ミーソン(美山)遺跡はベトナム中部クアンナム省にある古代チャンパ王国の聖なる遺跡の1つです。 中部の大きな商業都市ダナンから約70q、古都ホイアンから南西に約40q、聖山マハーパルヴァタを 望む、クアンナム省ズイスエン県のジャングルの中、バオキン山の周囲に在ります。 ミーソン聖地遺跡は、フランス統治下の1898年にフランス人が発見し、「フランス極東学院(EFEO)」の パルマンチェ、クレイ等により数次に渡ってこの聖地の発掘調査、修復、補強などがなされました。 その一方、フランス統治時代には盗掘を受け、美術品の多くが失われました。またベトナム戦争では アメリカ軍の空爆を受け、大半の遺跡が破壊されてしまいました。発見当時は約70棟もの建築物が あったそうですが、ベトナム戦争が終わった1975年には約20棟しか残っていませんでした。 ミーソンは2世紀末から17世紀にかけて、ベトナム中部から南部にかけて栄えた、チャンパ王朝の 建造物群のひとつで、チャンパ王国の宗教(ヒンドゥー教シヴァ派)の聖域でした。チャンパ王朝では 王位を継承すると新しく寺院を建立するのが通例となっていたため、この地には現在AからHまでの 9ヶ所前後の遺跡群が存在しますが、僅かにBとCのグループにしかその面影は残っていません。 現在残っている建築物の中でB5と呼ばれる塔は、極めて貴重な物のひとつであるとされています。 このB5の塔は10世紀ころの極めて貴重な建造物であると同時に、砂岩で出来ているレリーフなどは 現存しているチャンパ芸術の中でも、一番優雅で荘厳な造りであるとされています。 このミーソン聖域は4世紀後半にチャンパ王がシヴァ神を祀った木造の祠堂を造ったのが始まりで、 その後建物は順次増えていきましたが、高温多湿のこの付近では、すぐに腐って駄目に成ってしまう ので、7世紀頃からレンガを使って再建される様になり、それらの建築物が残されています。 8世紀から13世紀にかけて造られた塔や祠堂などの建造物は、グプタ様式や先アンコール期の影響が 見られます。建造物にはセメントや漆喰などの接着剤を使った形跡が無く、当時の技術力の高さを 物語っています。レリーフなども、カンボジアのアンコールワット遺跡群より古い時代のものです。 遺跡の希少性から、ミーソン遺跡は1999年にユネスコ世界遺産の文化遺産に登録されました。 ミーソン遺跡へはツアーで訪れるのが一般的で、普通は前日にホイアンかダナンに宿泊しますが、 ホイアンに泊まる人が多く、ホイアンに付いては「ホイアン旧市街」を読んでいただければ分ります。 個人で行く場合は、ホイアンよりシンカフェやキムカフェなどの旅行会社が日帰りツアー(何種類か 有ります)を催行していますので、この様なツアーに参加するのが一番簡単でしょう。ホテルなどで ツアーの仲介をしてくれ、泊まっているホテルまでツアーバスがピックアップをしてくれます。 ツアーバスに乗りますと1時間程で遺跡のゲートへ着き、待機しているジープに乗って少し奥の方へ 行きますと、管理事務所へ着きます。ここでガイドから遺跡の説明を聞き、ガイドと一緒に10分ほど 歩くと、草に覆われた煉瓦造りの遺跡群へ着きます。ここでもガイドの説明が有り、その後は自由に 見学する事になり、指定された時間に管理事務所へ戻って、ジープでゲートの建物まで戻ります。
遺跡の中心となる塔 中心部にある祠堂 ミーソン遺跡は、本来はジャングルに埋もれていたのを、発掘の段階で周囲を切り開いています。 遺跡はベトコンの隠れ家としてアメリカ軍が空爆をし、殆どの建物が破壊されてしまいましたが、 B地区やC地区などに、全体の1/4ほどの建物が残りました。その中でもこの塔は1番大きくて、 この遺跡のシンボル的な存在でしたし、横にあった祠堂もほぼ完璧な状態で残っていました。 スケールから見ると、カンボジアやタイなどに残るクメール遺跡に比べてかなり見劣りしますが、 ここの8世紀前後の建造物などは、プレ・アンコール・ワット文化としての価値が有ります。
神域に置かれていたヨニ(1) 神域に置かれていたヨニ(2) チャンパ王国はヒンズー教を国教としていましたので、ここに造られているのはヒンズー教関係の 寺院です。シヴァの神の象徴であるシバリンガとヨニが各寺院に祀られていました。レンガ造りの 建物が爆撃で破壊されても、硬い石で作られたヨニなどは、殆ど無傷の状態で瓦礫の中に埋もれて 残りました。それで、これらのヨニが、最初から露天に置かれているかの様に見えるのです。
塔の彫られていたレリーフ(1) 塔の彫られていたレリーフ(2) 遺跡の中央に在った塔の外壁にはレリーフが彫られていましたが、材質が砂岩なので柔らかく摩滅 しやすいのですが、何とか原型を留めているという感じでした。これだけしっかりとレリーフが 残っている建物はここだけでした。彫刻はクメール様式のものと、とても似ておりますが、微妙な 処でやはり違っており、チャンパ様式というべきでしょう。
遺跡の中心部(B〜Dグループ地域)にある塔や祠堂などの建物 遺跡の中央部には、幾つかの塔や祠堂などの建造物が残っていますが、1番大きな祠堂は、内部が 発掘品などの展示場に成っていました。費用や管理人の数などの問題で、建築物はメンテナンスが 殆ど行き届いていないため、建物には草やコケなどが生えておりました(この地方は植物の成長が とても早い)。これは、建物にとっては劣化を招くので良くないから、何とかしたいものです。
ミーソン遺跡で1番大きなヨニ 巨大ヨニの基壇に彫られた彫刻 建築物が集っている地区から小川を渡って少し離れた所のグループAには、大きな寺院跡が在り ましたが、ここに置かれていたヨニはとても大きな物で、台座には緻密な彫刻が施されており、 これだけ立派な物はインドでもなかなか見かけないものでした。このヨニを収めていたお堂は かなり大きな建物だったと思われます(おそらくミーソン遺跡で1番大きな祠堂と思われる)。
中心部から外れた所に在った遺跡(1) 中心部から外れた所に在った遺跡(2) ミーソン遺跡はBとかC地区の中心部から、少し離れた所に、殆ど原型を留めていない建築物や、 まだ発掘されていない神殿などが何ヶ所か見受けられました。そのような所は、伐採をしている ので、そこに遺跡が在るという事が分かりますが、ジャングルの中には、まだ発見されていない、 隠れた遺跡が眠っている可能性が有るでしょう。観光客が行けないグループA’やE、F、Hなど なかなか面白そうで、遺跡の好きな者にとっては早く公開してもらいたいものです。