ワット・プー遺跡




「ワット・プー」の正式な名前は「プラーサート・ワット・プー」で、ラオスのチャンパーサック県に
在るクメール遺跡の一つです。6世紀頃には、チャンパーサック県の地域にはある程度の土着文明や
宗教が有ったと思われます。10世紀頃になるとこの地域へクメール人の進出が本格化し始めました。

11世紀頃には、この地にクメール人に寄り「プラーサート(城)」が建設されましたが、プラーサートは
当時のクメール人の宗教であった、ヒンドゥー教をコンセプトにして作られていたのでしょう。
ラーンサーン王国時代にラーオ族の勢力がここを占拠すると、ここの城が神聖視され、城から新たに
「ワット(寺)」として位置づけられました。因みに「プー」とは山の事で、「ワット・プー」とは「山寺」と
いう意味になり、「プラーサート・ワット・プー」は「山城に在るお寺」ということに成るのでしょう。

しかし、13世紀頃からタイ・ラーオ系民族がこの地に南下し始めます。ラーオ族がこの地を占拠する
頃には、上座部仏教が浸透していたため、殆どのヒンズー教寺院は上座部仏教寺院として利用する
様になりました。「ワット・プー」も、元々は城であり、中にヒンドゥー教の寺院が在りましたので、
仏教徒であったラーオ族により、祠堂の中に仏像を安置し仏教寺院として使われる様に成りました。

かつてヒンズー教寺院だった祠堂内部には、本来のヒンズー教の飾りと、仏像が混在しており、少々
奇妙な感じに成っています(アンコール・ワットでも同じ様に、建物の内部に仏像を安置していた)。
この「ワット・プー」は、今も仏教寺院としてラオスの人々の信仰を集めており、参拝者がおります。

「ワット・プー」は、ラオスとしてはルアンパバンに次いで、2001年にユネスコ世界遺産の文化遺産に
「チャンパーサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」として登録されました。

遺跡の近くに在る町はチャンパーサックです。昔は大きな町で繁栄しておりましたが、今では小さな
町です。しかしホテルやゲストハウス、食堂などが一通り有り、旅行者はさほど不便は感じません。

この町に泊まる人は少なく、殆どの人は最寄の大きな町であり、タイと繋がる国境の町パークセーに
泊まり、パークセーから路線バスを利用してチャンパーサックまで入るか、タクシーをチャーター
して、日帰りで見学をしています。路線バスでチャンパーサックまで来ても、遺跡までは約10q有り
チャンパーサック町と遺跡の間には、定期的に運行されている公共交通機関は無く、トゥクトゥクを
チャーターするか、レンタサイクルやレンタバイク等を借りて行かなければ成りません。




     丘の裾野に在る南バライ          暁のテラスとバライへ降りる階段  ラオス南部、タイとカンボジアの国境付近に位置するチャンパーサックという町は、5〜15世紀に  かけて繁栄した町です。この町から約10q行った所に在る「ワット・プー」は、クメール人によって  築かれたヒンドゥー教の寺院でしたが、現在は仏教寺院としてラオス人の信仰を集めています。  寺院の入口から本殿の方に向かって、2つの大きなバライ(溜池)が造られていますが、この構造は  アンコール遺跡と同じです。南側のバライの本殿側には「暁のテラス」と呼ばれている石垣で出来た  テラスがありますが、このテラスは祭事を行う場所でした。バライは宗教的な意味も有りますが、  これは灌漑用水としての役割が主だったようで、乾季でもこの溜池は干上がらないといいます。

      修復されていた参道             プー・カオ山と北宮殿  「暁のテラス」の中央から本殿に向かって、石で舗装されて参道が伸びていますが、この参道には、  リンガ(男根)をかたどった、灯籠のような物が飾られています。これはクメール様式のヒンズー教  寺院にはよくある物です。参道は発掘して敷石を整備してあるようでした。  ワット・プーは丘の麓に位置していますが、後方には「プー・カオ」という山がそびえています。  頂上はその形のために、人の注目を集め、古代にはシヴァ神の聖なるシンボル、リンガと同一視  されていたため、古代には「リンガ・パルヴァータ」と呼ばれ、聖なる丘と信じられていました。  参道が終わると右手には大回廊の「北の宮殿」が、左手には「南の宮殿」が在ります。この二つは一見  シンメトリーな造りに見えますが、細部やレリーフなどが違っております。これらふたつの建物は  11世紀の初め頃に造られた建造物だといわれております。

    原っぱに放置されているヨニ          原っぱに放置されていた彫像  大回廊を過ぎると参道に続く「歩廊」が在ります。参道と違って両側は壁に成っていたようで、  廊下の様な感じに成っていたのでしょう。「歩廊」の左外側には「ナンディンの神殿」が在ります。  この小さな「ナンディンの神殿」はアンコール・ワットへと続く古道の基点に成っているそうで、  この寺とアンコール・ワットとは、かつては繋がっており行き来がされていたと思われています。  「歩廊」の突き当りには「十字型テラス」への崩壊した階段があり、この付近の草原にはヨニや大きな  人間の形をした石像が倒れて半分埋もれていました。この石像は守門像(日本寺院にある仁王門の  仁王様のような、寺院の守護神)なのでしょう。まったく手付かずの状態で放置されていました。

      崩壊した十字型テラス         十字型テラスから続く階段状の参道  崩壊した階段を迂回して「十字型テラス」へ上ると、このテラスは原型を殆ど留めていないほどに  崩壊していましたが、ナーガの手摺など部材はかなり残っているので、修復は出来るでしょう。  この「十字型テラス」に続いて「楼門跡」がありますが、基礎部分しか残っていません。ここの右側に  一体だけ守門像が残っており、花や供物が捧げられていましたので、信仰の対象に成っています。  「楼門跡」から「ストゥーパのテラス」へは、階段状に薄い石が敷かれた参道が続いております。

      ストゥーパのテラス             本殿の階段ピラミッド  階段状の参道の終わりには「ストゥーパのテラス」が在ります。かつては横一列にストゥーパが  並べられていたのでしょうが、今はテラスの台座もストゥーパもその痕跡を留めているだけです。  ここから本殿の在る階段状ピラミッドに成りますが、これはアンコール遺跡の神殿に良く見られる  構造に成っています。ここは7段に成っていて、1段に付き11段の階段が付けられていており、  合計で77段の急な階段が有ります。階段の両側には、かつては彫刻が飾られていたと思われます。

      主祠堂(本殿)の正面              主祠堂の横の入口  階段を上りきると切り開かれた本殿の在る境内へ着きます。正面に建っているのが主祠堂ですが、  それほど大きな建物ではありません。東側を向いた正面には三つの入口があり、この他に南北に  ふたつの入口があります(三方から出入できる構造はヒンズー教寺院に多い)。この祠堂の奥の古い  部分は7世紀頃に造られた様で、チャム様式です。拡張され本殿全体が今の様な形に成ったのは、  12世紀頃で、新しく増設された部分はクメール様式で造られています。

       破風のレリーフ(1)             破風のレリーフ(2)   主祠堂の外壁や破風には多くのレリーフが彫られておりますが、その中心はヒンズー教の神々で、  なかなか手の込んだ素晴らしい作品で、綺麗に残っています。本堂の奥の部屋にはシバリンガや  ヨニが置かれており、建物中央の部屋にはチャンパーサック王朝時代に収められた仏像が置かれて  いました。ヒンズー教と仏教が混在している寺院は東南アジアには多々有ります。

    本殿の前庭から見たバライと参道         主祠堂の裏側にある泉  本殿の在る広場はとても良い展望台に成っており、下の方を見ますとバライからこの主祠堂までの  「ワット・プー」の建造物の配置が一望できます。そして遠くには、メコン川やポーラウェン高原の  丘陵が見渡せます。ここで景色を眺めながら休んでいると、上ってきた疲れが癒されます。  主祠堂の裏側は大きな岩の崖に成っていますが、この付近にも幾つかのレリーフが残されており、  岩の下からは湧き水が出ています。当時はこの泉の水がトヨで引かれて、主祠堂のヨニに注がれて  いたようです。またこの泉は、ここに住む神官たちの飲料水にも成っていたのでしょう。主祠堂の  北側(右手)の広場には建物が建てられていた様で、そこが神官たちの居住区だったようです。

 主祠堂の在る広場の、北の端へ  行くと、大きな岩に彫られた象と  蛇とワニのレリーフがあります。  これらの岩の彫刻はヒンズー教が  入って来るよりもかなり前の、  異文明のもので、その土着文明が  作った作品と思われます。  蛇は長く伸びても無く、トグロを  巻いているわけでもなく、何故か  折り畳んだ状態に成っています。  ワニの岩には人が納まるような  形の窪みがあり、ここでは神へ、  人間が生贄にされていたのでは  ないかと推測されております。    大岩に彫られた象      折りたたまれた蛇の像

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