
マラッカ・スルタン・パレス 御前会議のジオラマ
町の中央の、「サンチャゴ砦」の在る丘の裾に建っている大きな建物が、マラッカ国王の住んでいた
「マラッカ・スルタン・パレス」を復元した建物です。それは木造2階建ての横に長い建物です。
1396年に建国されたマラッカ王国のシンボルとして、初代国王のパラメスワラが建立した宮殿で、
建設された当時は、マラッカ港を見下ろす西側丘陵(セントポール・ヒル)の中腹にありましたが、
1511年にマラッカを侵攻、占領したポルトガル軍によって王宮は焼き払われてしまいました。
建物の中央に在る玄関から宮殿へ入ると、建物の前と後に長い廊下があり、真中が幾つかの部屋に
分かれており、前方の廊下には幾つかのバルコニー状の部屋が造られていました。左手の奥の方に
大きな部屋があり、ここは国王が政務をとったり、謁見をしたり、貴族や武将などと会議をする
大広間のようで、何かの御前会議をしている様子の、等身大のジオラマが作られていました。

ファモサ要塞(サンチャゴ砦)跡 サンチャゴ砦の門
マラッカの町の中央に小さな丘があります。この丘は自然の要塞なので、ここには要塞が造られ、
「ファモサ要塞(別名サンチャゴ砦)」と呼ばれています。ジョージ・タウンの「コーンウォリス要塞」
同様に、高くて堅固な城壁は持っていなかった様で、高さ約5mの壁が この丘の周囲を囲んで
いました。ポルトガル軍が建造した当時は、城内に出入りする通用門として、4ヶ所に門が設置
されました。「サンチャゴ砦」はその4つの門のうち現存するたった一つの門です。
この要塞は、1511年にマラッカ王朝を駆逐して植民地経営に乗り出したポルトガルによって建造
されたもので、シンプルだが堅牢で、中世ヨーロッパの築城技術を伝えている貴重な建造物です。
後にマラッカを征服したオランダ東インド会社もポルトガルに引き続きこの要塞を使用しました。

セント・ポール教会の在る丘 セント・ポール教会の中
スタダイスの裏手にある丘を登ると、古い廃墟が見えてきますが、これは1521年にポルトガル軍に
より、キリスト教布教の拠点として建設された「セント・ポール教会」です。その後、改築改修を
繰り返し、現在でもその姿を留めています。ここには日本へ布教に来たフランシスコ・ザビエルも
滞在していました。 それで山頂には、フランシスコ・ザビエルの像が建っています。
フランシスコ・ザビエルは、このセント・ポール教会で知り合った、日本人で鹿児島の武士だった
というアンジロウ(ヤジローともいわれる)と共に、1549年にマラッカから日本へ向かいました。
日本での布教を終えると、いったんマラッカに戻ったザビエルは、中国への布教を計画しました。
しかし、1552年12月に46歳で、中国で病死しました(彼は死後聖人となった)。ザビエルの遺体は、
インドのゴアへ移送する途中9ヶ月の間、マラッカの教会に安置されておりました。

スタダイスと広場の噴水と時計塔 オランダ広場
「スタダイス」とはオランダ語で議事堂とか市役所という意味があります。1641年にポルトガルから
支配権を奪ったオランダが、1650年に完成させた建物です。スタダイスはマラッカを植民地として
占領統括したオランダが行政をする役所、およびオランダ総督公邸として、18世紀まで利用して
いました。現在は歴史博物館となって公開されております。
「スタダイス」の前に広がっている所が「オランダ広場」です。ここには余り高くない時計塔が建って
いますが、この時計塔は、1886年に中国系の或る富豪が建設したものです。ここの噴水は1904年に
ビクトリア女王の即位60周年を記念で作られたものだそうです。この広場の北側奥に在る教会が
「ムラカ・キリスト教会」です。この「オランダ広場」はマラッカ旧市街の中心となる場所です。

聖フランシスコ・ザビエル教会は
ザビエルの偉業を称えて1849年に
ポルトガル人の子孫たちが中心と
なって建設された教会です。
この教会の建てられた場所は、
1553年にキリスト教ドミニコ会の
ギャスパー・デ・クルーズ神父の
建設した聖母マリア・ロザリオ
修道院の跡地が選ばれました。
ザビエル像の横に立っている男は、
日本人従者の“やじろう”という
人物で、彼はザビエルの日本での
布教の手伝いをしていました。
聖フランシスコ・ザビエル教会 やじろうとザビエルの像

中国人街の町並み(ロック通り) ジョンカー通り
「ハン・ジュパツ通り(ジョンカー通り)」とその1本南側の「トゥン・タン・チェン・ロック通り」を
中心として中国人街が形成されております。この通りには、中国人街では定番の寺院や中華会館、
商家などの古い建物が軒を連ねており、ブラブラと一軒ずつ見て行くと飽きないものです。

チェン・フン・テン寺院(青雲亭)の門 青雲亭の本堂
「チェン・フン・テン寺院(青雲亭)」はマラッカのチャイナ・タウンにある最大の中国寺院にして、
マレー半島で最古の寺院とも言われております。建立されたのは1646年と古く、寺院の建設資材は
中国本土から運ばれたそうです。当時のマラッカには多くの中国人が住み、その中国商人たちは、
かなりの財力が有ったことが分かります。参拝者は多くて、人の途切れる事が有りませんでした。

カンポン・クリン・モスクのミナレット モスクの本堂
「カンポン・クリン・モスク」はマレーシア最古のモスクで1748年に建築されたと言われています。
このモスクは、スマトラ島の初期モスク建築様式で、屋根が三層の瓦葺の木造建築です。モスクの
説教台の木部にはインドと中国の影響を受けた彫刻が施されており、壁は英国製とポルトガル製の
タイルが使われています。「青雲亭」と違って、信者や観光客を殆ど見かけませんでした。入場料
などはとられませんが、異教徒がモスク本殿へ入る時は、管理者に許可を取る必要があります。

スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院 ヒンズー寺院の隣の「福徳祠」
この「スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ寺院」は、1781年に創建されたヒンズー教の寺院で、
「ヴィナガヤ神」を祭る寺院です。塔門は形だけで薄い物でしたし、飾りの彫刻類も少なく質素で、
この町におけるインド人の勢力が伺えるものです。ヒンズー教寺院も普通異教徒は入れませんが、
入れる所も有りますので確認しましょう。この通りには、道教の「青雲亭」や他の幾つかの寺院と、
イスラム寺院、そしてこのヒンズー教寺院などが軒を連ねており、各宗教、各民族が平和に混在
しているので、この通りは通称「ハーモニー・ストリート」と呼ばれています。