トロイの遺跡



  トロイの遺跡はエーゲ海北部の、マルマラ海沿岸地方のビガ半島に在る、低くて小さな
  ヒサルルクの丘に在ります。ここに集落が作られた時代は丘のすぐ近くが海岸線でしたが、
  現在では海岸線が後退して、丘と海岸の間には畑や草原が広がっていました。

  トロイの遺跡は初期青銅器文明の紀元前3000年から、ローマ時代の紀元前334年まで、
  大きく分けて9層からなる複雑な都市遺跡です。この中でホメロスが描いたプリアモス王
  (トロイ最後の王)のトロイは一般的に「第Za市(紀元前1275〜1240年)」と言われています。

  しかし考古学的には、木馬どころかトロイ戦争(紀元前1200年頃)そのものが有ったのか、
  そして“トロイ人”とはどんな民族なのかも、まだ解っていません。

  シュリーマンは「トロイの財宝」に目が眩み、素人なので、闇雲に掘り進み、他の時代層を
  破壊してしまいました。そして彼の手にした財宝は、エーゲ海交易の中心地として繁栄した
  「第U市(紀元前2500〜2200年)」時代の物で、その為に「第V市」「第W市」「第X市」は崩され、
  其の時代の出土品が極めて少なく成りました。

  トロイの遺跡は直径約600m程の小さな城塞で、それ程大きな物ではなく、しかも見所が
  石垣ばかりで、考古学に興味のある人意外には、はっきり言って面白い所では有りません。
  その為パック旅行では、ここを外す事が多く、ここに来る団体観光客も、1時間もすると
  さっさと出て行きます。叙事詩「イーリアス」や映画「トロイのヘレン」等のイメージを持って
  訪れないほうが良いでしょう。せいぜい日本の環濠集落程度と思って行くと良いでしょう。

  ここでは遺跡の見学のコース順に写真を並べていますので、年代は前後しています。



 円形の城塞の石垣。

 この石垣はトロイが一番繁栄していた
 「第Y市(紀元前1800〜1275年)」の物です。
 ほぼ円形に二重に城壁を巡らし、
 ここに造られた歴代の城塞都市としては
 最大規模を誇っています。

 トロイの各年代の石垣や城壁を見ますと
 いずれも低くて薄いという感じで、
 殆ど実戦的でない日本の城よりも、
 更に脆弱で、本格的な籠城などが出来る
 城塞とは思われませんでした。




 初期の頃の石垣。

 この石垣は初期(第U、第V市)の頃の
 石垣で、小さな石を簡単に積み上げた
 だけの物で、規模の大きい塀程度です。

 当時の集落は小さく、城壁の直径は
 100m前後でした。人口もそれ相応の
 数だったと思われます。

 住んでいた民族も、侵略して破壊した
 民族も誰だったのか解っていません。




 トロイの遺跡の年代層。

 ここは各年代のサンプルとされている所で、
 各地層の所には年代を書いたプレートが、
 置かれていましたが、複雑に絡んでいます。

 中央アジアなどでもそうですが、
 人間はかつて町の在った跡を整地して、
 その上に新しい町を造る習性が有ります。
 土地など幾らでもあるのだから、近くの
 別の場所へ造ったらと思いますが、
 色々な理由が有るのでしょう。




 石畳の坂道。

 これは新しい物で、完全な状態で
 しっかりと残っていました。
 まるで最近作られた物の様に見え、
 時代を感じさせないものでした。

 石畳の坂道は荷馬車や騎馬などが
 そのまま城塞の上段のテラスへ
 登れるように造られたものです。






 新しい時代の居住遺跡。

 ここは城塞の中心部から少し離れた
 所に在る住居区のようです。
 竈や井戸などが残っていました。
 「第[市(紀元前700〜334)」時代か、
 「第\市(紀元前500〜334年)」時代の
 ものと思われます。

 ここは後にアナトリアやギリシャ、
 ローマから人が来て住み付いたので
 ヘレニズム時代、ローマ時代、
 ビザンティン時代などの遺構が
 数多く残っています。




  ローマ時代の小オデオン。

 「第\市(紀元前500〜334年)」時代の
 オデオンですが、こんな可愛い劇場を
 見たのは初めてでした。さしずめ
 現代で言う処の小劇場でしょう。

 こんなに小さくても円形劇場の形式を
 きちんと守っており感心しました。
 オデオンは闘技場や劇場よりも
 往々にして小さな物ですが、 
 この規模からしてこの町のおおよその
 人口が察せられるというものです。





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