2011年12月〜2012年1月 沖縄寝正月の旅 旅日記 後編 1月3日〜1月5日  少し街を歩こうか



2011年1月3日(火) 晴後曇  首里城で琉球舞踊見物。

夜は一度もトイレへ行くことなく熟睡できたので、どうやら治ってきた様だ。女房はほぼ完全に回復
しているがまだ心配をしている。8時37分にベッドから起き上がる。2人も起きているので、朝食を
とりに、8時55分に食堂へ行く。女房は、用心はしているがもう普通に食べていた。自分はイマイチ
な状態なので、用心して梅干とお粥、豆腐、シークアサー・ジュース、お茶と無難な処にしておく。

義姉はお粥を食べながらシークアサー・ジュースを飲み、フルーツ・サラダを食べながら味噌汁を
飲んでいたが、どこからこの組み合わせが出てくるのか不思議でならない。食べ物の感覚が日本人と
言うよりも、まだアメリカ人みたいである。まあ、食物は好みなので何も言わずに見ていた (^^;

部屋に戻り一休みすると、天気も良いし、女房も自分もマズマズの体調なので、「首里城」の前庭で
正月の三ヶ日に行われている、琉球舞踊を見ることにして出かける用意をする。何時もの様に玄関の
前で待っていると直ぐにタクシーがやって来た。12時36分にタクシーへ乗り込み、ホテル前を出る。
前回通ったコースを走り、12時48分にこの前と同じ様に、トンネルの向う側の首里城入口へ着いた。

この前と同じ道を歩いて「木曳門」を通り抜け、「下之御庭」へ出る。「系図座」と「用物座」の前に仮設の 舞台が作られており、建物の中の正面には楽器奏者が並んでいた。舞台の前にテント張りの観覧席が 作られていたが、テントの中だけでは観客が収まりきらずに、その左右にも多くの見物客がいた。 我々が行った時は、12時30分の回の、最後の出し物である、有名な「谷茶前(ちゃんため)」が踊られて いた。これは雑(ぞう)踊りというジャンルに入る踊りで、「谷茶前節」と「伊計離節」で構成されている 踊りだ。豊漁と豊作を題材にしたもので、一般庶民の生活が取り入れられている。 この踊りは正月三ヶ日に「首里城」で行われる「新春の宴」の午後の出し物で、12時半から16時半まで 1時間おきに5回行われており、毎日出し物が違っている。この踊りは正月だけに限らず、毎週4日 (水・金・土・日)と祝日に。開催されており、1日3回公演で、11時00分、14時00分、16時00分に 行われている。これは各グループがボランティアで行っており、無料で見られるというのはお得だ。

次回が始まるまで、この前見なかった「京の内」へ行って見ることにした。塀に囲まれた入口を入るが ここは「西のアザナ」と呼ばれる地域で、坂道を少し上ると、左手に四角く塀で囲まれた小さな空間が 在ったが、ここが「京の内」と呼ばれる御嶽で、「首里城」の中では1番神聖な所だと言われている。 「京の内」の横を通って行くと二股になり、右へ行くと城壁にぶつかるが、そこの斜面には、小さいが 自然の洞窟が在った。二股の左側にはやはり石壁に囲まれた御嶽が在った。その右側の高台へ上ると そこが展望台に成っている。この付近は「首里城」復元初期とはまるで変わってしまっていた。一通り この付近を見物すると、そろそろ時間になったので、踊りを見に「下之御庭」の会場へ戻る事にする。

会場へ戻るとさっきよりも人が多く、やはり横から見ることにした。前回とは出し物が変わっており 最初は「若衆こてい節」という踊りで、本当は元服前の若者が踊るものなのだが、女性が踊っていた。 男が赤い衣装というのは違和感が有るが、元服前の少年は何か有ると赤い衣装を着たのかも。 次は「喜屋武の長者の大主(きゃんのちょうじゃのうーすー)」という、組踊りの形をとった奉納芸能 である。120歳という長寿の「長者の大主」が五穀豊穣や村の繁栄を祈願して、子供や孫たちの踊りを 神に奉納するという内容のようだ。これは上演時間が少し長いので、今回はこの2曲だけだった。

最初下手で見ていたが、これは上手の方が良いので場所を移動して写真を撮った。短いが入れ替わり 立ち代わり、各世代が踊るが、曾孫世代では5人の少年が出てきて踊ったが、やはり先程と同じ様な 赤い衣装を着ていた。この少年たちは小学校高学年くらいだろう。最後に出て来て踊ったのは元服が 終わった若衆の世代のようだが、これは中学生くらいの男の子が踊っていた。どの踊りを見ていても なかなか興味が有り、本当は毎日出し物が違うので、元旦や2日目も見たかったのだ。 踊りが終わったので、広場の隅で行われている、振る舞いの甘酒とサンピン茶をもらうことにした。 自分は甘酒をもらったが、もう少し量が有り、温かいともっと美味しかったのに〜。女房と義姉は チャッカリ両方もらって飲んでいた(タダの物は何でも見逃さないのがこの姉妹なのだ (^^;)。

 長くなると草臥れるので、そろそろ引き上げる  事にしたが、同じ道を戻り、「木曳門」を出ると  右側のメインストリートへ出て、「守礼の門」を  通った。相変わらずここでは記念写真を撮って  いる人が多い。昔からそうだったが、ここには  民族衣装を着たモデルの若い女性が数人いて、  観光客と一緒に記念写真を撮っていた。  途中で1回休んで、入口まで行くと、入口で  タクシーが来るまで少し待った。しばらく待ち  タクシーがやって来たので、14時30分に乗って  首里城入口を出る。正月で通常の道路はとても  込んでいるので、運転手さんは裏道を通って  行きたいというので、そうすることにした。 このコースは少し遠回りに成るが、今まで通った事のない初めての道を走るので景色が新鮮である。 丘を降り切っても、街中の細い路地を走り、何時もの表通りへ出て、14時46分にホテルの前へ着く。 一旦部屋へ戻ると、自分は直ぐに買物をしに、16時49分にホテルを出る。何時ものスーパーへ行って 夕食になる物を買い込んだ。17時10分にホテルへ戻ると、17時28分から風呂に入ったが、お湯の 温度は38℃くらいと、まるで水の様に感じて冷たかった。これでは幾ら入っても体は温まらないので いい加減な処で湯船から出て、熱いシャワーを浴びて体を温める。部屋に戻り、19時40分から洗濯を 始めた。洗濯が終わると、何時もの様にベッドで横になりテレビを見て、23時54分に消灯する。 2011年1月4日(水) 雨後曇時々小雨  市場へ最後の買物に。 熟睡しており7時34分に起床する。2人も起きたので、8時48分に食堂へ行って朝食をとる。本日は 殆ど回復しているが、やはり少し用心して、お粥、梅干、味噌汁、牛蒡の煮物、春雨サラダ、そして フルーツ・サラダを食べた。2人はもう正常にシッカリ食べていた。さすがに今日くらいになると、 宿泊客が減ってきており、食堂は空いていた。みんな昨日のうちに自宅へ帰って行ったのだろう。 朝のうちは雨が降っていたが、部屋へ戻ったころには止んでいた。しかし、時々小雨が降っていた。 これでは今日も籠城かと思っていたが、午後になると雨が止み空が明るくなってきた。女房は市場へ 行った事がないので、3人で市場へ行ってみる事にし、15時06分にホテルを出る。何時もの道を歩き 「国際通り」を歩いたが、2人はアチラコチラで引っかかって前へ進まず、立ち止まって待っていた。

街中などを歩いていると、道の交わる所、分岐する所などに「石敢當(いしがんとう)」と書かれた石が 置かれているのを良く見かけるがこれは琉球の古くからの慣わしである。中国の陰陽道ではT字路や 三叉路の突き当たりには怨霊や悪霊、邪鬼などがおり、通行人や住人に災いをなすと言われている。 この考えの発祥の地は、中国の福建省と言われ、この「石敢當」は台湾やシンガポール、ミャンマー等 中国文化の影響している国にも有るという。日本では鹿児島県や沖縄県に多く有り、特に沖縄本島に 多く有るという。関西や関東などに有る物は、沖縄の人が移住して作った物が殆どだという。 災いを避けるため、この石碑をその様な場所に立てていると言われている。「石敢當」とは後漢時代の 武将の名前とか、強い力士の名前という説が有り、その名前を書いておくと、邪鬼や怨霊などが 恐れて退散すると考えられ、その文字が、そのような場所に書かれているのだ。石は大小さまざまな 形と大きさが有ったので、探してみると面白いだろう(壁にペンキで書かれている簡単な物も有る)。

「国際通り」を歩き「てんぶす那覇」の広場へ出た。この「てんぶす」とは「中心」とか「真ん中」といういう 意味が有り、ここが那覇の中心と言うか、国際通りの中心だという。少し行くと左手に「市場通り」の 入口が現れ、さっそく市場通りへ入る事にした。今日はお土産を買う事にしており、何が良いか探し ながら歩いた。買う物は決まっていたが、どうでも良い「ちんすこう」はともかく「ミミガー」が持って 帰れないか聞いたら、駄目だというのでこれは諦め、乾燥させたミミガーの珍味を買うことにする。 或る大きなお菓子屋さんで、沖縄菓子を3種類買ってみた。沖縄のお菓子は昔に比べて種類が多く 成っているが、昔からの郷土菓子も残っている。お土産の次の狙いはランチョン・ミートである。 以前から沖縄土産と言えばレンガの様なブロックの黒砂糖とランチョン・ミートだった。今では、 本土でもランチョン・ミートは当たり前に目にするが、昔は本土ではなかなか見かけなかった物だ。 或る小さなスーパーで、安く売っていたので、持てる範囲で買い込み、これで土産が全て揃った。 「かりゆし通り」の入口には、手作りのお惣菜やご飯、お寿司(海苔巻や稲荷寿司)等を売っている店が 有り、ここで今夜の食料品を全て買うことにした(コンニャクと昆布の煮物がとても美味しかった)。

女房は知らないので、取り合えず「農連中央市場」まで行って引き返すことにした。この付近の八百屋 では、島ニンジンやカーサ(げっとうの葉)が目を引いた。この島ニンジンは、どんな料理に使うのか 分らない。代表的なニンジンシリシリは普通の赤いニンジンを使っており、これは使っていない。

そろそろ戻ることにして、市場通りの並びと、平和通りの並びを結ぶ幅の広いアーケード街へ出て 平和通りへ向かって歩いて行くと、右手の或る角に在ったビルにゲストハウスの看板が出ていた。 この宿は鹿児島にあるゲストハウスと同じ経営で、看板の書き方まで鹿児島とまったく同じである。 鹿児島にあるゲストハウスのドミトリーは1500円だったが、那覇は1200円と安い。全体的にみても 沖縄、特に那覇のゲストハウスは料金がとても安い。鹿児島の「リトルアジア」は2回泊っているが、 ゲストハウス・マニアとしては、何時か那覇のこのゲストハウスにも泊まってみたいものである。

平和通りへ入り、ブラブラと店を見ながら歩いて行くと、左手に古本屋みたいな、余りパッとしない 店があったが、そこに出ている看板を見るとどうやらその店の2階がゲストハウスに成っている様で 女性をメインにしているのか、女性専用のゲストハウスの様だった。値段は那覇のゲストハウスの 安い方のクラスの値段だった。気を付けて見ていると、那覇には結構小さなゲストハウスが多い。 二股の所へ行くと、何時もだと、履物屋の横に、小さな台を置き、餅などを並べている露店が有る のだが、1月4日まで休みだと紙が張ってあった。この店は、工場は別の所にあり、ここで製品を 並べて売っているのだが、地元の人にとても人気の有るお店で、お客がよく来ており賑わっていた。 全ての買い物を終え、平和通りを通り抜けて国際通りへ出る。夕暮れが近づいたので気温も下がり 少し肌寒くなってきた。17時56分にホテルへ戻ると、一休みして、18時30分から風呂に入る。お湯の 温度は41℃くらいと適温だったのでユックリと浸かっていたが、相変わらず入ってくる人がいない。 部屋へ戻ると。買って来た物で夕食をとる。夜はテレビを見ていたが、23時50分に消灯する。 今回は何時もの旅とは違い、まったくパソコンをしていない。普通だったら夜はデータの打ち込みや メモなどを打ち込んで過ごすのだが、今回はやっていないので、帰ってからが大変だろう (-_-; 2011年1月5日(木) 曇  那覇空港は帰宅ラッシュ。 完全に回復をしているので熟睡していた。7時21分に起床すると、今日は少し早めに、8時05分には 食堂へ行って朝食をとった。これがホテルで食べる最後の朝食だが、本日は、お粥、梅干、味噌汁、 スクランブル・エッグ、豆腐、大根の煮物、マカロニ・サラダ、ゆし豆腐と真面目に食べていた。 部屋へ戻ると荷造りに取り掛かり、荷造りが終わるとベッドで横になって少し休んでいた。時間に 成ったのでフロントへ降り、9時58分にチェック・アウトをしてホテルを出る。何時もの道を通り、 10時09分にモノレールの牧志駅へ着く。エレベーターで改札口まで行き、空港までの乗車券を買う。

ホームへ上がると空港へ行く旅行者が数人いたが、今日も帰宅する人が多いようだ。ホームで列車の 来るのをしばらく待っていたら、列車がやって来た。日中は10分に1本走っているので、少し待って いると列車はやって来る。列車は結構込んでおり、立っている人が多かった。途中からも結構乗って 来たので、かなり込んで来た。小さな車両が2両だけでは少し無理な様で、込む時間帯やシーズンは 編成車両を増やす必要が有るだろう。モノレールへ乗り込み、10時21分に牧志駅を出る。 10時38分に那覇空港駅へ着いたが、義姉がいるので、皆がホームから降りてしまい、最後に降りる ことにして、しばらくホームに居たのでモノレールの写真を撮った。2人もモノレールの前で記念 写真を撮るというので撮ってあげる。皆が降りて、最後に改札口へ降り、ターミナルビルへ行く。 とりあえず3階の搭乗手続きカウンターへ行き、10時57分にチェックインをする。チェックインは 機械なので簡単に、短時間に出来るので良いのだが、荷物を預ける所は何所も延々と並んでいる。 ホテルを出るのが早かったと思っていたが、早く出てきて良かったと思った。年末年始やお盆前後、 ゴールデン・ウイークは絶対に早めに空港へ行き、出発ゲートまで行ってからノンビリすべきだ。 11時21分にようやく荷物を預けたが、この時に羽田空港で車椅子の用意をしてもらうように頼んだ。 直ぐに2階の出発フロアーへ行き、11時32分にセキュリティ・チエックを受けたが、こここでひとつ 引っかかった。手持ちのリュックに四角い電子機器が入っているというのだ。それは旅行用の電気鍋 なのだが、これが引っかかったのは、国内海外を通じて、ここが初めてのことだった。 X線で監視していた係員はX線を通してそれを見て、それが何なのか分らなかったのだ。鍋を開けた 別の係の女の子も、これが何か分らずに不思議そうな顔をして調べていたが、もう1回X線を通すと 言った。すると監視員は実物を見て通さなくても良いと女の子に言っていた。海外旅行用品を売って いる店だったら大抵置いている、代表的な海外旅行用品のこの電気鍋を知らないとは、勉強不足も 甚だしい。或る物体を、X線で見たらどの様に見えるかという勉強をしているのかどうか疑わしい。 セキュリティを通り出発ロビーへ行き、11時37分に35番ゲートへ行ったが、近くの椅子に座って待つ ことにした。そろそろ搭乗時間が近付いたので2人はトイレへ行き、12時31分に飛行機へ乗り込む。 座席は23番のABCで、ここは主翼の少し前だったので景色が見られる。しばらく待っていたが、 12時50分に飛行機がゲートから動き出した。滑走路へ入ると、13時03分に那覇空港を離陸する。 朝からドンヨリと曇っており、搭乗した頃は雨が降っていたくらいだ。冬の沖縄は雨季の様で晴れた 天気の良い日は余り無いようだ。天気は良くないが飛び立った頃は下界が見えていた。高度を上げて 水平飛行に成るとドリンク・サービスが始まり、13時28分にアップル・ジュースをもらって飲む。 2人はジュースとお茶をもらい、持ってきた海苔巻やお菓子などを食べていた。景色も見えないし、 少し寝ようと思っていたけれど、夜はグッスリと良く寝ているので、まったく眠れなかった。

九州や四国付近は天気が悪かったが、関東地方が近付くに連れて天気が良くなってきた。冬の沖縄は 天気が悪いが、関東平野は好天である。窓から外を見ると富士山が見えていた。これだけ全体の姿が 見える事はそんなに無いだろう。東京が近付くと高度を下げて行くが、下界がマスマス良く見える。 14時46分に羽田空港へ着陸する。飛行機が停止したのは、ターミナルビルのゲートではなく、バスで ターミナルビルへ行く事に成っていた。15時06分に飛行機より降りたが、車椅子を頼んだ我々と、 1人旅をしている2人の子供(たぶん小学校3〜4年生の男の子と女の子)が最後のバスに乗り込み、 ターミナルビルへ行った。ここで係の男性が車椅子を持って来て、荷物を受け取る所まで案内して くれた。ここでシルバー・カーを受け取ればもう車椅子はいらないので、車椅子は返す事にする。 やはりシルバー・カーは直ぐに出て来たが、スーツケースは遅かった。15時29分に荷物を受け取る。 京浜急行の乗場へ行くと、ホームには品川方面へ行く列車が入っていたので乗りこみ、15時49分に 羽田空港駅を出る。16時07分に品川駅へ着いたが、ここはJRへ乗り換えるのが結構複雑で、行きも 帰りも簡単に乗り換えられる様にしてもらいたいものだ。16時19分にJRへ乗換えて品川駅を出る。 まだラッシュアワーには入っていないので適当に座れた。乗り換えて最寄駅へ着いたのは、17時27分 だった。駅前からタクシーへ乗り、17時42分に義姉のホームへ着く。一休みすると義姉は夕食なので 食堂へ行ったが、女房と自分はスーツケースの荷物の仕分けをして、自分は一足早く帰る事にする。 18時10分に義姉のホームを出る。ホームに置いておいた自転車へ乗って、18時21分に帰宅したが、 家には誰も居なかった。関東平野は、天気は良いが、気温が低くて沖縄とはかなり違う。これから又 この寒さに慣れていかないと駄目だ。今回はいろいろ有ったが、沖縄はやはり暖かいので、避寒には かなり良い所だから、これからも何度か出かけることに成るだろう。

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