ワンルームの部屋が四つ並んでいた。ここは3階建ての小さなマンションで、
1階だけがゲストハウスに成っている。外廊下には椅子やテーブルが置かれており、分別ゴミの
ゴミ箱なども置いて有った。喫茶店へ行くと管理人の青年はもう居た。部屋の鍵を返して8時41分に
チェック・アウトし、少し話をして店を出る。市電の「交通局前」電停へ行き、市電の来るのを待つ。
8時46分に市電へ乗り「交通局前」を出る。この
路線は少々遠回りをするが、繁華街や熊本城の
入口を走り、駅まで行くので、観光にも使える
なかなか優れものの市電である。
トロトロと走り、9時06分に熊本駅前へ着く。
熊本駅の駅舎は以前と少しも変わっていないので
とてもレトロな感じがして、なかなか良い。
何処かで朝食をとることにして、駅舎に入って
いる店を探したが、牛丼の「吉野家」が入って
いたので、この店で牛丼セットを食べることに
した。何だかタップリとご飯を食べるのは
久しぶりの様な気がするし、牛丼も数年振りだ。
食事が終わるとまだ時間が有るので、駅舎の2階へ行き、少し涼んでからホームへ行った。列車は
まだ入っておらず、しばらく待っていたが、この時間に成るとかなり暑い。9時56分に列車が入って
来たので乗り込む。この列車は2両編成のロングシート車両だった。定刻の10時05分に熊本を出る。
車窓の景色を見ていると、昨年同様に、この沿線ではシラサギの姿を数多く見掛けた。
10時41分に八代へ着くと陸橋を渡って肥薩線の
ホームへ行くと、列車は既に入線していた。
乗り込むと結構込んでおり、進行方向右側の
前の方の席が空いていたのでそこに座る。
次の列車が着くと、又お客が乗り込んで来たが
とうとう満席になり、立っている人が十数人も
いた。こんな事はとても珍しいが、乗客の半数
以上は観光客だった(やはり人気路線である)。
この列車には或るテレビの撮影クルーが乗って
おり正面に固定カメラが据え付けられていた。
スタッフの人が外側のガラスを拭いていたが、
この車両の窓ガラスはホコリなどが焼き付いて
少々拭いてもホコリがまったく取れないのだ。
車窓の景色を見るのが命のこの路線に、こんな車両を使うとは、JR九州は何を考えているのだと、
あきれかえる。おそらく、この車両は窓ガラスを拭くとか、洗車などをしたことが無いのだろう。
この路線は車窓から球磨川を見るのが命だと言う事がまるで解っていない。この路線は観光シーズン
には、地元のお客よりも、観光客が多く乗る観光路線なのだ。写真を撮る為に窓を一点の曇りもなく
磨いておくのが観光客へのサービスなのだ。自分はペルーのナスカで、セスナ機に乗って地上絵を
見たが、セスナ機の窓ガラスは写真を撮る為に、ピカピカに磨き上げられていたものだ。「観光」と
いうものに対しての考え方や力の入れ方が違う。JR九州は「観光」というものを考える必要がある。
満員に成った列車は11時09分に八代駅を出る。走り出して直ぐに球磨川の河口へ出て、そこからは
球磨川に沿って走る。最初は進行方向右側に球磨川が見えていたが、途中から左側へ移る。球磨川の
激流を見ようとすると、進行方向左側の方が良いだろう。“トクさん”も鉄道マニアも立ち上がって
写真を撮っている。自分も窓ガラスが汚れているので、時々窓を開けて何枚か写真を撮っていた。
他の人達も、写真を撮る時は窓を開けていたが、その窓が動かずに開けられない窓も有った (ーー;)
12時22分に人吉へ着く。殆どの乗客はここまでやってきたが、この人達も「いさぶろう3号」に乗る
人達だ。ここで次の列車まで時間が有るので外へ出る。外は太陽が照り付けてかなりの暑さである。
この時間を使って何処かで昼食をとることにした。駅の付近には旅館が経営する大衆食堂が一軒在る
だけで、その店に入った。奥の座敷へ上がり注文をしたが、なかなか出来てこなくてイライラする。
自分は余りお腹が空いていないので、九州名物「だご汁」を頼んだが、小振りの丼が出てきた。これで
550円とは少し高いと思ったが、何と正統派のクジラのベーコンが入っていたのだ(懐かしい味だ)。
今時、クジラは高級品で、これでは値段が高くなるはずだ。昔はクジラが安くて、肉の代用品として
クジラを使っていたのだが、今では安い豚肉を使うことが多く、クジラのベーコンとは恐れ入った。
何とか食べ終わって駅に戻り、ホームへ行くと
入線していた「いさぶろう3号」に乗り込む。
木造の座席など何となくレトロな基調になって
おり、初めて乗る人は珍しそうに眺めていた。
この観光列車は定刻の13時15分に人吉を出る。
一応指定席に座ったが、殆どの人は立って右へ
行ったり左へ行ったりして写真を撮っていた。
この列車には女性の車掌さんが1人乗っており
景色や鉄道の解説をしていた。又小さな売店が
あり、弁当や缶ビール、土産等を売っていた。
我々も缶ビールを買って、飲みながら車窓の
景色を眺めていたが、これではまったく観光
旅行ムードである。
列車は球磨川流域から次第に山の中へ入って行き、高度を上げて、スイッチバックの大畑駅へ着く。
ループ線とスイッチバックが組み合わさっている、この部分は珍しく、鉄道ファンとしては見所だ。
大畑駅で少し停車したので皆はホームへ降りて写真を撮っていたが、ここはイマイチという感じだ。

ループをひと回りしてこの路線で一番高い所に在る矢岳駅へ着く。この駅でも数分停車するので、
殆どの人は降りて、駅舎の横に在る、蒸気機関車を格納している倉庫を見に行っていた。この駅は
デゴイチよりも、古い木造の駅舎が良いのだ。切符売場の小窓や改札口、待合室の木のベンチなど、
昔の駅の様子が、そのまま残っており、とても懐かしい。この様な駅舎は貴重で保存すべきだ。
この駅を出ると下りに掛るが、
左手には霧島連山が見えており、
韓国岳や高千穂峰などの山々が
眺められた。去年よりも天気が
良いので、山々がとても綺麗に
見えていたのはラッキーである。
今日は絶好のチャンスなので、
窓を開けて、樹林帯が切れる所を
見計らって写真を撮っていた。
この霧島連山には、現役時代に
鹿児島から登りに出掛けたが、
天気の良い眺めの良い日だった。
この景色は「日本三大車窓の一つ」と言われており(これには異論が有り、もっと良い景色が有る)、
矢岳第一トンネルから、第二トンネルに掛けてが一番良いという。もっとスッキリと晴れていたら
桜島まで見えると言い、車掌さんがその様な時に撮った写真を見せてくれた。
矢岳駅を挟み両側にトンネルが在るが、人吉側には、当時の逓信大臣だった山縣伊三郎の揮毫で、
「天険若夷(てんけんじゃくい)」、吉松側には鉄道院総裁の、後藤新平の揮毫で「引重致遠(いんじゅう
ちえん)」という額が取り付けられている。これらの言葉を繋げて読むと「天下の難所を、平地の様に
工事をしたおかげで、重い貨物も、遠くまで運ぶ事が出来る様に成った」という意味になっている。
それで、この2人の名前を取って、観光列車の愛称を「いさぶろう号」、「しんぺい号」と呼んでいる。

今度は下りのスイッチバックがあり、そこに真幸駅があるのだが、やがて左下方に真幸駅の全貌が
見えてきた。真幸駅へ着くと、ここでも数分間停車するので駅舎の外へ出てみた。昨年通った時は、
早い時間だったせいか、曜日のせいかは分らないが、駅構内で地元の農家の人たちが、野菜や果物、
自家製のお菓子などを売っていたものだが、今回は閑散としていた。駅の椅子には、「博多にわか」の
ような、とてもユーモラスな顔を描いた、大きなカボチャが椅子に座っていたのは遊び心が有る。
列車はグングン高度を下げて、14時37分に吉松へ着いた。ここから隼人行きに乗り換えるのだが、
時間がタップリと有るので待合室へ入った。ここは中央に8畳ほどの畳を敷いた縁台が在ったので、
ここで少し昼寝をすることにしたが、本気で少し寝てしまった。目が覚めると団体さんがやって来て
俄に込んでしまう。この人達と、すれ違いの列車から降りてきた団体がいたが、こんなローカル線の
駅で、2つの団体さんに会うとは驚きである。時間に成り列車が入線して15時48分に吉松駅を出る。

吉松から隼人までは丘陵地帯の中を走るので、それなりに面白いし、古い駅舎が残っているので、
それを見るのも楽しみにしている。特に、大きくて立派な駅舎の大隈横川駅と、少し小振りだが、
温かみの有る嘉例川駅の駅舎が良く、これらの駅舎も保存してもらいたいものだ。平野部へ出ると、
16時40分に終点の隼人へ着く。これで肥薩線が終わった。対面に来た鹿児島行きの列車へ乗ったが、
やはり込んでいた。16時46分に隼人を出て、桜島を見ながら走り、17時22分に鹿児島中央駅へ着く。

ホームからコンコースへ出ると、西口側へ降りる。今夜の宿の「鹿児島リトルアジア」の場所は分って
おり、コンビニを右へ曲って、線路沿いに少し行くと、赤い派手な看板の出ているゲストハウスが
見えて来て17時28分にゲストハウス「鹿児島リトルアジア」へ着く。表には貸自転車が置いてあった。
廊下を突っ切って反対側(正面)の玄関へ行き、宿の女将さんに会って宿帳を書き、宿泊料を払う。
ここはドミトリーが1500円ととても安い。ドミトリーの部屋は男女に分かれており、自分は入口に
一番近いベッドを選ぶ(ドミトリーの部屋では、出来るだけ逃げやすい入口近くの、下段を選ぶ)。
この宿のレンタサイクルは1時間だったら無料だというので、自転車を借りて17時40分に宿を出る。
鹿児島という町には20回以上来ているので、大体の土地勘がある。とりあえず南埠頭まで行き、
高速船乗場と、南埠頭ターミナルとの位置関係を調べておく。18時30分にゲストハウスへ戻ると、
自転車を返し、18時35分にゲストハウスを出て、中央駅の東口へ行き、南埠頭行きのバスを調べた。
上手い具合に6時20分の南埠頭行きのバスが有り、バス会社へ電話を入れて確認すると、このバスは
「屋久島丸」に接続している事が分った(これでタクシーを使わずに済む)。18時50分にゲストハウスへ
戻ると、18時55分からシャワーを浴びたが、このゲストハウスにはシャワーが一つしかないのだ。

食堂兼談話室へ行くと、もう夕食の仕度が出来ており、“トクさん”が1人でビールを飲みながら
パソコンをしていた。彼としては何とか今日のうちに日記の遅れを取り戻そうと頑張っている。
この宿に着いた時、宿の女将さんから「夕食を食べるか?」と聞かれたので、即参加する事に決めた。
この宿の夕食は安くて美味しいと有名なのだ。19時30分から夕食が始まったが、今日は、だご汁と
野菜サラダとキンピラだった。だご汁はとても美味しく、これで会費280円というのはとても安い。
19時50分に夕食を終えるとパソコンを持って来て、20時00分からパソコンを始める。無線ランの
設備が有るので、パスワードを聞いて接続しインターネットを始める(今やインターネットの出来る
パソコンや無線ランの設備の無いゲストハウスなどは考えられない)。“トクさん”は早々に部屋へ
引き上げたし、眠くなってきたので、切りの良い処で、21時40分にパソコンを終らせて部屋へ戻る。
この時にスタッフの青年に、屋久島から戻って来た日(9月1日)の、宿泊の予約をする。今夜も結局
満員に成ったので、夏休みの間は早目に手を打っておく必要が有る。これで屋久島での滞在期間と、
帰宅日(9月4日)が確定した。明日は早いので目覚まし時計を掛けて、21時47分に消灯する。
2009年8月26日(水) 快晴一時晴 快晴の屋久島航路。
5時20分に起床すると、荷物を持って裏口のベランダへ出る。“トクさん”はもうそこにいたが、
昨夜はとても早く寝たので、夜中に目が覚めてしまったという。出かける用意が終わると5時54分に
「鹿児島リトルアジア」を出る。中央駅のコンコースを通り、6時02分に鹿児島中央駅東口の、駅前に
あるバス乗り場へ着く。しばらくすると同宿の女の子と青年の2人やって来る。更に数分すると、
大きなリュックを背負ったドイツ人青年2人と日本人女性1人の三人組がやって来た。
やがて南埠頭行きのバスが来たので乗り込み、6時21分に駅前を出る。早朝なので道路は空いており
6時38分に南埠頭ターミナルビルの前へ着く。すぐに窓口へ行くと、乗船カードを書いて乗船券を
買ったが、一番安い2等が 3,200円だった。6時43分にフェリー「屋久島丸」へ乗船する。2等船室へ
行き、居場所を確保したが、2等船室はカーペット敷きになっており、寝れるように成っていた。

しばらくすると他の客も乗り込んで来て、結構なお客の数になる。その殆どは学生や若者達だった。
やはり運賃が安いのでそうなるのだろう。観光客だけでなく、トラック等の運転手も数名いた。
荷物を置くと早速船内を見て回ることにする。このフェリーは思っていたよりも大きな船で、大きな
食堂が在ったが、営業はしていないようだ(乗客が少ないので採算が合わないのだろう)。船内には
自動販売機がいろいろと揃っており、或る程度のものは買える。出航時間に成ったので甲板へ出る。

定刻の7時00分に鹿児島南埠頭を出航する。横の岸壁には、後から出る「屋久島2」が停泊しており、
出港準備をしていた。屋久島へは我々の乗っている「屋久島丸」と「屋久島2」が1日に一往復しており
貨物等を運んでいる。岸壁から離れるとターミナルビルの全貌が見える。防波堤を過ぎて港を出る。
鹿児島港を出ると鹿児島湾を南下
して行くのだが、桜島の横を通る。
桜島は東側なので逆光に成り、
シルエット気味だが、それはそれで
なかなか美しくて良いものだった。
今日は結構噴煙が上がっており、
桜島は活発に活動している様だ。
甲板に居ると若者たちも出てきて
写真を撮っている。三人組の女性が
やって来たので、少し話をしたが、
屋久島では2泊して、白谷雲水峡と
屋久島一周をしたいという、
かなり無謀な計画を持っていた。
白谷雲水峡は問題なく、島一周は
“縄文自由人”に相談すれば何とか
成るだろうと方法を考える。
しばらく部屋に戻って休んでいたが
“トクさん”は夜中に起きてしまい
余り寝ていないので熟睡していた。
海は静かで、船は快調に走り、
右手に開聞岳や長崎鼻が見えて来た
ので甲板へ出て写真を撮り始める。
長崎鼻が次第に近づくと、岸辺の
様子が間近に見られるようになる。
長崎鼻を通り越すと、開聞岳は
海の中に立っている様に見える。
この山には現役時代に登っているが
登っていて余り面白い山ではない。
時々右手を種子島や屋久島へ行く
高速船が通り越して行くが、確かに
このフェリーに比べると早い。でも
乗り心地とか、居住性からいうと、
フェリーの方が遥かに良い。安い
だけでなく、時間に余裕が有れば
フェリーの方がお勧めである。
鹿児島湾から出て仕舞うと、余り
見所は無いので、船室へ入って休む
事にした。“トクさん”はまだ寝て
いるし三人組は完全に死んでいた。
昨夜は遅くまで飲んでいた様だ。
時計を見るとそろそろ屋久島へ着く
時間なので、甲板へ出てみると、
もう島にかなり近づいている。
昨年に比べれば天気は良い方だが、
相変わらず山には雲が掛っている。
他の所は快晴なのに屋久島だけ雲が
掛っているとは、さすが屋久島だ。
そろそろ宮之浦が近づいて来たので部屋に戻り“トクさん”と三人組を起こし、降りる用意をする。
三人組は完全熟睡をしており、起こされた時は状況が分っていない位だった。リュックを持つと、
何時もの様に、着岸作業が見たいので、甲板に出てみると、船はもう宮之浦港の中へ入っていた。

船は次第に岸壁へ近づいて行ったが、鹿児島同様に、高速船乗場とは別の岸壁で、ターミナルビルも
別に成っている。予定よりも少し遅れて、11時06分に屋久島宮之浦港へ着岸する。タラップが設置
されると、11時09分に船より降りる。ターミナルビルへの通路を歩いていると“縄文自由人”の車が
近づいてきた。彼は相変わらずの風体で、挨拶もそこそこに、後から来る三人組の話を持ち出した。
宿の事は後回しにし、とりあえず今から白谷雲水峡へ行かす事にした(午前中のこの時間だと太鼓岩
まで行っても終バスに間に合うと読む)。白谷雲水峡行きのバスは港で待っていたので、皆の大きな
リュックを預かり、身軽な格好にさせてバスに乗せる。降りてきたら連絡する様に電話番号を教えて
3人を送り出す(船を下りて直接このバスに乗る人も結構いたが、時間の無い人達なのだろう)。
我々のリュックも積み込み、港を出て、11時24分に“縄文自由人”の家へ着く。2階の部屋へ行き
荷物を置くと、相変わらず暑いので、短パンに着替えたり、サンダルを出して生活体制を整える。
“縄文自由人”が「ウェルカム昼食をとりに
行こう」と言い出したので、彼の車に乗ると、
11時29分に家を出て、港の入口に在る大きな
お土産屋の中に在るレストランへ行く。
ちょうどランチタイムで、本日の定食を頼む。
本日は鶏の唐揚、野菜サラダ、素麺などの
弁当形式だった。まともなものを食べるのは
四国を出て以来なので美味しく食べられた。
食事が終わると、“トクさん”は初めてなので
例によって、宮之浦地区をざっと回ってみる。
一番大きな宮之浦ですら、この一年で変わって
いないのだから、他も変わらないのだろう。
最後に「ヤクデン(近くに在るこの島では大きなスーパー)」に寄って買い物をすることにした。まずは
缶ビールなどのアルコール類を大量に買い込み、夜のおかずの材料も買い込み13時34分に家へ戻る。
“縄文自由人”は昼寝をすると言い2階へ上がり、“トクさん”はパソコンに取り掛かったので、
自分は14時00分から、島へ来た本命の目的である無線ランの設定と接続テストなどに取り掛かった。
今回、屋久島へ来た大きな目的は、この家に無線ランを取り付けるという事にある。何しろ今回は
3人が同時にインターネットをする事があり、その事態に備える必要が有るのだ。モデムと親機の
無線ルーターを接続し、起動設定をしてから、自分のパソコンを起動させると、無線ランはしっかり
働いておりあっさりと接続に成功した。ここは、隔離された地区なのでセキュリティは設定しない。
次は彼の骨董品的ノートパソコンに USB形の小型子機を取り付けて、子機の設定をする。こちらは
少し時間がかかったが、これも成功した。ディスク・トップの方は今まで通りに、有線にしておき、
ルーターからは、他にも3台接続できる事を説明しておく。15時30分頃に全てのテストが終了する。
しばらくすると電話が来て、三人組を迎えに、“縄文自由人”と自分の2人で16時17分に家を出る。
宮之浦港入口まで来れば良いのに、環状道路へ下りた所でバスを降りたようで、そこで待っていた。
変な時間に電話が来たと思ったら、最終よりも1本早いバスに乗れたという。そして一番上の太鼓岩
まで行ってきたというから、若者は体力が有る。景色が良いので写真を撮りまくっていたという。
3人を車に乗せ、自分は歩いて帰ることにした。16時55分に家へ戻ると17時10分から風呂に入る。
17時40分から夕食の支度を始めたが、今夜はドイツ人でも食べられる野菜カレーにする。結局この
三人組はこの家へ泊まることに成り、近くにある温泉へ行くと言うので、“縄文自由人”が3人を
送って行った。この三人組は、レンタカーの運転には自信が無いというので、明日はガソリン代を
出して“縄文自由人”の車でガイドをしてもらいながら島を一周する、ということに話を決める。
これで三人組の屋久島における予定が全てかなう事になり万々歳だ(どうも自分も“縄文自由人”も
旅人を見ると親切に面倒を見たくなる癖が有るが、これは性分なのでしょうがないだろう (^^; )。
電話が有り、“縄文自由人”が3人を迎えに行き、19時10分から6人で夕食(飲み会)を始め、22時
少し前に終える。この3人の不思議な組み合わせは、ドイツ青年と女性は、ニュージーランドでの
ワーホリで知り合ったそうだ。そして、そのドイツ青年が日本へ旅行に来たので、日本を案内し、
一緒に屋久島まで来たと言う(屋久島は外国人の間でも結構知られており、人気の有る島である)。
ドイツ青年は首都から少し離れた、フォルクスワーゲンの本社がある町に住んでいるという。
三人組と“トクさん”は疲れて眠くなり、2階へ引き上げたので、その後は2人でパソコンをして
いたが、設置した無線ランの説明などをした。特に問題の多い子機の扱いに付いて説明しておく。
“縄文自由人”は、明日は1日中車を運転するので、早く寝ることにして、23時52分に消灯する。