アヴィニョン歴史地区



  アヴィニョンは南フランスのプロヴァンス地方に在る歴史ある町です。ここはローマ帝国の
  一都市として造られ栄えました。一時期サラセン人の支配を受けていますが、アルビジョワ
  十字軍の敗退までは独立小都市として、フランス王国にも属していませんでした。

  この町を世界的に有名にしたのは、一時期ここに法王庁が置かれたという事です。それは
  1304年にボルドーの大司教だったベルトラン・ド・ゴーが、フランス王フィリップ4世の
  圧力により第196代法王クレメンス5世とさせられて、さらに1309年にはヴァチカンから
  このアヴィニョンへ移された(イタリア人は幽閉という)事により始まりました。

  1377年のグレゴリウス11世まで、7代の法王がアヴィニョンに居ましたが、この7人の
  法王は全てフランス人という当時としては異例な事です。この時代は教会が免罪符などを
  発行しおり、カトリックが一番堕落していた時代でした。1378年からはアヴィニョンと
  ヴァチカンの両方に2人の法王がいるという状態になり1417年までこの状態が続きました。

  この町は街壁(これはほぼ完璧に残っている)に囲まれた中世の町の形態を残しております。
  街壁内に在る民家には、中世から近世へ掛けての古い建物は殆ど残っていませんが、
  古い町の雰囲気は味わえます。この町は1995年に世界文化遺産に登録されました。

  アヴィニョンへはパリのリヨン駅から超特急のTGVに乗り約2時間40分で行けますので、
  これが一番早くて簡単に行く方法です。時間を掛けニース方面からエクス・プロヴァンス、
  マルセーユ、アルル地方とローカル・バスを乗り継いで、プロヴァンス各地を見物しながら
  やって来るのも良いでしょう。この地方はフランスの中では暖かい土地なので、真冬でも
  パリなどとは違い、それ程ひどい冷え込みには成りませんので旅行は可能です。



 街壁の見張り塔

 この町の街壁は高さが低いく、壁の
 様に薄く出来ており、篭城に適した
 実戦的な街壁とはいえません。

 その為に多くの塔が建てられており
 そこが見張りや応戦する場所と
 成っておりますが、やはり壁が薄く
 大砲時代には対応しておりません。

 殆どの塔の内側は壊されており、
 この様な姿が眺められます。お陰で
 塔の内部構造や造り方が解ります。
 階段を壁と一体化して作るのは
 当時の石積み建物の特徴です。




 アヴィニョンの町並み

 町の正門を入るとプラタナスの
 並木道のメインストリート
 「ジャン・ジョーレ通り」があり、
 途中で「レビュブリック通り」と
 名前を変えて「ロルロージュ広場」
 から「パレ広場」まで続いています。

 「ロルロージュ広場」に面した
 目を引く大きな2つの建物が
 市役所と劇場です(旅日記に掲載)。
 この広場を過ぎて少し行きますと
 法王庁前の広場に出ます。





 要塞のような法王庁

 当時のキリスト教の高官達は
 封建領主とまったく同じで、多くの
 領土や財産を持っていましたので、
 敵も多く、大司教達は私兵を持ち、
 城壁を張り巡らした町に住み、
 要塞の様な建物に住んでいました。

 この法王庁の或る一室の床下には
 法王が財宝を隠して置いたという、
 隠し倉庫が有るほどです (ーー゛

 この法王庁に有った全ての備品は
 フランス大革命の時に民衆に奪われ
 現在は何も残っていません。





 ノートル・ダム・デ・ドン大聖堂

 法王庁の隣に立っている建物がノートル・ダム
 (聖母マリア)の為の大聖堂(教会と言わず大聖堂
 というのは大司教が司祭を勤める教会だから)です。

 カトリックにはマリア信仰が強く、フランスは
 何処の町へ行っても必ず「ノートル・ダム寺院」が
 あります。「ノートル・ダム寺院」というのは
 「聖母教会」という意味で、特にパリに在る
 「ノートル・ダム寺院」が有名ですが、
 この名称は教会の固有名詞ではありません。

 聖母信仰はイタリア、スペイン、ポルトガルに多く
 カトリックの影響の強い中南米にも多いです。

 屋根の上のマリア像を安っぽい金ピカに塗ったのは
 最近の事だそうです。まったくも〜 (ーー゛




 法王庁の中庭で見た扉

 法王庁は旧宮殿と新宮殿から成り立って
 いますが、全体的な構造はロの字型に
 成っており広い中庭が在ります。

 その中庭に有った、とても古い木の扉が
 すっかり気に入りました。
 この扉はおそらく数百年は経っている
 オリジナルな物と思われます。
 おそらく中世の頃にも同じ様な構造の
 扉が取り付けられていたと思います。

 大戸の下に小さな潜戸が付けられて
 いるのは、日本の江戸時代の城門や
 武家屋敷、御店などの大戸と同じです。








 中庭に面した法王庁の窓

 同じ中庭から周囲を眺めますと、四周は
 垂直の高い壁に囲まれ、まるで谷底に
 居る様な感じです。中庭に進入して来た
 外敵の攻撃から守るように出来ており、
 ここでもこの建物は「要塞だ!」という
 実感が有ります。

 建物の壁を見ますと窓が見えますが、
 この窓枠のさんが十字架に成っており、
 いかにも宗教関係の建物という感じが
 しますが、この窓枠は新しいもので、
 創建当時はガラス窓は無かったので、
 木の扉が付けられていたと思われます。

 壁の所々に作られている換気用の
 細い通風孔も十字架の形になっており、
 ここにもこだわりが感じられます。




 サン・ベネゼ橋

 ローヌ川に掛かる優美な姿の
 この橋は、12世紀に羊飼いの
 ベネゼが神のお告げを聞いて
 造り始められたと言います。

 最初は22あったというアーチは、
 今では4つしか残っていません。

 有名な歌の文句にある踊りは、
 実際は橋の上でなく、河川敷で
 踊られていたと言われています。




 サン・ベネゼ橋から市内へ

 この橋を渡って町の中へ入る
 入口には、跳ね橋が作られ、
 外敵の侵入を阻んでおり、
 街を守るようになっています。

 橋から町へ入る物見の塔の、
 裏側に在る小高い丘の上には
 この町の城砦があります。

 ローヌ川が洪水で氾濫しますと
 この街壁付近は水浸しに成り、
 交通が麻痺したりします。




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