2009年8月〜9月 西日本の旅 旅日記 其の六 9月2日〜9月4日  鹿児島からの帰路



2009年9月2日(水) 晴一時快晴  久しぶりの青島。

6時33分に起床するとトイレへ行き、裏のバルコニーで、6時55分からインターネットを始める。
しばらくすると“トクさん”もやって来た。7時40分にインターネットを終えると最終荷造りをして
出掛ける用意をする。他の人はまだ寝ている様なので、裏口に置いてある靴を持って表玄関へ行く。

7時55分に「鹿児島リトルアジア」を出た。何時も線路側の裏口から出入をしており、この表玄関から 出るのは初めてだった。表通りからも、この宿が分りやすいように、赤い看板が幾つか出ている。 まだ時間が早いので、何処かで朝食をとってから駅へ行こう、と思ったが、西口のこの界隈には、 朝食のとれるような店は一軒も無かった。駅ビルに入ったら何かあるかと思ったが、コンコース沿い には、大きな駅なら必ずある、蕎麦屋もファーストフード屋もハンバーガー屋も無かった。ここは 鹿児島のメインの駅だというのに、朝食をとれる所が無いのだ(東京ではとても考えられない事だ)。 しょうがないので、賑やかな東口へ行ったが、東口の駅前にも「吉野家」とか「マグドナルド」等という 店が一軒も無いのだ(鹿児島恐るべし!)。仕方が無いので、駅から少し離れた所に弁当屋があった ので、そこで弁当を作ってもらい、8時24分に鹿児島中央駅へ戻り、駅のホームのベンチで食べた。 我々が弁当を食べていると4羽のスズメが寄ってきた。奴らは人間が何かを食べていると、何時も 何所からか見ており、おこぼれを頂戴しようと寄って来るのだ。自分の方を見て催促しているので、 ご飯粒をあげると食べていた。4羽に、公平にいきわたる様にあげたが、生米と違って、炊いた お米は嘴にくっつくので、とても食べにくそうだった。食べ終わると諦めて何処かへ飛んで行った。 8時54分に宮崎行きの列車が入線したので乗り込む。列車は9時11分に鹿児島中央駅を出る。もう 通勤、通学時間は終わっているので車内は空いていた。車窓の風景を眺めていたが、海岸沿いも、 山岳地帯も、それなりに変化が有って良い。日豊本線は鹿児島本線よりも全体的に景色が良い。 今回は昨年のように都城での乗換えがなくて、直通で11時32分に宮崎へ着く。ここから佐伯へ行く、 接続の良い延岡行き列車までは約3時間有る。鹿児島を出るのを早めて、この宮崎で、わざわざ長い 接続時間をとったのは“トクさん”がまだ行った事の無い「青島」へ連れて行こうと思ったからだ。

自分は仕事で、宮崎には20回前後来ており、若い時に青島へも2回ほど行っているが、ここ30年位は 行っていないので、久しぶりに行く気に成ったのだ。日南線の青島まで行く列車までは、少し時間が 有るので、駅前広場やターミナルビル中を見て歩く。外へ出るとかなりの暑さで、さすが「南国」だ。 宮崎駅の駅舎が新しくなってから、初めてまともに駅を見た。現役時代の終り頃は、宮崎をはじめ、 鹿児島、熊本、長崎、福岡、大分などへは、東京から飛行機で往復する事が殆どで、JRの駅は余り 利用しなく成っていた。主要な駅の駅舎は、どんどん変わって来て、昔の面影が全然残っていない。 時間に成ったのでホームへ上がると、列車が入線していたので乗り込み、12時23分に宮崎駅を出る。 川を渡り町を抜けると、やがて左手に宮崎空港が見えて来た。日南線へ乗るのは実に久しぶりで、 九州のJRを乗り潰すために、なかなか行く機会がない志布志までひたすら往復した時以来である。

列車は12時49分に小さな無人駅の青島駅へ着いた。駅舎を出ると、駅より駅前の通りを歩き始める。 この道路はタイル張りの歩道と人工の小川が出来ていた(こんなものは昔は無かった)。この歩道を しばらく行くと、幹線道路との交差点へ出る。ここに在る歩道橋を越えると、青島神社への参道で、 商店街の入口に成っている。歩道橋の上からは、もう青島や、手前にある砂浜の一部が見えていた。

歩道橋を降り、商店街を通り過ぎて砂浜へ出たが、この商店街は何だか活気が無く、まるで場末の 裏寂れた商店街という感じがして、とても「観光地のお土産屋街」という雰囲気では無かった。青島や 日南海岸は、冬でも暖かい「南国ムード」が売りの為、暑い夏にわざわざここに来る人は少ないので、 今はオフ・シーズンなのかも知れない。右側に亜熱帯植物園が在ったが、時間が無いのでパスする。 商店街を抜けると明るくとても大きな砂浜が広がっており、正面には青島が横たわっている。参道を 歩いて行くと、直ぐに「弥生橋」へ出る。この橋(?)も昔はこんな立派なものではなかったと思う。

「弥生橋」を渡って行くと、この橋の両側には「鬼の洗濯板」と言われる、独特な地形が広がっている。 この波状の岩は、鬼が使う洗濯板(若い人には分らないかも)に似ているので、この名前が付いた。 この地形は1000万年ほど前の地層が侵食されて出来たものだが、面白いのは、この岩にはうろこ状に ヒビが入っており、割れた岩の間に「なまこ壁」のように目地が入っているのだ。これを見ていると、 まるで人間が作ったかの様に見える。実に不思議な地形で、他ではなかなか見られない地形である。

橋を渡ると新しい石灯籠があり、正面には数枚の看板が立てられていたので、ざっと読んでみる。 島は一周約1.5キロメートルあり、一周出来るが、幅の広い舗装された歩道は右側にあり、この道は 青島神社まで続いている。参道を歩いているとかなりの暑さだ。13時07分に青島神社の入口へ着く。 境内へ入ると、左右に社務所や手水鉢などがあり、正面に本殿が在った。社殿そのものとしては別に 変わったものではない。この神社は「海彦・山彦」の物語に登場する、山彦とその妻の豊玉姫を祀って おり、縁結び、安産、航海の神様として信仰を集めているという。この神社が文献に出てきたのは、 約1200年前の平安時代だというから、それ以前からあったはずで結構古くからある神社の様である。 本殿の右側の門を入って行くと、左右は鬱蒼とした植物で覆われており、まるで熱帯のジャングルへ 入ったような雰囲気になる。おそらく青島全体がこの様な植生状態に成っていると思われるので、 もし青島神社へ来たら、ここは是非見てもらいたい所である(大きな木はビロー樹が多いようだ)。

この道の突き当りには「元宮」という小さな社がある。ここは古代から祭祀が行われていた場所で、 昔はここに「青島神社」が在ったので元宮というそうだ。一番奥には注連縄を張った平たい岩が在り、 この岩にかわらけを投げる神事をしている様だ。一通り見学したので、13時19分に青島神社を出る。 同じ道を歩き、駅へ戻ることにしたが、パック旅行の団体さんや、グループ旅行の人達とすれ違う。 ここを見ていると韓国人の観光客が多いように思う。韓国にはこの様な亜熱帯植物が自生している 所は無いので珍しいのだろう(特に九州北部は韓国から近いので、韓国人の観光客がとても多い)。 別府、宮崎、霧島は、まだ気軽に海外旅行が出来なかった40年くらい前は、新婚旅行のメッカで、 春や秋は新婚さんで溢れており、石を投げれば新婚さんに当る程だった。春秋の結婚シーズン中の、 別府から宮崎へ行く特急列車のグリーン車は、色や形は多少違うが、全員が同じ様なスーツを着た 新婚さんのカップルで埋め尽くされており、まるで集団結婚をしたような異様な雰囲気だった。 寂れた商店街を通り13時35分に青島駅へ戻った。ホームのベンチでしばらく待ち、13時48分に青島を 出る。14時12分に南宮崎へ着くとここで降りて、宮崎空港から来る延岡行きの列車を待つ事にする。 少し時間が有るので、改札口にある、小さなコンビニで飲物とパンなど買って食べる。食べ終わって ホームの時刻表を見ていたら、1人の女性が声を掛けてきた。彼女は自分が履いているプーマの バスケットシューズを「何所で買っのた」かと聞いた。「これは東京で買った」と言うと納得していた。 そして「宮崎では売っていないんですよ」と言い、この靴の履き心地の良さを褒めていた。今までに 自分の履いていた靴を褒められたのは初めての事で、驚いてしまう(自分の持っている靴の中では、 本当はダンロップ製の防水加工がしてあるバスケットシューズの方が優れ物なのだがね〜 (^^ゞ)。 しばらくすると列車がやって来て、14時39分に南宮崎駅を出る。海岸線等の景色を眺めたり、少し ウトウトとして過ごしていたら、16時29分に終点の延岡へ着く。ここで佐伯行きの列車に乗り換え だが、我々と同じ様に鈍行列車の旅をしている、我々と同じ様な年代の男性がいた。最近は定年退職 した人で、一人旅をしている人を良く見かけるが、これは良い傾向である。16時47分に延岡を出る。 17時58分に佐伯へ着くと、ホームの対面には佐伯行きの列車が待っており、みんなが乗り換えると、 17時59分に佐伯を出る。次第に薄暗くなり、19時26分に大分へ着く。大分市は仕事でおそらく20回 以上来ている町だが、泊まるのは別府の温泉が多かったので、余り町は歩いておらず印象が薄い。 大分へ着く前にアナウスが有り車両故障のため、この列車は大分で運行を打ち切るので、大分で乗り 換えてくれと言っていた。この車両は冷房が故障しており、少しも冷房が効かないのだ。4番線から 地下道を通って3番線へ行き、ここ始発の列車に乗り換えたが、結構先客が乗っていた。19時30分に 大分を出たが、これは今まで乗っていた列車の大分発の時間だった。19時42分に隣町の別府へ着く。 この駅ビルの中にはスーパーのダイエーが入っているので、ここで今夜の夕食と飲物、明日の列車で 食べる食料品を買い込み、20時08分に別府駅を出る。外へ出ると鹿児島よりも若干涼しくて良い。 20時12分に今夜の宿の「別府ゲストハウス」へ着く。玄関の靴の状態を見ると、今日は去年よりも少し 泊り客が少ないようだ。ロビーではインターネットをしている外国人がおり、また我々よりも年配の 男性客を1人見かけた。宿帳を書き、宿代を払ったが、去年と同じくドミトリーは1500円である。

スタッフと少し話をして、2階の12号室のドミトリーへ行った。ここは四畳半ほどの狭い部屋で、 2段ベッドがふたつ置いてあった。奥のベッドには外国人が2人入っており、手前のベッドに我々 2人が入った。荷物を置いて、20時35分からシャワーを浴びる。ここもシャワーはひとつしかなく、 タイミングを見計らって入らないと駄目だ。我々の部屋の、隣の小さな部屋が喫煙室に成っていた。 買ってきた物を持って、20時50分に談話室へ行ったが、ここには若い女の子が2人いた。彼女たちは 学生で、ここの学校の学生ではないが、二ヶ月間ここに居て、ここにある学校へ研修で通っていると 言っていた。ウイークリー・マンションに住んでいる仲間もいるが、彼女たちはここの個室を1ヶ月 6万5千円で借りているという。シャワーを除けば、広い台所も、談話室もあり、インターネットも 出来るので、或る意味では快適なのかも知れない。それにしても良くこんな所を見付けたものだ。 早速パソコンをセットして、インターネットをする。冷蔵庫で冷していたビールなどを飲みながら やっていたが、23時05分に切りの良い処でパソコンを終らせる。23時20分に自分の部屋へ戻って 寝る用意をし、23時28分に消灯する。別府は結構涼しくて、屋久島のあの暑さがうその様である。 2009年9月3日(木) 曇一時雨後晴  旅の最後は何時もの岡山泊り。 5時15分に起床すると、静にベッドから降り、荷物を持って廊下へ出る。隣の喫煙室に荷物を置いて トイレへ行く。5時30分に1階の談話室へ行き、インスタントコーヒーを入れてインターネットを 始める。そのうち“トクさん”も荷物を持ってやって来た。6時10分にインターネットを終えると、 最終荷造りをして出掛ける用意をする。皆はまだ寝ているので、部屋の鍵を玄関の箱に返しておく。

6時30分に「別府ゲストハウス」の玄関を出る。外へ出ると湿度は少し高いが涼しくて気持ちが良い。 6時35分に別府駅へ着く。広場にあるユーモラスな銅像を見てからホームへ行く。少し早すぎたので ホームの待合室に入って待っていた。次第に通学の生徒達が集りだす。やがて大分からの列車が入り 定刻の7時00分に別府駅を出る。これは通学列車なのでかなり込んでおり、立っている人が多い。 朝起きた時からドンヨリと雲っていたが、この頃にはとうとう雨が降り出し、すぐに本降りに成る。

途中からも乗ってくる生徒がいたが、次第に生徒達が降りて行ったので、列車はガラガラに空いた。 7時53分に柳ヶ浦駅へ着いたが、ここは雨が降っていなかったので、狭い範囲の雨のようだ。 ここで少し、列車すれ違いの待ち合わせ時間が有るので、ホームへ降りて写真を撮っていた。我々の いるホームの反対側には、青色の小倉方面行きの特急列車が入り、改札口側には白い流線型の特急が 入った。前回はここで列車の乗換えが有ったが、今回は中津まで行くので、延々と停車している。 両方の特急列車が出て行き、8時20分に柳ヶ浦を出発する。北へ向かうほど天気が良くなって来る。 8時38分に中津駅へ到着した。中津は、この付近では大きな町で、この町には仕事で1回来ている。 ここで乗換えが有るので、地下道を通って1番線ホームへ行く。8時49分に中津駅を発車する。 行橋付近からは左手の山々が見える。この辺の山も小倉から良く登りに来ている。9時55分に小倉へ 着く。ここで下関行きへ乗り換え、9時59分に小倉を出て10時17分に下関へ着く。これで九州を抜け 本州へ戻ってきた。山陽本線の列車は、着いた同じホームから出るので列車が入るのを待っていた。 少し時間が有るので、“トクさん”はタバコを吸いに出かけた。定刻の10時34分に下関駅を出る。

 ここから先は何度も通っている所で、景色等  余り興味が無い。11時43分に新山口駅へ着く。  ここで乗り換えて、11時47分に新山口を出たが  終点糸崎まで4時間弱という一番の長丁場だ。  北九州から晴れていたが、広島付近から又曇り  空になってしまう。晴れているのは限られた  地区だけのようだ。“トクさん”も自分も  パソコンを取り出してデータの打込等をする。  新幹線の橋梁を見ていると、かなりの広範囲に  渡って鉄筋や鉄板を巻き補強している。これは  阪神大震災以後、強度が調査されて、弱そうな  所を補強しているのだが何とも危ういものだ。 15時35分にようやく終点の糸崎へ着く。ここで本日最後の乗換えをして、15時38分に糸崎駅を出る。 17時06分に本日の旅の終着駅である岡山へ着く。ここで“トクさん”と別れることになり、彼は帰宅 するので、快速マリンライナーのホームまで見送る。彼は帰りも自宅へ寄らないかと誘っていたが、 そんなにノンビリとしてもいられないので、自分は、ストレートに明日帰宅することにしている。 “トクさん”の帰宅方法として、別府港からフェリーで八幡浜へ渡り、松山経由で高松へ出るという ルートを調べてみた。八幡浜からの鈍行列車の本数が少なく、接続がとても悪いので、結果的には、 今日の日豊本線、山陽本線経由の方が、早く高松へ着くことが分り、こちらのルートにしたのだ。 最寄りの駅には奥さんが迎えに来てくれるので、彼は多分20時前には自宅へ戻っているだろう。

17時10分に岡山駅を出ると、地下道を歩き、17時21分に定宿「駅前ユニバーサル・ホテル」へ着いた。 早速チェックインをする。自分の部屋は別館5階の519号室だった。ここはシングルで少し狭いが、 夕食と朝食の2食付きで 3,997円という安さだ(この部屋は喫煙室で、禁煙室は少し値段が高い)。 まだ時間が有るので、本当は新大阪まで行って、新大阪駅の近くに在る、新しくて、大きくて快適な ユースホステルへ泊まった方が、翌日は早く帰宅できる。しかし、あえてこのホテルに泊まる事に したのは、旅の最後の夜くらいは、1人でノンビリと過ごしたかったからである。 部屋に入ると荷物を広げ、パソコンの用意をする。この宿はビジネスホテルのくせにインターネット 関係の設備がまるで無いのが欠点だ。今時インターネットが接続できないビジネスホテルなどとても 考えられないことだ。体制が整うと17時35分から洗濯をしてシャワーを浴びる(これは現役時代から ビジネスホテルなどへ着いた時の条件反射的行動で、体に染み付いており治らない行動だ (^^;)。

18時00分に食堂へ行って夕食をとることにする。ここの夕食はサービスで付いているもので、簡単な 日替わり定食と、カレー定食の2種類があり、今回は初めてカレー定食の方を選んでみた(内容は カレーライス、コロッケと野菜、温泉卵、ほうれん草のおしたし)。無料なのだから、所詮内容や 味はこんなもので、期待をしては駄目だ。それに若者には少しボリュームが足りないだろう。 食後は部屋へ戻って一休みし、買い物をしに、18時49分にホテルを出る。近くにあるスーパーへ行き 今夜の酒のつまみに成りそうな物と、明日の列車で食べる2食分の、パンなどの食料品を買いこむ。 19時35分にホテルへ戻ると、荷物を整理して、20時05分からパソコンを始める。写真の取り込みや、 データの打込などをする。帰宅してからの作業がしやすいように、やれる事はやっておくのだ。 22時18分に地震があった。こんなビルでも感じるほどのものだ。テレビを見ると、震源地からは2分 ほどのタイムラグがあったことが分る。22時40分にパソコンを終らせ、ベッドで横になってテレビを 見ていたら、酔いが回ってきて、23時15分頃には寝てしまった。夜中に目が覚めて電灯を消す。 2009年9月4日(金) 曇後晴  今回は快調に東京へゴールイン。 6時00分に起床するとテレビのニュースを見ながら荷造りを始める。荷造りが終り、しばらく休んで いたが、早目にチェック・アウトをしておこうと、6時45分にフロントへ行きチェック・アウトを する。新聞を読んでいたが、7時00分に成ったので、1階の食堂で朝食をとる。朝はブッフェ方式に 成っている。品数が少なく、内容は以前と同じワンパターンであるが、しっかりと食べておく。 食事が終わると、7時12分に「駅前ユニバーサル・ホテル」を出る。外へ出ると曇ってはいるが、雨は 降りそうも無い。地上を歩き7時20分に岡山駅へ着く。早速ホームへ行って並ぶ。この列車はとても 込んでいるのが分っているからだ。7時43分に列車が4番線へ入線したが、予想通り通勤通学客で 込んでいた。岡山で大勢降りるが、岡山から近郊に在る学校へ行く生徒達がおり、どっと乗るのだ。 7時43分に岡山を発車する。8時55分に相生へ着くと対面に接続列車が待っており、乗り換えると、 8時56分に相生を出る。この列車は満員状態で立っている人が多かった。9時16分に姫路へ着くと、 対面で待っている鈍行の米原行きはやり過ごし、地元の人に習って、新快速を待ち、新快速に乗り 込んだ。列車は9時27分に姫路駅を出る。新快速は12両編成なので姫路を出た頃は結構空いていた。 姫路から米原までは長丁場で、神戸や大阪が近づくに従って込んで来る。関西地区は乗り降りが 盛んだが、京都、山科を過ぎると、今度は少しずつ空いてくるという、何時もの新快速のパターンが 見られる。曇っていた空も神戸付近から晴れだして日が射してきたので、車窓の景色が楽しめる。

 11時52分に米原へ着く。米原は以前改装工事を  しており、ホームがグチャグチャだったが、  どうやら出来上がった様でスッキリしていた。  11時59分に米原を出ると、何時もの様に左手に  伊吹山が見えてきたが頂上は雲が掛っていた。  この山は東と西を分けるランド・マークになる  山で、若い頃にキビダンゴならぬオムスビを  あげた犬をお供に登ったものだ(と言うよりは  その犬が道案内をして、頂上まで連れて行って  くれた。ただし、サルとキジはいなかった)。 12時34分に大垣へ着いて乗り換えると、12時40分に大垣を出る。この時にホームで冷たいジュースを 買って飲む。名古屋ではかなりの客が乗ってきたが、次第に客が減って行き14時00分に豊橋へ着く。 ここで乗り換えたが、ここからはロングシートだった。14時06分に豊橋駅を出ると、この列車の終点 まで行かずに、14時39分に浜松へ着くと降りる。東京へ向かう鈍行列車の旅人は、皆ここで降りたが 接続状態を知っている様だ。14時45分に熱海行きの始発列車が入線し、14時50分に浜松駅を出る。 この列車は込んでおり、自分の隣に太目のオバサンが座ったが、連れのオジサンに対面の空いた席へ 座れと言っていた。そして通路を挟んで座ったオジサンに大声で話しかけていたが、それがどうも タガログ語だったのでフィリピンから出稼ぎに来た夫婦かも知れない。浜松周辺はブラジルを始め、 南米各国の日系人が、自動車関係の工場へ出稼ぎに多く来ている。しかし、フィリピン人は珍しい。

 静岡駅へ着くと後ろに3両連結し、この列車は  6両になる(これで座席は少しは楽になった  ようだ)。自分はたまたま乗っていたのが一番  後ろの車両だったので、連結作業が見られた。  6両に成っても、このロングシートの列車は  長距離を走るというのにトイレが付いていない  のには驚く。1両編成の列車でもトイレを  付けているJR九州とか山陰本線とは、ものの  考え方がまるで違うようで、見習うべきだ。  現在もそうだが、これからは、列車を利用する  人は年寄りが多くなるのだから、先頭車両と  最後尾の車両にはトイレの付いた車両を付ける  べきだ(1ヶ所だったら真ん中に付ける)。 東へ来て、豊橋付近から曇りだし、次第に雲が厚くなる。静岡駅を出ると、少しウトウトして寝て しまった。列車は順調に走って、17時25分に熱海へ着いた。ここから東京行きへ乗り換えるのだが、 この列車は一番端のホームから出る。列車は15両編成なので、空いている後の方の車両へ行く。 空いている席に座ってヤレヤレと思ったら、缶ビールやつまみ等を大量に抱えたオヤジ集団が乗って きた。熱海の温泉で宴会でもやった帰りと見えて、既に出来上がっていた。大きな声で騒いでおり、 これから駄目押しの酒を飲むようだ。周囲の客はしらけた顔をして無視していた。夕暮れの迫った 17時32分に熱海を発車する。品川駅では降りずに、この列車で一気に東京駅まで行くことにする。

 残っていた最後のパンを食べたが、これで帰宅  するまで持つだろう。次第に暮れて来て、もう  車窓の風景も見られなくなりやがて暗くなる。  九州と違って関東は日没時間がかなり早い。  藤沢、大船、横浜あたりから乗り込んでくる  お客が結構いた。都内へ入るとビルの灯が  賑やかに成り、大都会だという雰囲気に成る。  列車は19時09分に東京駅のホームへ着く。  東京駅は明るく賑やかで「東京へ帰って来た」  という気分に成り、旅が終わったと感じる。  山手線のホームへ行き19時14分東京駅を出る。 何時ものコースを通り、20時07分に最寄のJR駅へ着くと、何と本降りの雨が降っていた(東京では 降っていなかったのに (ーー)。リュックにカバーを掛けると、屋久島では出番の無かった折りたたみ 傘を出し、20時13分に最寄駅を出る。ブラブラと雨の中を歩きながら、20時37分には無事帰宅する。 去年は名古屋から静岡付近に掛けて、ダイヤが乱れて狂ってしまったが、今回は順調に帰宅できた。 これで19日間にわたる西日本の旅が終わった。何時もの如く、まったく先行きを考えずに出かけて 行ったが、こうして旅が終わってみると、何となく「さまに成った旅」に成っているからおかしなもの である。口永良部島や種子島へも行こうかと思っていたが、それが中国地方のJRの乗り潰しにと 変わったのも、成り行き任せの旅らしくて良かった。次(多分来年)の、夏の国内の旅は、東北地方か 北海道にしようかと思っている。まだ行っていない所や、乗っていない路線が幾つか有るからだ。

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