ヒエラポリスとパムッカレ(前編)



  この世界遺産は「ヒエラポリスとパムッカレ」となっていますが、世界遺産としての価値は
  殆どヒエラポリスの遺跡に有ります。この町は紀元前190年に建設が始まった殖民都市で、
  ペルガモン王のエウメネス2世によって建設されました。この時代の殖民都市としては
  かなり内陸部に在り、その点から見ても珍しいものです。

  この都市はヘレニズム時代からローマ時代、ビザンティン時代を通し、温泉保養地として
  繁栄していました。しかしセルジューク朝によって、この町は滅ぼされてしまいました。
  「ヒエラポリス」とは「聖なる都市」という意味です。

  都市を囲む城壁の内には劇場、神殿、アゴラ、市場、浴場、住居などの跡が残っており、
  1887年よりドイツの研究チームにより、本格的な発掘が始められ、現在も引き続き
  ドイツとイタリアの考古学研究チームによって、発掘調査が進められています。

  「パムッカレ」とは「綿の城塞」という意味が有ります。白い石灰を綿の花に見たのでしょう。
  ここはトルコ随一の温泉保養地としてローマ時代から現代に至るまで使用されていますが、
  パムッカレの温泉は石灰成分を含み、温度も35℃と低くて、生ぬるいものです。

  この温泉水が高度差約100mの崖を流れ落ち、長い時間を掛けて石灰の棚田を作りました。
  この景観は幻想的なものですが、その規模は思っていたよりも、大きな物では有りません。
  しかも温泉が枯れてきたのと、棚田の形状を保護する為に、温泉水を止めてしまったので、
  真っ白に輝き、かつてのブルーの水と白い棚の美しいコントラスは見られなくなりました。



 ヒエラポリスの城壁。

 この町は城壁で囲まれていますが、
 この谷間に在る城壁は初期の物ではなく、
 後に拡張された城壁です。

 この写真はパムッカレの川を挟んで南側に在る
 丘陵の頂上から撮ったものですが、
 ここからはパムッカレや周囲の村、石灰棚、
 ヒエラポリス遺跡の全貌が眺められる、
 とても良い展望台になっていますが、
 ここへ来る観光客は99.9%いないでしょう。

 頂上は足の踏み場も無いほどのお花畑で、
 紅いケシと黄色のナノハナを中心に
 多くの花が咲き乱れていました。




 聖フィリッポ教会。

 このマルティリウムは城壁の外の
 1番上に在り、都市が完成した
 かなり後に造られたものです。

 この八角形の聖堂はなかなか大きく
 紀元80年にこの地で殉教した
 使徒フィリッポとその息子の墓で、
 5世紀頃にこの聖人を祭るために
 造られたものです。





 ネクロポリスの石室。

 城壁の外側はネクロポリスになっており、
 残された墓の数は1000前後在ると言われ、
 広範囲に分散しています。

 古代の共同墓地としてはトルコで最大の
 規模を誇っています。この墓地は長期間
 使用されており、ヘレニズム様式から
 ビザンツ様式まで、さまざまあり、
 石室や石棺の大きさや作りも、
 埋葬者の力に応じて色々有りました。




 客席上部から見た円形劇場。

 この劇場は非常に保存状態が良く、
 今まで見た中でも傑出しています。

 このローマ劇場は紀元前2世紀頃に
 ハドリアヌス帝により造られました。
 丘陵の斜面を上手に利用しており、
 観客の入退場がスムースに
 運ぶように設計されています。

 収容人員は15,000〜20,000人といい、
 最上段に座ると、かなりの高さと
 傾斜を持っています。




 崩壊しているアポロ神殿。

 温水プールの裏側、円形劇場の
 手前にあるのが、アポロ神殿です。
 ギリシャやローマが建設した
 殖民都市の中心部に、
 必ず在るのがアポロ神殿です。

 この神殿は崩壊がとても激しく、
 原型を殆ど留めていませんが、
 パーツはかなり揃っているので、
 復元の可能性は大いに有ります。




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